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『日常』

 ——————

 

 合掌抄帷は前日の約束の為、そそくさと帰り支度をしていた。そんな彼女の背後から

「甘いものが!飲みたい!」

結立灯ゆいだちともりの威勢のいい声が響いた。

「………食べたい、ではなく?」

 支度の手を止め、抄帷が振り返る。

 急いでいた抄帷よりもさらに早く、既にカバンを携えた状態のまま、灯が仁王立ちしていた。

 抄帷と目が合うや、灯は握り拳を作って、大袈裟に力説する。

「デザートもまぁ捨て難いんだけど、今は飲みたい。目一杯甘くてスイートなやつで、飲めば飲むほど喉が渇くヤツを……!」

「……飲み物としては本末転倒なのでは」

 抄帷の声色には温度感が薄かった。そんな彼女の言葉にも慣れているらしい。灯は気にする素振りの一つも見せず、握った拳を体の前に構えながら

「と言う事でいこう、喫茶店」

力強く、言い切った。

「脈絡はどこに」

星翠ほしみも行こう」

 軽いツッコミをわかりやすく無視して、灯は更に自身の背後に立ったもう一人の同級生へと矛先を向ける。

「えぇ!?ぅ、うん…」

 重い前髪の隙間から覗く目には狼狽も色濃く。友人相手でありながら尚、緊張から頬を赤らめながら、仙波せんば星翠が首を縦に振る。 

「驚く程強引」

「人生時には荒っぽさも必要なのよ……」

「全然わからない」

 抄帷にとっては見慣れた風景。それでも思わず口を突いた本音に、灯はやたらと演技掛かった声色で呟いてみせる。そんな二人のやりとりを見ながら、星翠は小さく笑いを堪えていた。

「いいじゃんよー!ちょっとくらい付き合っておくれよー!甘いものが飲みたいんだよー!」

 ジタジタと暴れる灯を見ながら、抄帷は疑念を口にする。

「一人で行くと言う選択肢は?」

嫌味などではない、ただの本心だった。それだけに

「何故?」

「……問い返されると難しいのだけど」

「わ、私は大丈夫だよ。特に今日予定もないし、あ、甘いもの美味しいもんね」

 星翠が柔らかく笑う。そんな彼女の肩を抱きながら、灯が身を震わせる。

「なんて良い子…!」

「同調圧力では」

「ぇ、えへへ…」

 星翠は相変わらず、嬉しそうに笑っている。その表情を見て、抄帷もまた、極小さな微笑みを浮かべた。

「よし、じゃあ早速行こう。すぐに行こう。スイスイ行こう」

「うん。あー、いや………」

 話はまとまった、と。喜び勇んで音頭を取る灯に同意しかけて、抄帷が口籠る。その様子に気付いて、灯がはたと素の声色になる。

「あれ、どしたの?…もしかしてなんか予定あった?」

「いや、予定というのか……」

 頬に手を当て、視線を下げる。言い淀むその姿に、灯と星翠が顔を見合わせる。

 ――なんと説明するべきか。

 後ろ暗い訳ではなかった。ただ、花蕗静と交わされた話の内容が、この場に相応しいとも思えない。抄帷は、言葉を探すための数秒を沈黙に費やしていた。

 

 そんなタイミングだった。


「おー、居た居た。お疲れお嬢さん」

 気怠げで、少しだけ舌足らずな語調の声が教室に飛び込んできた。


 三人が教室の出入口へと一斉に視線を飛ばす。声の主が誰なのか、迷う余地はなかった。


 シニョンに結い上げられた赤髪。耳元で揺れるピアス。学生たちの中にあって余りにも目立つ身なり。花蕗静が、不遜な笑みでそこに立っていた。

「花蕗さん、どうされたんですか?」

「いやー、間が抜けててよ。考えたら連絡先交換してなかっただろ。落ち合う場所も何も決めてなかったから、とりあえず声かけに来たわ」

 教室の中へと歩みを進め、抄帷の隣で立ち止まる。その顔を見上げながら、抄帷が相槌を打つ。

「……そう言えばそうでしたね」

「そ、そ。で、とりあえずまどろっこしいのも面倒臭ぇし、ココから駅の方まで辿ってみようと思ってよ」

「なるほど、わかりました」

頷く姿に、静が笑みを深める。

「おっけー。んじゃ、校門トコで待ってっから。適当によろしくどうぞー」

 そこで一度言葉を切り、灯と星翠に向けてひらひらと手を振る。

「ちらっと聞こえたけど、悪いねお二方。お宅のお嬢さん、ちょっと借りるぜ——じゃ、後でな」

 返答を待つことはなく、言うだけ言うや、静はそそくさと教室を後にした。

「……」

「……」

 沈黙。それを破ったのは

「……が、」

「が?」

「柄わるーーー」

灯の、声を絞った叫びだった。

「え、今のってあれだよね。ハナフキシズカ!なんか変な噂凄い人」

「あーーー……うん、そう」

 自らも同じ勘違いの元で静を訪ねた辺り、強く否定するのもおかしいか。

 ——名前はともかく、本当の意味での噂の真偽は、未だ抄帷自身にも計り知れないものだった事もあったが。

「え、なんで?顔見知りだったの?」

「………ええと。そう、かも」

「で、これから二人でどっか行くの?私の甘い誘いを断ってまで?ーーーあやしいぜ、抄帷さんや……!」

「いやー………」

 抄帷が頬を掻く。いよいよ説明せねば収集の付かない話の流れになり、頭を抱えそうになった矢先。


「……あ、危なくないの……?」


ぽつりと。星翠が呟いた。


「あ、あの人って有名、だよね…聞いた事あるけど、な、何か悪い人とも付き合いがあるって……」

「……」

 ——聞いた事は、ある。

 柄が悪い、という灯の評は正しい。

 実際の信憑性はともかく、確かに、耳障りの良くない噂が彼には付き纏っていた。

「そ、それに最近身近で変な事件もあるみたいだし、その、やめた方が……」

「——変な事件?」

 抄帷が聞き返す。その疑念に、灯が口を開く。

「あー、行方不明のやつね。いや、いくらなんでも心配し過ぎだって」

「で、でも……!」

 形は違いながら、二人の言葉は共に抄帷の身を案ずる事を目指していた。

 抄帷の目線が鋭く光る。その気配をすぐさま掻き消しながら、抄帷が素知らぬ口ぶりで尋ねる。

「………行方不明事件なんてあったの?この辺で」

「あーーー、まぁ合ったには合った、みたいだね。私も詳しく知ってるわけじゃないんだけど」

「初耳だけど、どこら辺の話かって知ってる?」

「え?あぁ、うん。………駅近の鳳鳴ってトコ。あそこの子だね」

 一呼吸。躊躇いの沈黙を挟み、灯が口にした学校名を咀嚼して抄帷が重ねて一息。納得を示して頷いた。

「………あぁ、わかった。茶色い校舎の学校か」

動作に灯も倣う。

「そそ。私の元中があそこ通っててさ、たまたま耳にしたんだ……ーーけど、何か凄い事件とかじゃない、と、思うよ!」

 最後に付け加えられた一言に根拠がないであろう事は明白だった。それでも。

「——うん、そうだね」

不安を与えない様にと、心遣いから零れ落ちた無責任な言葉を咎める事を、抄帷はしなかった。代わりに。もう一人の友人へと視線を向ける。

「仙波さん」

「……」

 伏目がちな眼差しが上向く。

 その視線を正面から受け止めて、抄帷が続ける。

「花蕗さんには、私から少し相談事をしてて…噂の件はわからないけど、決して悪い人ではないから、心配しなくて大丈夫だよ」

「…そ、相談…?」

「うん。それも大した話じゃなし、本当に大丈夫」

「……それなら……うん……」

 星翠の表情は未だ暗い。それでも、応えた声には今一度柔らかさが戻っていた。

「そう言うわけで、折角誘ってもらったのにごめんね」

「まぁ、多めに見てしんぜよう!…今度埋め合わせしてね」

おどけて笑う灯。そんな彼女の気遣いへ向けて、抄帷は

「うん、わかった」

歪な失踪と……己の身に刻まれた不穏当な痣を想起して、それでも。ただ、細やかな笑みだけで応えた。

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