『痣』
「先に確認だけど。具体的な霊障の対処法が知りたいとかなら、役に立てそうにないよ」
前置きを口にする遠野へと向け、意趣返しの如く静がにやりと意地悪く鼻で笑う。
「わかってるっつーの。そんなスピリチュアルな話、はなっから期待してねーよ。ついでに先回りしとくけど、そも霊障とは!みたいな話も御遠慮願うぜ。んなもん今晩にでもWikipedia先生に伺い立てとくからよ」
軽口の延長線。
額面以上に深い意味を持たなかったその言葉を受けて、遠野の笑みが再び変容する。
「いいね。そこまで承知の上なら、役に立たなくても恨みっこなしだ」
勿体ぶっている様子ではなかった。にも関わらず、過分な前口上を述べる遠野に、静の眉がぴくりと吊り上がる。
「えらく引っ張るじゃねーか。なんだよ、案外マジでなんかあんのか?」
静と抄帷。二人を交互に視界に収めた後、遠野が口を開く。
「お気に召すかはわからないけどね」
——————
「――ここ三ヶ月位の話だけど、この近隣で失踪被害が何件か立て続いてるのは知ってるかい?」
「……失踪事件、ですか」
抄帷が鸚鵡返しに小首を傾げる。
そんな彼女の代弁を兼ねて、口を開いたのは静。
「のっけから物騒な話だな。聞いた試しないぜ」
「ま、そうだよな。地域ニュースサイトで多少なり話題になってるみたいだけど、全国区の事件て訳でもないしね」
軽い口調で言いながら、遠野は徐にスマートフォンを取り出す。素早く何をか操作してから、その画面を二人の前へと差し出した。
「これ見て」
動作の意図を測りかねてか、静と抄帷が目配せをする。してから二人、同じ様に身を乗り出して提示された画面を見やる。
画面に表示されていたのは、あるSNSサイトの個人アカウント、そのトップ画面だった。
「いや、誰」
落とした視線を遠野へと戻しながら静が問い掛ける。言葉は変わらず軽妙に……しかしその表情には先程までなかった、仄かな硬さがあった。
これに遠野は、引き続き軽い口調で応える。
「ある女子高生のプライベートアカウントだよ」
「なんだそら。知り合いか?」
「いいや、面識がある子じゃないよ。これは——」
「……失踪事件の被害者のアカウント、ですか?」
静が抄帷へと顔を向ける。
緊張による硬さも、不安由来の険しさも無い。目線は真っ直ぐ遠野へと、実務的な温度感だけがそこにあった。
遠野が楽しげに笑う。
「察しが良くていいね。まぁ、文脈的にもわかりやすかったかな」
静が頬を掻きながら、視線を遠野へと戻した。
「いや、んなもんどーやって特定したんだよ。怖ぇって」
遠野の笑みは崩れない。
「まぁ、いいじゃん。それは」
「……おっかねー」
「とは言え実際事件はこの市内の話だしね。その気になれば誰でも辿り着けると思うよ」
なんの気無しな言葉に、静が相槌を打つ。
「はー、そんなもんかねぇ」
二、三往復した会話が脱線の気配を見せたのを察知して、抄帷が遠野に先を促す。
「……それで、その被害者の方がなにか?」
「あぁ、ごめんごめん。捜査自体は今のところ特になんの進展もないらしくてね。このアカウントの持ち主が失踪してから既に二ヶ月近くは経ってるんだけど……まぁそこら辺は優秀な警察方のお仕事だから棚上げしてね。面白いのは、失踪直前のある書き込みさ」
言いながら、遠野が画面をついとスワイプする。
表示されたのは、ある写真付きの投稿。その画像を見て、静と抄帷の二人は強く目を見開いた。
『朝起きたら変な痣ある……めっちゃ怖い、ナニコレ』
言葉と共に添付されたのは、腕の写真。
巻き付く様に、這いずる様に。腕全体をぐるりと取り囲む、紫の跡。楕円連なり刻まれたその軌跡は、鎖。
抄帷の表情は、驚愕に見開かれている。感情の発露が希薄であったこれまでと比較して、明らかに鮮烈なその色味に静も倣う。倣いながら。スマートフォンの画面と、未だテーブルの上に差し出されたままになっていた抄帷の腕とを交互に見比べる。
「よく似てるだろ?合掌さんのそれと」
遠野の言に、返される言葉はない。
当事者たる抄帷も。赤の他人である静も。咄嗟に言葉が見つけることの出来ない、不気味な共通項。場を、一時の沈黙が支配する。
「……いや似てる、どころかマルまんまじゃねーか」
絞り出す様に言葉を吐き出したのは、静。やぶれかぶれなその言葉を待ってから、遠野が更に続けた。
「まぁ、この時点で十分違和感なんだけどね。面白いのはここからでね」
遠野は再びスマートフォンを操作する。そのまま、言葉だけは静と抄帷に向かう。
「痣の件が投稿された日を起点に、その前後に似た投稿……傷跡や痣に関する投稿をしてるアカウントがあったか調べてみたんだ。で、これは結構複数個見つかってね」
「そんなにか?」
「あぁ。傷跡の開示ってのも承認欲求に紐づいてるんじゃないかな。で、後はふるいにかけるだけだったよ。鎖形の痣に 関する投稿をしてて、かつ、住まいがこの市内の人間に絞ってね」
驚嘆由来の動揺の渦中にあった静と抄帷が、ふと一斉に遠野へと視線を送る。
「——」
遠野も二人に倣い、暫し手を止める。
「なにか言いたそうだね」
口を開いては閉じを三度繰り返した後、静は両手を前に突き出し顔を背ける。
「…………いや、今は話の腰折りたくねー。続けてくれ」
遠野が満足げに、操作を再開する。
「では遠慮無く……さっき言った条件を満たしたアカウントは、二つ。写真も確認したけど、まぁ極めて似た痣だってのは確かだよ。ほら」
改めて遠野は、自らのスマートフォンの画面を二人に見せる。
先程とは別のアカウント。表示されたその投稿内容は極めて似通ったものだった。
不自然極まる痣の写真と、不安を綴った発信。
「…………似てます、ね」
抄帷が、独り言の様に呟く。それに静も頷き、同意を示す。
「…………だな」
「これら三つのアカウントは全て、痣に関する投稿を最後に現在まで発信が途絶えている」
一呼吸をおいて。遠野が続ける。
「遡ってみたけど、三つのアカウントはそれぞれ投稿頻度は大体日に二・三件程。五日以上投稿が途絶えた事は、手前半年間で一度もなかった」
「……それが、痣の投稿を最後に途絶えている」
事実を確認しただけの抄帷の言葉はしかし、鈍い重みを伴って三者の間に横たわる。
苦々しい顔で乱暴に頭を掻いてから、静が口を開く。
「………遠野」
「なに、静」
「失踪事件が立て続いてる、っつってたよな」
「そうだね」
「具体的に確認取れてるのって何件なんだよ」
「——三件だね」
「…………笑えねー話だこって」
静がもう一度、ガシガシと頭を掻く。
その姿を視界に収めたまま。遠野が低く、静かに口を開く。
「初めに言った通り、俺は別に怪奇現象の専門家って訳じゃない。だから俺から伝えられるのは、事実だけだよ。失踪者にはその直前、正体不明の痣が浮かび上がっていた。それと非常に似た代物が今、合掌さんの腕に浮かんでいる」
幾度目かの沈黙。静の目線は遠野のスマートフォンに向いたまま。
そんな彼の横顔をチラとだけ見て、また視線をカップと——未だ剥き出しになったままの己の腕へと戻す抄帷。
対面の二人の様子を、頬杖を突きながら観察する遠野。
三者三様折り重なった静寂を破ったのは、遠野だった。
「さて、答え合わせだ。お気に召したかな?」
ぱっ、と。静と抄帷の目線が一斉に遠野へと向けられる。
「……どうかね。とどのつまり、何かが詳らかになった訳でなし。役に立つ話とは言い難ぇーかな」
静が頬杖を取り払い、ソファに深くもたれ掛かる。
「はは、それはそうだな。お役に立てず心苦しいね」
謙遜でもなく、純然と。不平に対して頷き笑う遠野の言葉尻を追いかけて、悔い気味に。
「嘘だよ、ばーか」
静は真剣な眼差しを遠野へと送った。
「そもそも八方塞がりスタートの話なんだ。些細でもなんでも、関係の有りそうな話一つ聞けただけ御の字よ。頭の一つも上がんねーって」
ひねた感謝の言葉。それを素直に受け取るつもりもなかったらしい。
「高尚だな」
向けられた言葉と同じ温度感で、遠野が言う。
「よく言われるぜ」
静が最後に言葉を返して、やりとりが一区切りする。
——————
「それで、実際これからどうするつもりなんだい」
提示していたスマートフォンをしまいながら、遠野は目線を抄帷へと移す。
「……そう、ですね…」
「頼ってもらって悪いけど、今のところ俺から話せる内容はこれが全部だ。口惜しいけど、具体的な解決案とはとても言えない。それを踏まえて、何か考えはあるのかい?」
抄帷の目線が下がる。表情は変わらないまま、顔に掛かる影だけが深くなっていた。
「……それは、今から——」
翳る表情のまま、絞り出された言葉はしかし
「後じゃねー。前だ」
直後。花蕗静の一声によって、断ち切られる。
「——と、言うと?」
予想外のタイミングだったのか。空いた口もそのまま、目を丸くするばかりの抄帷に代わり、遠野が尋ねる。
半身を起こし、静が頷く。
「痣が失踪と関係があったって仮定すんなら、痣の投稿・その後の動向じゃなく、痣が顕れる前の動向を調べるべきだ」
静が溜息をつく。
「お巡りが必死こいて調べてる連中の行方を、俺らが後追いで見つけられっこねー。突っかかるだけ無駄だろ」
遠野が短く頷き、続け様眉を顰める。
「合理的だな。けど、警察も失踪直前の動向は調べていると思うけど?」
「そらそーだ。けど多分、視点が違う」
遠野と抄帷、二人分の視線が静に集中する。そんな二人に対して、静は気怠げな声色のまま続ける。
「連中が調べてるのは〝失踪前〟の異常だ。行った事のねートコに顔出した、面識無い奴に会ってたか……それこそこの痣だって御立派な異常だしな」
「まぁ鉄板だし、間違っているとも思えないな」
静が目配せで肯定を示す。
「けど、痣の投稿の直前に少なくともSNS上でそれっぽい書き込みはなかったんだろ?」
「そうだね。どれもこれも、当たり障りない日常の書き込みばかりだ」
「この痣が霊障だろうが、超能力者のマジカルパワーだろうが。結果が日常と違うなら、何か普段と違う事をしてる筈だ。そんでそれは多分、お巡りが想定して無いくらい小さな話なんだろーよ。だから、それを探す」
「……起きる時間がいつもより早かった、とか?」
「……それはいくらなんでも」
顎に手をやりながら出された遠野の喩えに、思わず抄帷は難色を示した。だが、静は首を振る。
「いやー、多分そのレベルだと思うぜ。それでなきゃ、普段と一本違う道使って帰ったとか」
抄帷が手を口元に持っていく。考えあぐねるその様子を棚上げに、遠野は静の言葉に同意する。
「まぁ、確かにそのレベルの話なら…後々は調べるかもしれないけど、優先されるとは考えにくいかもね」
「あぁ。下手すりゃ本人等でさえ気にも留めなかった様な、つまんねぇ違和感が何かあるはずだ」
遠野が腕組みをしながら、疑念を口にする。
「なるほどね。けどどうかな、単に恐怖心や猜疑心からSNSに書き込みをしていないだけで、実際には重大なトラブルに巻き込まれていた可能性だってあるんじゃないか?」
「そらそーよ。ただ、それならそれで構いやしねぇんだ」
「ふぅん?」
「誰の目にもおかしな何かに巻き込まれたってんなら、遅かれ早かれお巡りさんが辿り着くだろ。だったらだったで、俺等は後追いで、そのおこぼれを拝借すりゃ良い」
静が不遜な笑みを浮かべてみせる。その様子を可笑しそうに遠野は眺めていた。
「強かだねぇ」
「うるせー。マンパワーで叶う訳ねぇんだから、適材適所よ。……とは言え、ぶっちゃけそのセンは薄いとは思うけどな」
「へぇ、根拠は?」
「さっきアンタが言ってたろ」
「——承認欲求、ですか?」
花蕗が頷く。
「軽く見やった感じだけどよ、失踪した御三方に御立派なネットリテラシーがあるとは思えねぇ。自分の疵痕平気で世の中に晒す連中だ。明言を避ける事はあっても、てめーの身の上に起きた不審に全く触れないとは思えねーよ」
琴線に触れたのか、遠野が吹き出す。
「とんだ偏見だな」
「知らねぇ奴のことなんざ、想像で話すしかねーだろ」
「それこそ、その通りだな。それに、一理ありそうな話であるのも確かだ」
静が一つ、声色を落とす。
「遠野。例のアカウント連中、もうちょい詳しく調べられるか?」
「どうかな。ある程度までなら特定出来ると思うよ」
「出来る限りで構わねーけど、出来れば自宅と学校位まで抑えてーな。それと交友関係も」
「結構無茶苦茶言うね」
遠野の弱気な言葉に、静の口角が上がる。
「なんだ、自信ねぇのかよ名探偵」
言葉を向けられた遠野もまた、不敵そのものの笑みで迎え撃つ。
「安い挑発だねシリーマン。まぁでもいいよ、請け負ってあげるよ」
「いいね、任せるぜ——と、お嬢さん、明日の放課後ご予定は?」
不意に視線がかち合った事に驚いた様子で、数度瞬きを挟んで、抄帷が頷く。
「はい?……特に何もないですね」
「んじゃ、明日もう一回付き合って貰うぜ」
「?」
「さっきの話でピンと来てないって事は、お嬢さん自身が『普段と違う事をした』って感覚がないんだろ」
トントン、と。こめかみを指で叩く仕草をしながら、静が確認する。これにもやはり、抄帷は縦に首を振った。
「……そうですね。思い当たる事は何も」
「だから、確かめる。痣の出来る前日、普段と違う何かがなかったか。思い出せりゃ御の字だけどよ、そうでないならローラー作戦で行こうぜ」
言い終わるや、遠野が一際不思議そうに首を傾げた。
「おや、この後すぐには行かないのか?」
「馬鹿野郎お前、年頃の女の子いつまでも連れ回せねーだろうが」
さも当然と言い切るその姿に、お手上げの仕草で遠野が頭を下げる。
「さようでございますか」
——————
「それじゃ、話も纏まったし…今日のところは解散かな?」
言った遠野に向けて、静が改めて手を挙げる。
「悪かったな、急に呼び出しちまって。埋め合わせはその内に、な」
「気にするなよ。別にいいさ」
ふと、抄帷が目を丸くしたままになっている事に、二人が気付く。
「合掌さん、どうしたの?」
「あ、いえ……」
「なんか役に立つ話でも思い出したかい」
「すみません、そう言う訳ではないのですが…」
抄帷が花蕗を見る。表情は徹頭徹尾真顔。視線は真っ直ぐに、静へと向かっていた。
「あの流れで、こうやって話を聞いてもらえていることが不思議で……」
「どの流れだって?」
静が眉を顰める。心底何の話かわからない様子のその姿に、抄帷は一層疑念を深める。
「頼む人間を間違っていると仰られていたのに、結局力添えを頂いている。その理由がわからなくて……」
静の表情が僅かに曇る。抄帷の言葉と、それを向けられた静の様子から何をか察したらしい。遠野が可笑しそうに笑う。
「なるほどね」
「……何がだよ」
居心地が悪そうに顔を顰める静から視線を外し、抄帷へと向けて遠野が口を開く。
「君が気にする必要は無いよ、合掌さん。これはもう、こう言う人間だから」
「こう言う人間、ですか」
遠野が頷く。
「恩を感じる必要はないし、遠慮することも無い。欲を言うなら、仲良くやってあげてくれよ」
「……てめー、あんまいらねぇ事吹き込むんじゃねーよ」
いよいよ本格的にバツが悪そうに。
静は目一杯身体を伸ばしながら
「てめーと大差ねーよ、観察魔。話の飛んだ先が面白そうだから、退屈凌ぎに首ぃ突っ込んでみようかってだけの話だよ」
勘繰られた善意を、真っ向から否定した。




