第12話 スタンピードの前兆
悲鳴の方角へ木々を掻き分けて走ること数分。
「いたぞ!」
開けた樹林の隙間に、人影を捉えた。
三人組の冒険者パーティーだ。
一人が足を負傷して泥の上に座り込み、残る二人が武器を構えて必死に応戦している。
だが――。
「完全に包囲されてるな」
「ええ」
灰牙狼、跳爪猿、黒牙蛇。
種族の垣根を越えた魔物の群れが、十体以上も取り囲んでいた。
負傷者を庇いながらでは、後退することすらままならない。
「露払いをするわよ!」
エステルが踏み込み、右手を突き出す。
「《炎矢》!」
シュンッ!
細い赤い炎が鋭く大気を切り裂いた。
一体、二体、三体。
連鎖するように魔物の急所が撃ち抜かれ、火煙を上げて吹き飛ぶ。
「俺もいくぞ!」
「《障壁》!」
死角から飛び込んできた灰牙狼の眼前に、硬貨大の盾を配置。
ガンッ!
「ふっ!」
弾かれた顎へ、そのまま踏み込みざまの右ストレート。
頭部を跳ね上げ、間髪容れずに横から迫る二体目へ視線を向ける。
沈み込みながら鉤爪を紙一重でかわし――。
「はっ!」
障壁を固定した拳を、脇腹へ深々と突き刺す。
ドスッ!
二体目が大きく吹き飛び、泥の上を転がった。
「……なるほどな」
拳を引く合間に、戦況を俯瞰する。
エステルは中距離から遠距離における圧倒的な殲滅力を誇る。
対する俺は、極小の障壁を活かした超近接格闘。
この二人、驚くほど戦術の噛み合わせが良いのではないか。
◇
「大丈夫か!」
最後の魔物を仕留め終え、負傷者の元へ駆け寄る。
「あ、ああ……助かった……!」
剣を構えていた男が、膝をついて激しく肩で息をした。
足に怪我を負った一人も、意識は保っている。出血はあるものの、今すぐ命に関わるほどの深手ではなさそうだ。
「だが、どうしてこんな深部まで入ってきたんだ?」
俺は周囲の気配を警戒しながら問いかけた。
「ここはすでに警戒区域に指定されていたはずだろ」
「違うんだ!」
負傷者を支えていた別の男が、必死に首を横に振った。
「俺たちが森に入った時は、まだそんな警戒情報なんて出ていなかったんだ!」
「何?」
「昨日の朝だ! この奥の群生地で薬草を採取する依頼を受けて入山したんだよ」
「昨日……」
「ああ! その時は森に何ひとつおかしな様子はなかった! 魔物の気配だって普段通りだったんだ!」
男の顔が恐怖に歪む。
「それなのに今朝、帰路につこうとしたら……森全体が魔物で埋め尽くされていたんだ!」
「たった一晩で……?」
エステルの表情が険しくなる。
「それだけじゃねえ!」
もう一人の冒険者が震える声で叫んだ。
「夜中に聞いたんだよ……!」
「何をだ?」
「凄まじい地響きだ……大木が何十本もへし折られるような音と、聞いたこともない怪物の咆哮を……!」
俺とエステルの視線が交錯した。
さっき街道で耳にした、あの不気味な重低音だ。
「どの方角から聞こえた?」
男は森のさらに深部、森の奥を指差した。
「もっと、ずっと奥だ……!」
「やっぱりか……」
「それからだ!」
男が言葉を継ぐ。
「魔物どもが一斉に、狂ったように森の外へ向かって逃げ始めたんだよ!」
「…………」
逃げている。
やはりそうか。
こいつらは人間を襲うために集結したのではない。
何者かの手によって、自らの縄張りを暴力的に追いやられたのだ。
「おい、エステル」
「ええ」
「これ……想像以上に最悪な状況だぞ」
「そうね」
「習性も縄張りも異なる魔物が、一斉に人里へ向かって押し出されているということは」
二人の声が、完全に重なった。
「「スタンピードの前兆だ」」
冒険者たちの顔から血の気が引いた。
スタンピード。
膨大な魔物の群れが生息域を逸脱し、人間の生活圏へと津波のように雪崩れ込む大災害。
その発生要因は大きく分けて二つ。
何者かの術式によって統率・扇動されるか。
あるいは――圧倒的な上位捕食者に生態系の頂点を奪われ、下位の魔物たちが玉突き事故のように人里へ逃げ出すか。
今の状況は、間違いなく後者だ。
父ちゃんが語り聞かせてくれた英雄譚にも、度々登場した大事件。
町へ押し寄せる魔物の大群を、英雄が一人で食い止める――物語として聞く分には胸が躍るが、いざ現実の危機として直面すると、笑みなど一欠片も浮かばない。
「今すぐギルドへ本報告を上げるべきだ」
俺は三人を見据えた。
「状況次第じゃ、近隣都市からも戦力を集めた大規模討伐隊が必要になる」
「待って……」
三人のうち、背負われていた女性冒険者がか細い声で口を開いた。
「原因なら……たぶん、私、見たと思う……」
「見たのか?」
「私の保有術式……《遠見》なの……」
彼女は怯えた瞳で樹海の奥を見つめた。
「今朝、逃げる途中で……遠くの木々を薙ぎ倒している怪物の姿を、一度だけ捉えたの……」
「どんな姿だった?」
「巨大な……オーク……」
「…………」
「普通のオークなんて比じゃないわ……何十体もの屈強なオークを、まるで配下のように引き連れていて……」
エステルの眉根が跳ね上がった。
「頭部に、何か特徴的な部位はなかったかしら?」
「角……のようなものが……」
「王冠のように組み合わさった、異様な角じゃなかったか?」
「そう! それよ……!」
まさか。
「キングオーク……」
エステルが苦々しく呟いた。
ズン……。
足元の泥が、微かに波打つ。
そして――。
ゴオオオオオオオオオ――!
森の最奥から、木々を揺るがす圧倒的な咆哮が轟いた。
「キングオークだと……?」
B級魔物。
通常のオークとは比べものにならない腕力と耐久力。
さらに高い知能を持ち、同族の群れを統率する王の資質を備えている。
単体で出現したとしても、B級冒険者を中心とした熟練パーティーが万全の態勢で挑むべき難敵だ。
「なんでそんな怪物が、こんな外縁部まで……」
「悠長に理由を考察している猶予はなさそうね」
エステルが森の奥を睨みつける。
「地響きが、急速に近づいているわ」
「……ああ」
決断しなければならない。今すぐに。
「エステル」
「何よ」
「もし本当にキングオークだった場合」
俺は彼女の横顔をまっすぐに見つめた。
「お前一人で仕留めきれるか?」
「…………」
エステルはわずかに唇を噛んだ。
「……単体相手なら、おそらく」
即答ではなかった。だが、勝機はあると明言した。
「さすがだな」
「問題は、取り巻きよ」
「親衛隊か」
「キングオークが率いる屈強なオークの群れ。それに、パニックを起こして逃げ惑う他の魔物たち」
エステルは周囲の暗がりを警戒した。
「私一人なら、取り巻きを無視してキングオークだけに火力を集中し、危なくなれば離脱できる。けれど、全方位から群がってくる雑兵を捌きながらとなると、話は根底から破綻するわ」
「なるほどな」
ならば、答えは一つだ。
「一つ、提案がある」
「聞き届けるわ」
「この三人には、即座に村へ引き返してもらう」
俺は負傷者を抱える二人を見据えた。
「ギルドへこの緊急事態を伝えさせ、可能な限り最短で討伐隊を編成させるんだ」
「それで?」
「その本隊が到着するまでの間」
俺は咆哮の轟く森の奥を指差した。
「俺とお前で、キングオークの足を止める」
「…………」
エステルが凍りついたような視線を向けてくる。
「……作戦としては、極めて合理的ね」
「だろ?」
「でも」
その双眸が、鋭利な刃のように細められた。
「あなたの生存率は、限りなくゼロに近いわよ」
「…………」
「私一人なら、いざとなれば逃げ延びられる。けれどあなたを連れていては、それすら不可能になるの」
「俺がいると、足手まといになるってことか」
「そういうことよ」
冷徹なまでの正論だ。
さっき、D級魔物の群れを相手にしただけで、俺は全身全霊を削らなければならなかった。
実戦経験など、今日がほぼ初陣に等しい。
その新米冒険者が、あろうことかB級魔物に挑もうとしているのだ。
常識的に考えれば、今すぐ踵を返して逃げるのが正解だ。
頭では、嫌というほど分かっている。
だが――。
深部から、再び大気を震わせる咆哮。
それに追い立てられるように、無数の魔物が人里へ向かって疾走していく地響きが伝わってくる。
「今ここで食い止めなきゃ」
「ロイ」
「本当にスタンピードが発生したら、俺たち二人どころか村全体が飲み込まれる」
魔物が防壁を突き破り、人里へ雪崩れ込む。
誰かが死ぬ。家が焼かれる。家族が引き裂かれる。
それを知っていながら、指をくわえて安全地帯で待つなんて――。
「救えたはずの命があるのに」
俺は泥だらけの拳を固く握りしめた。
「逃げ出したせいで誰かが死ぬなんて、そんなの絶対に御免だ」
「…………」
エステルは射抜くような眼差しで、俺の表情を見つめ続けた。
やがて。
「はぁ……」
深い、深い息を吐き出した。
「何だよ」
「……E級の分際で」
「悪かったな」
「言うことだけは、一人前の英雄気取りね」
「……悪かったって言ってるだろ」
「別に」
エステルは踵を返し、森の最深部へとその身を向けた。
「嫌いじゃないわよ、そういうの」




