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第13話 一点と広範囲

三人には、俺たちが切り開いてきた安全なルートを使って、全速力でギルドへ戻ってもらった。


負傷者はいるが、二人が両脇を抱えれば走れる。周囲の魔物も、先ほど粗方片付けたばかりだ。


「よし」


俺は大きく息を吐いた。


「それじゃあ、行くか」


「足を引っ張ったら、容赦なく置いていくわよ」


「またその台詞かよ」


樹海の奥深くへ踏み込む。


立ち込める獣臭は、先ほどとは比べものにならないほど濃厚になっていた。


オーク、灰牙狼、黒牙蛇。


あらゆる魔物の臭いが入り混じっている。周囲の茂みには、まだ相当な数の気配が潜んでいるはずだ。


だが、そのすべてを相手にしている時間はない。


俺たちの狙いは、ただ一つ。


キングオークを倒すことだけだ。


「強行突破するわよ」


エステルが前に出る。


「私が正面を焼き払う。ロイは私の側背を死守しなさい」


「…………」


「何よ」


「いや」


ほんの少し前まで、足手まといだから後ろにいろと罵っていた奴が。


今は、背中を預けると言っている。


「ずいぶんと信用されたもんだと思ってさ」


「勘違いしないで。使える駒を有効活用しているだけよ」


「はいはい、そういうことにしておくよ」


けれど、悪い気はしなかった。


「任せとけ」


「いくわよ!」


二つの影が同時に地を蹴り、薄暗い樹海へと突撃した。


     ◇


「《炎矢》!」


シュンッ!


正面から飛び出してきた灰牙狼の頭部を、紅蓮の矢が一撃で消し炭にする。


「右だ!」


エステルの死角、右手の藪から巨大な灰牙狼が奇襲を仕掛けてきた。


「《障壁》!」


ガンッ!


剥き出しの牙を硬貨大の盾で弾く。


体勢を崩した狼の眉間へ、障壁をまとわせた右ストレートを叩き込む。


ドスッ!


灰牙狼が泥の上を転がった。


「もちろん、言われる前から気づいていたわよ」


エステルは正面の敵を焼きながら、平然と言い放つ。


「お礼なんて言わないからね」


「絶対気づいてなかっただろ!」


「気づいてたわよ!」


「なら自分で撃ち落とせ!」


「前を見なさい!」


「見てるよ!」


今度は、俺の死角。


頭上の大枝から、黒牙蛇が音もなく落下してきた。


「っ!」


振り向く間すらない。


シュンッ!


熱風とともに、俺の耳元すれすれを炎の矢が通過した。


「ギッ――!」


頭部を焼かれた蛇が、力なく地面に落ちて痙攣する。


「…………」


「何よ」


「……俺も礼は言わないからな」


「別に期待していないわ」


一瞬、視線が交差する。


「…………」


「…………」


どちらからともなく、不敵な笑みが零れ落ちた。


なんだ。


このいけ好かない天才との連携は、思っていた以上にやりやすい。


     ◇


ぽつり。


「ん?」


冷たい感触が頬を打った。


ぽつり、ぽつり。


あっという間に雨脚が強まり、激しい雨音が森を支配し始める。


「こんな時に……」


エステルが忌々しそうに天を仰いだ。


「炎にはやっぱり影響が出るのか?」


「多少ね。雨で炎の形を保ちにくいから、普段より細かい制御が必要になるわ」


「威力が落ちるのか?」


「誰に口を利いているの?」


「はいはい、術式評価S様」


「けれど」


エステルは手のひらを広げ、降り注ぐ雨水を受け止めた。


「これだけの土砂降りなら、森への延焼を気にせず全火力を解放できるわね」


「…………」


「何よ、その目は」


「お前、今ちょっと嬉しそうな顔しただろ」


「気のせいよ」


「絶対にとんでもない大技をぶっ放す気だろ」


「さあね」


「その悪巧みしてる顔をやめろ」


「失礼ね」


その時だった。


「おい」


俺は咄嗟にエステルの肩を引き、足を止めた。


「エステル、前を見ろ」


木々の向こう。


無数の緑がかった影が蠢いていた。


十、二十、三十――。


森の奥から、ぞろぞろと這い出してくる醜悪な人型。


「オークの群れ……」


ざっと見渡しただけでも、四十や五十は下らない。


「キングオークの親衛隊か」


「おそらくね」


敵の群れが、こちらに気づいた。


「グギャアアアアアッ!」


喚声を上げ、棍棒や粗末な鉈を振り上げたオークたちが一斉に突進してくる。


「来るぞ!」


「ちょうどいいわ」


「何がだよ!?」


エステルは、不敵な笑みを浮かべていた。


「見せてあげるわ」


右手を天高く掲げる。


「私の術式が、なぜS級と評価されているのかをね」


彼女の頭上に、猛烈な熱を帯びた炎が集まり始めた。


「おい……」


指先ほどの火球。


それが、瞬く間に膨張していく。


「おいおい……」


まだ止まらない。


「おいおいおい!」


気がつけば、直径数メートルはあろうかという巨大な火炎の恒星が、雨煙る空に浮かび上がっていた。


まるで、小さな太陽だ。


降り注ぐ豪雨が接触したそばから蒸発し、白い蒸気が周囲に広がる。


「それ、まさかそのまま落とす気じゃないだろうな!?」


「そんなことしたら、私たちごと吹き飛ぶでしょうが」


「よかった、正気だった……」


「ロイ」


「ん?」


「少しの間、時間を稼ぎなさい」


「…………」


前方を見やる。押し寄せる五十匹ものオークの群れ。


背後を見やる。巨大な火球を頭上に維持し、集中するエステル。


「……これを俺一人で食い止めろと?」


「全滅させる必要はないわ」


「は?」


「私の準備が終わるまで、この防衛線を一歩も通さなければいいのよ」


「それが一番難しいんだよ!」


「来るわよ!」


「くそっ!」


先頭のオークが、雄叫びとともに棍棒を振り下ろしてきた。


「《障壁》!」


ガンッ!


打撃点に障壁を差し込み、軌道を真横へ逸らす。


「ふっ!」


ガラ空きになった鳩尾へ、渾身のボディブロー。


ドスッ!


一体目が昏倒。


間髪容れずに二体目が横合いから近づく。


身を沈めて大振りの鉈をかわし、三体目――。


「数が多すぎるっ!」


全方位を相手にしては保たない。


一対一の状況を強引に作り出せ。


敵の数が多いなら、その数的優位を殺す地形を選べ。


「こっちだ!」


俺は二本の巨木の狭間へ滑り込んだ。


大柄なオークが二体同時に並べない、狭い場所。


先頭の一体が邪魔になり、後続の進軍が詰まる。


「グギャアッ!」


振り下ろされる棍棒。


身を引いて躱す。


「《障壁》!」


拳の前に置いた障壁で、顎先を突き上げる。


ゴツンッ!


二体目を排除。


次、三体目、四体目――。


「はぁっ……はぁっ……!」


肉体が悲鳴を上げる。


倒しても、倒しても、肉の壁が押し寄せてくる。


「エステル!」


「何よ!?」


「あとどれくらい保たせればいいんだ!」


「もうちょっとよ!」


「その『もうちょっと』が長すぎる!」


「この豪雨のせいで、熱量の圧縮に手間取っているのよ!」


「さっき雨を喜んでただろ!」


「延焼しないことと術式が扱いやすいことは別問題よ!」


「それを先に言え!」


右から棍棒。


左から鋭利な槍先。


「くそったれが!」


両足が鉛のように重い。


だが――俺の後ろには、無防備なエステルがいる。


あいつがこの技の準備を終えれば、戦況は一瞬で覆る。


「ここは――」


一体の顎を砕く。


「絶対に――」


もう一体の突進を障壁で逸らす。


「通さねえぇぇぇっ!」


その瞬間。


ドクン、と。


「…………っ?」


胸の奥深くで、何かが確かに軋んだ。


この感覚。


三年前、旅立つリンに向かって誓ったあの時と――。


「ロイ!」


エステルの鋭い声が、思考を断ち切った。


「そこから離れなさい!」


「っ!」


泥を蹴り、全力で側方へダイブする。


転がりながら振り返った。


「…………」


雨空に、小さな太陽が浮かんでいた。


「準備完了よ」


エステルが掲げた右手を、一気に振り下ろす。


「拡散――」


巨大な火球が、数え切れないほどの炎へと破裂した。


「《紅蓮の雨》!」


ズドドドドドドドドッ――!


「うわっ!?」


無数の炎の流星が、土砂降りの雨を切り裂いて降り注いだ。


木々を避けるように精密に制御され、オークの群れだけを正確無比に撃ち抜いていく。


「グギャアアアアッ!」


「ギャァァァァッ!」


悲鳴。爆発。白い蒸気。


これほどの超火力を叩き込みながら、森の樹木は一本たりとも炎上していない。


「……化け物かよ」


これが、S級術式の真価。


やがて、炎の豪雨が止んだ。


「……ふぅ」


エステルが肩で息をしながら、額の汗を拭う。


「これで……」


あれほど密集していたオークの群れは、ことごとく黒焦げの骸となって泥に伏していた。


「道は開いたわね」


ズシン。


「…………?」


大地が、不気味に揺れた。


ズシン……ズシン……。


エステルの表情が、瞬時に強張る。


「ロイ」


「ああ」


立ち込める白煙の向こうから、何かが近づいてくる。


折り重なるオークの死骸を、無造作に踏み潰しながら。


明らかに大きさの違う影が、霧を割って姿を現した。


「……でかいな」


並のオークとは、根本から造形が異なっていた。


人間の倍近い巨躯。


盛り上がった筋骨は岩石を思わせ、その右腕には人間を胴体ごと両断できそうな巨大な戦斧が握られている。


そして頭上には、王冠のように歪に絡み合った黒い角。


「グオオオオオオオオオオオ――!」


天を裂くような咆哮。


森の全域が震動した。


エステルが息を呑み、小さく呟く。


「……キングオーク」


どうやら、本物の元凶のお出ましらしい。

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