『呼水』
「——悪い冗談、ってセンはないっすかね」
「——だとしたら悪趣味過ぎんだろって」
忽然と消え失せた姿。その痕跡を探しながら、二人は短く言葉を交わす。
それ自体に実務的な意味のない会話。そんなものを口にせねばいられぬ程に、二人は動揺していた。
——偉そうに抜かしといて、この体たらくか、くそ——!
たかを括っていた。
如何に噂が奇妙であろうと、自らがその場に居合わせることなどないだろう、と。
合掌抄帷の同行を許した理由は、彼女の気概を買ったのに加え、そんな迂闊な油断があったからだった。
静が周囲を見回す。道行く人らがこちらを気にしている様子はやはりない。人一人が消え失せるなどという異常自体に対しての動揺も、同じく。
「誰も気付いてないって訳かよ、クソ」
往来は流れ続ける。そんな一人一人を捕まえて事情を聞いている様な余暇はない。無論、方針を改めて決め直す時間も。
「名探偵、手伝ってくれ!」
「はい?」
「間が開きゃお嬢さんを見つけられる目が薄くなる。何かを見付けられるとすりゃ、直後の今しかありえねぇだろ!」
警察が動員され、報道がなされ、数ヶ月が経過している。それでも尚、手掛かり一つ出て来ていない。
事が同じ様に推移したならば、ただの学生である花蕗静が何がしか有用な証拠を見つけ出せる可能性など残される訳がない。
だから、今。この瞬間を逃すわけにはいかなかった。
「けど、見つけるっつったって…!」
小理が焦燥も顕に周囲を見渡す。
自らもそんな彼女に倣いながら、静が語気を荒げる。
「何でもいいんだ!違和感でも異常でも、ちょっとでも何かおかしなもんが見つけられりゃいい!」
「んな事言ったって——」
再び鳴り響く金属音。鈍く、喧しいその音に二人は周囲の様子を窺う。
街行く人らにはやはり、音を気にかけている様子は見られない。音は一貫して、二人にしか聞こえていない様だった。
だが。
何か一つ。この異様な状況を打破するに値する何かを探す二人の目が、遂にソレを捉えた。
「——んだ、あれ」
視線を動かした先…壁際の直ぐ横、翳る影の渦中。そこに、ソレはあった。
「鎖が、生えてる……?」
二人の位置から3mほどの地点。
そこに、ソレはあった。
奇妙な光景であった。
地上からほぼ垂直に、天井に向かって1m程の長さの鈍色の鎖が反り立っていた。その周囲に鎖を支える何かがあるわけでもないまま、ゆらゆらと不気味に揺れるその鎖は確かに、小理の言を借りるなら『生えている』としか言い表せないものだった。
「……無関係な訳ねぇだろ、あんなもん」
呟く静は気付かない。自らの隣に立つ小理の顔色が、真っ青に青ざめている事を。そんな彼女が小さく……だが、はっきりと一言。
「——『パラドクス』」
聞き慣れぬその言葉を、口にした。
「……なんだって?」
問い掛ける静に、小理は答えない。代わりに、その腕を掴みながら、不用意に彼が動き出さぬ様に制する。
「一旦退きましょう、お兄さん」
「何言ってんだ。あんな分かりやすくおかしなもんが目の前にあるってのに――」
「理解出来ないと思いますが、アレは私らだけでどうこうなるもんじゃないです。今は一旦……」
「言うてる場合かよ!」
「状況が変わったんすよ!!」
余りの語気に、静が思わずたじろぐ。
「アレは間違い無く、私が追っかけてた代物っす。〝だからこそ〟、今これ以上深追いは出来ない。対応できる人間に心当たりがあるから、直ぐにそっちに連絡して……」
「じゃあ合掌はどうすんだ!このままオメオメ、助っ人を待つだけ待って尻尾巻けってのか!」
「むざむざミイラ取りをミイラに出来ねーっつってるだけっすよ!」
互いに熱を帯びる言葉の応酬。ただそれに相反して、静の内心は一定の冷静さを既に取り戻し始めていた。
——明智小理は何かを知っている。俺や合掌、遠野ですら辿り着いてない……失踪に連なる、恐らく最も重要なファクターを。そんなコイツがここまで言い切るってだけで、あの鎖がとんでもなくヤバい代物ってのは疑いようもねぇ。
金属音が、鳴り響く。
二人の視線が再び鎖へと向けられる。直立する鎖が、短くなっている。否——
——地中に沈んでる、のか?
引き摺り込まれる様に地面へと向かって潜水していくその様子を見て、いよいよ小理は事態の緊急性……その起因が自らの追跡対象と同じくである事を確信して、再び声を荒げる。
「お姉さんは私たちと同じ位置に居て、姿を消しました。私らが同じ様にならないなんて保証はないんす!ここは一旦、直ぐに!!」
言葉には説得力があった。真実を知る彼女がこうまで頑なに接触を咎める以上、相応の理由がある事は明白だった。
静が今一度、鎖を見る。
徐々に……だが確実に地中へと沈んでいく異質な鎖。この気を逃して再びこんな異質に出会せる保証など何処にもない。そしてなにより。
——ここで逃げて、では誰が、合掌抄帷を見つけ出せるのか。
「——依頼の追加だ、名探偵」
「なんの話すか——」
問い返す小理の表情が固まる。視線を改めて向けた先の、静の表情の異様さに圧倒されたのだ。
そう。それは確かに、異様だった。
「アンタは俺らよりずっと先の何かを知ってるんだろ?言えねーってんなら聞かねーけどよ……悪いが大いに期待させて貰うぜ」
恐怖も、動揺も、躊躇も。
そんな全てを内包して、それでも。
「——骨は拾ってくれよ、明智さん」
花蕗静は、挑み掛かる凶悪な笑みを浮かべていた。
「——」
小理が言葉を挟む余暇は無い。
脱兎の如く走り寄り、今まさに地中へと埋もれ消えようとしていた鎖を両手で掴む。
温度感のない、不気味な手触り。それでも躊躇なく、ソレを引き抜こうと掴む手に力が込められたその刹那。
もう一度、金属の軋む音が鳴り響いた。




