『責任の在処』
「…そいつぁ確かに、奇妙な話だこって」
頭を掻きながら、静はもう一度、後方の抄帷へと視線を向ける。
相変わらず上手い事話題を誘導してくれているらしい、小理と二人談笑しているその姿を見やりながら、脳裏には…細腕に刻まれた歪な痣が浮かんでいた。
——土台馬鹿げた話である。
原因不明の奇怪な痣。
忽然と姿を消した少女。
直後周囲が耳にしたという、金属音。
それぞれに不可思議でありながら、各々を一つに結ぶ明確な根拠は何も無い。
それでも、それらは束ねられた大きな一つのうねりなのだと。事ここに至り、静は確信に近い感覚を抱いていた。
『役立つ情報だったかい?』
「…あぁ。大層刺激的なお話で震えちまうぜ」
『そいつは結構』
電話口、遠野の調子は変わらず。その様子こそ、今し方聞かされた話が、偽らざるただの事実である証明と、これまでの彼との付き合いから、静は嫌と言うほど理解していた。
——オカルト起点はどうにも締まらねぇ、か。別に自戒で言ったつもりじゃねーんだけどな。
己が口にした言説に背中を刺された気分で、小さく引き笑う。自嘲気味なその気配を察してしかし、遠野の口から放たれるのは生半な気遣いではなかった。
『で、どうする?ここから先は警察に投げて、尻尾巻くかい?』
「…他人事だと思って言ってくれるじゃねーか」
『勿論。他人事だからね』
「違いねぇ」
挑発紛いの遠野の言葉にもう一つ、可笑しそうな笑みを浮かべてから。
「んじゃま、悪ぃがデートの続きがあるんでね。頂いたカードは有り難く使わせてもらうぜ」
『流石だね、ゴート。骨は拾ってやるから、安心しろよ』
「ぬかせよバイスタンダー。…ま、よしなに頼むぜ」
電話を切り、静が歩みを進め、二人の元へと向かう。その、わずかばかりの道中にて、間隙を縫って思考を回す。
「すいませんね、お待たせですわ」
「いえいえ、急用とかじゃなかったすか?大丈夫そすか?」
「あー、お気遣い痛み入りますわ。気にしないで貰って結構っすよ」
言いながら視線を移し、こちらを見返す瞳を見やる。視線に気付いた抄帷が、小さく首を振る。
——痣に関しての話は未だしていない。
動作のニュアンスを正確に把握した静が口を開く。
「んで、本題でしたよね。痣、痣ね……」
そこで一拍、間を挟んで。
「俺とコイツの共通の知人がね。何日だか前に、そんな噂話聞いたってだけっすよ。ただ、その痣がちょいとばかし気色わりー代物だったってんで、印象に残ってたんすよ」
「気色悪い…って言うと、具体的には?」
「あー、ちっと待って……」
言いながら、静が改めてスマートフォンを取り出す。徐にカメラロールを操作し、映し出された一枚の写真を提示する。
抄帷が僅か目を丸くする。写真に写っていたのは、彼女の腕だった。昨日、本人の承諾を得ないまま静が撮影していたらしい。
——何が役立つかわっかんねーかんな。手札は持っとくもんだぜ。
知らぬ間に被写体にされていたことに対してのやや不満げな様子を他所に、静がにやりと不遜な笑みを浮かべる。
——この画角じゃ、写ってんのがお嬢さんだとはわかりゃしねー。このまま知人の話ってシラ切りきってやるぜ。
そんな静の思考はしかし、中断を余儀無くされる。
「……この写真の子と連絡取ることは出来るすか」
小理の目付きが、明らかに変わっていた。纏う空気感も含めて、一瞬前までとはまるで別人の様な緊張感を伴った、険しい表情に、静も……先程まで和やかに談笑していた抄帷でさえも、圧倒されていた。
怒気を孕んでいた訳でも、語調が荒くなった訳でも無い。それでも二人は気圧される——表情には、それ相応の説得力が宿っていた。
「初見のお方に取り継ぎ願われても、気乗りはしないねぇ。ちなみに、コイツと会ってどうする気です?探偵さん」
それは意図的な挑発だった。この期に及んで、悠長な駆け引きをするのも面倒だと考えた静が敢行した、実力行使。
詳らかにするべきはただ一つ。目の前の探偵が、味方となるのか否か。
「……さっきも言った通り、詳しく言えない理由はあるっす。ただ、これだけは信じてほしいっす」
小理が、真っ直ぐに静の目を見る。
見開かれた眼差しには、ひたむきな愚直さと、真摯さが宿っていた。
「その子に危険が迫ってるんす。私はその子を助ける為に動いてるんす」
——クソ、聞かなきゃよかったぜ。
頭をガリガリと掻いてから、静が抄帷へと目配せする。
一瞬躊躇する気配を見せた彼女に対し、静が肩をすくめる。
「大の大人が正面切って、ドラマみてーな青臭い啖呵切ってんだ。無下には出来ねーだろ」
言葉には諦めに似た響きがあった。これに抄帷は頷くと、半歩程小理へと歩み寄る。動作の意味を測りかねる彼女の眼前に、抄帷は己の腕を晒した。
「——これ…!」
表情が引き攣る。その表情のまま、静へと視線を移す。瞳には驚愕と、自らを欺いていたであろうことに対しての憤りの色が浮かんでいた。これを受けて静は
「すみませんでした」
大きく、腰を折って謝罪を示した。
「探偵さんを疑った訳じゃねー……とは言わないけど、嘘こいて探り入れてました。申し訳ないっす」
身なりからは想像し難い、真っ直ぐな謝罪。先回りで怒りの向かう先を折られた小理は、若干の不服を示しながらも、それ以上の糾弾を行う事はなかった。
「いやまぁ、私が怪しい奴ってのは否定しないっすから、お互い様っちゃあお互い様、すかね。でもなんで急にネタバラシを?」
「申し訳ないついでさ。バラシついでに力を貸して欲しい、探偵さん」
——————
合掌抄帷から相談を受けた事に端を発し、第三者・遠野によって詳らかにされた幾つかの情報。掻い摘んだそれらの説明の一通りを聞き終えたのち、小理が感心した様に唸った。
「…どうやって調べたんすかね、それ」
その反応から静は、内心で小さくほくそ笑んだ。
——これなら十二分、交渉材料になるな。
思いつつしかし、小理の食指が遠野へ向けられる事自体は好ましくないと判断し、質問そのものへの回答は軽く濁す。
「さぁ?詳しく問いただした訳でもなし、良くは知らねーすね」
「……本筋じゃないし、あんま詮索はしないでおくっす」
「有り難ぇこって」
静の思惑を汲んだ小理は言葉通り、それ以上追求する事はしなかった。代わりに問うのは、交渉の入り口。
「それで、私に力を借りたいってのは?」
「例の廃墟に今から向かおうと思ってね。現場に付き合って貰いてーと思ってさ」
遠野によって暴かれた事実の内、最も重要な事柄。内容自体は小理としても願ったりなものだったが、差し出された提案に対しての疑念を拭うには至らず、口を開く。
「……理由は?」
求める対価の何かによって、受け入れられる話ではなくなる。その見定めを行うための問い掛けだった。これに対する静の答えは、
「さっきも言ったろ?探り入れてんすよ」
極めて短絡的で、真正面からのものだった。
「痣の件な。あんだけ聞いて、それでもひた隠してるってんなら、大概なんか言えない事情があるんだろ?だったらそっちはもう聞かねーよ。その代わり、アンタが知ってるそれ以外の、役に立ちそうな話をくれ」
大雑把で乱暴なその言葉に、腕を組んで口を尖らせる。
「……横暴すね。それにそれ、私にメリットなくないすか?」
「あぁ、ねーな」
静が手の平を上に、お手上げの仕草をしてみせる。想定外の動作に目を丸くするその目をまっすぐに見据えながら、先を続ける。
「だからこれはお願いだよ。善良な市民が協力を惜しまねーって言ってんだ。それに対して見返りを求めるってのは、別におかしな話でもねーだろ?お断り頂いても結構だけどよ、それならこっちもこれ以上協力はしねー」
協力要請とは名ばかりの、それは明らかな恫喝だった。
小理にとっての情報価値を勘定に入れた、不自由な二択。一方的なその要求をしかし『お願い』と言い表したその一点にのみ、花蕗静の配慮があった。それは、敵意が無いことの宣言の様な物だった。
「……お兄さん、性格悪いって言われないすか?」
「さぁ、どーだったかな」
組んだ腕をだらりと下げ、非難する様な口ぶりでぼやく。彼女の中で、答えは既に出ていた。
「……被害者のプライバシーに関わる様な事は言えないし、お伝え出来る内容には限りがあるっすよ」
「そこまでがっつくつもりねーよ。そいつで結構だ」
「……わかりました。話せる限りは、了解っす」
「最高だな、名探偵」
静は満足気に、にやりと笑った。
「——では、話も纏まった様ですし、向かいましょうか」
演技も最早捨て去り、素に戻った抄帷が歩き始める。その迷いのない背中を、
「あー、ちょい待ち」
静の声が呼び止めた。
「はい?」
立ち止まり、振り返る。心底、なぜ呼び止められたのかわからない様子の抄帷に、静は相変わらずの軽い口調で言葉を突き付ける。
「現場には俺と、こちらの名探偵で行くからよ。お嬢さんは一先ずご帰宅願うぜ」
「……はい?」
抄帷が首を傾げる。意図を汲まない彼女に対して、静は説明を続ける。
「事の真相はわかりゃしねーけど、さっきのリアクションから察するにゃ、大概マズい状況ってのは間違いねー。……だろ?探偵さん」
「……否定はしないっす」
「だったら、って話さ。原因の欠片もわかってねーってのに、当事者のアンタを現場に引き連れてけねーよ。万一、連れ立った先で行方しれなくなった、なんて笑い話にもなりゃしねー」
「……ホントは場所だけ教えてもらって、お兄さんにも来てほしくないんすけど」
「なんて?」
「……さーせんっす」
苦々しく文句を言う小理をあっさりと躱して、静が続ける。
「ま、そういう訳だからよ。今日のトコは——」
不遜な笑みを浮かべ、いつも通りの語調で続けられたその言葉はしかし、次の瞬間、
「いえ、大丈夫です」
正面から一刀両断された。
「ぁあ?」
「あら」
「それでは、行きましょう」
驚嘆。
或いは驚愕。
二人それぞれに目を見開く姿を意に介さず、抄帷は再び足を前に出そうとする。これを、今度はやや慌てた声色で静が制する。
「おいおい、ちょい待て」
「はい?」
「……お嬢さん、今の俺の話聞いてらっしゃった?」
「はい。ですので、大丈夫ですと」
「いや、アンタが大丈夫かどうかって話じゃなくってな……」
意図の通じぬ事への苛立ちもあり、声色には微か怒気が滲んでいた。だが、抄帷は頑として引かない。
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、そもそもこれは私自身の問題です。相談に乗ってもらっておきながら、この期に及んで私だけ現地に向かわない訳にはいきません」
静が遂に、若干声を荒げて反論する。
「気ぃ遣ってる訳じゃなくて、リスクヘッジはちゃんとやりましょうねって話してんだよ。アンタ自身が証拠かもわかんねーのに、むざむざ怪しい所引っ張っていきたくねーっつってんの」
「問題ありません」
「問題だらけだアホ。万が一があった時、俺らが助けになれる保証なんざありゃしねぇんだぞ」
二人の間に流れる空気が、ひりついた熱を帯びる。だが、
「私は、ただ助けられに来た訳じゃありません」
それも、長くは続かなかった。
「——」
静が黙し、抄帷を正面から見据える。交錯した視線の先の姿には、厳然と揺るがない…ある種の意思のようなものが宿っていた。
「ご相談に乗って頂いている事については、本当に感謝しています。けど私は、私自身の問題に無責任なまま助けられる為にここに来た訳じゃありません」
暫くの沈黙。やがて、静が一つ、溜息をついた。見下すように睨みつけたその瞳は、鋭い光を放っていた。
「……もしアンタが退っ引きならないトコまで追い詰まっても、俺は何にも力にゃならねーぜ。面白半分で首突っ込んでるだけだもんでな。それで構わねーな、箱入り」
「勿論、構いません」
だが、引かない。
一貫して真っ向から静の視線を受け切り尚、抄帷は己の決定を覆そうとはしなかった。
「……名探偵。同伴一人追加だ」
目線を外し、静が先頭を歩き始める。
声色に、先程までの圧力は無く。ただ気怠げな、間延びした言葉が漏れ出るばかりであった。
「マジ言ってんすか」
「駄目だこりゃ。テコでも動きゃしねえわ」
「……強情な彼女さんすね」
言葉に。静が一瞬前の抄帷の様子を思い浮かべる。
厳然と言葉を紡ぐ姿。
決して退かない様子。
だというのに。にも関わらず。
「………そういうのとはちょっと毛色違いそうだけどな、あれは」
なんの熱も帯びないその様子に、静は確かな違和感を感じていた。
「……ところで、なんで彼女さん急に敬語なんすか?」
「……察しが悪いって言われない?迷探偵」
——————
「あの」
抄帷が、自身の僅か前を歩く背中に声を掛けたのは。歩き始めて割とすぐの事であった。
「ぁあ?」
振り返るでも無く、声だけで返事をする。その無作法を咎めるより先に、抄帷は謝罪の言葉を口にした。
「先程はすみませんでした」
「なにが」
「相談に乗って頂いているのに、我儘を言ってしまって」
「終わった話ほじくり返して愚痴垂れる趣味ねーよ」
「ですが」
——まぁ、趣味がねーのはそうだけどな。それよりも。
「アンタが何考えてるのかはわかんねー。けど、あんだけ食い下がったんなら、それなりの理由があんだろ。じゃあもう別に止めねーよ」
「……」
「それにな」
静が一度言葉を切って。
「さっきの啖呵。アレは悪く無かったぜ」
短く、そう言った。
「……それはどういう——」
「嫌いじゃねーって意味だよ」
振り返らないその表情を、窺い知る事は出来ない。だが、その声色には確かに。柔らかく穏やかなものだった。
無論それは、長く続くものでもない。
「それに、それならそれで別のやり口も考えられるしな」
「やり口?」
「折角ノコノコ着いてきてもらうんだ。精々良い撒き餌になってくれって事だよ」
「言い方」
「リスクに突っ込む方選んだんだ。こうなりゃとことん利用させてもらうぜ」
それは配慮か、本心か。抄帷には判断が付かなかった。
——————
「はえー、でっけーすねぇ」
眼前に立ちはだかるは、商業施設の亡骸。今や残骸、廃墟と成り果てた伽藍堂であった。
その、正面エントランス。今はもう動かない、自動扉の前で三人は並び立っていた。
「いつからこんな寂れてんすか?ここ」
「よく覚えてねーなぁ。昔はゲーセンと、後上階に映画館が入っててな。結構良くきてたんけどなー……」
小理が周囲へと視線を向ける。
「人通りも結構あるし、ここで人一人いきなり消えるってのは、ちょっと想像しにくいっすね」
言葉の通り。帰宅を急ぐ学生、主婦、背広姿。暗澹とした建物それ自体とは対照的に、その付近の人通りは賑やかであった。
「普通に駅近だしな。というか、白昼堂々そんなトンデモあったら目撃者の一人二人居るよなぁ」
ノープランで辿り着いた先の、当然の暗礁。それを打破しようと、抄帷が案を出す。
「どうしますか?中入ってみます?」
「いや、入らねーよ。倫理観バグり散らかってんのか」
「何か手掛かりがあるかもしれませんし」
「いやー、普通に不法侵入っすからねぇ」
「アンタ結構おっかない奴だよな」
「……なんか、すみません」
却下された。
外観を見回す事しばし。
雨風にさらされ。まるで人の手が入らなくなった白い壁面は薄黒く汚れ、まるで巨大なカビに蝕まれているかのような風体であった。
だが、変哲はない。
薄ら暗い雰囲気や、分かりやすい異常がある訳でもない。
無駄足を覚悟し始めた、ちょうどそんなタイミングだった。
「ん」
静の動作が止まる。視線は壁面…屋根下の端。
外付きの非常階段付近へと向けられていた。
「なんかあったすか?」
「……あれ、なんの汚れだ?」
指指す方へ、声を掛けた小理も目線を飛ばす。
非常階段のすぐ脇。
横幅50cm程の、黒い痕跡。周囲の汚れと比較しても明らかに濃いその汚れは、奇妙な事に地上5mほどの地点から非常階段へと向かって曲線を描いて付いていた。
「随分妙な汚れっすね……」
「そもそも軒下だかんな。雨風って感じでもなさそうだけど——」
そこまで言って。
「——」
静が、押し黙った。
汚れのすぐ横。壁から非常階段の手すりに向かって這いずるように、色味の異なるもう一つの汚れがあった。
円環が連続して接続された、特徴的な形状。
それは正しく、鎖の跡だった。
「——何かを引き摺った、か…」
何を?
静が、独り言のように呟く。その言葉を耳にした小理の顔が、一気に青ざめる。その様子に静は、彼女が自らと同じ想像をしていると気付く。
不自然に引き摺られた痕跡。縦に長く、中途半端な横幅。
太い丸太、土嚢、もしくは——
「……偶然で片付けんのは無理ある、よなー」
「そう、すね」
不可解な痕跡を見やり、二人それぞれに思案を巡らせていた、その時。
金属同士が擦れ合う、不快な轟音が鳴り響いた。
「——!?」
「え、えらいでかい音でしたけど……」
二人は慌てて周囲を見渡す。見渡して、共に眉を顰める。
通行人が気づいてる様子が全くない。
あれだけの轟音、不快音が鳴り響いたと言うのに。気にしているそぶりを見せている人間が、ただの一人もいない。明らかに異様な状況だった。
「きな臭過ぎるだろ……お嬢さん、一回捌けるぞ」
後方で別箇所を見回っていた抄帷へと声を掛ける。だが、返事はない。
——そもそも今の音でノーリアクションって方がおかしいだろ。ってんなら、まさか——
一瞬。目を見合わせて固まった後、一斉に背後を振り返る。
だが既に、
「——合掌?」
彼らの眼前には、人影一つなかった。




