『喫茶店にて』
喫茶店『マジックアワー』。
落ち着いた雰囲気のアンティークカフェ。その、一番奥。窓際のソファ席で入口を向き、並んで座る二人の前には、各々コーヒーカップが置かれていた。
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静が誰かしらに電話を掛けたのは、抄帷が提案を受け入れた直後だった。何をか二、三話して電話を切った後、彼に案内されるままカフェに到着したのがつい今し方。
「少し寛いで待とうぜ」
細かい内容の説明よりも先に運ばれてきたコーヒーカップを眺めながら、抄帷は小さく溜息をついた。
「結局カフェインで腹ぁタプタプになりそうだな、こりゃ」
悪態を吐く静を横目に、再びのブラックコーヒーを一口。缶コーヒーとは雲泥の差と言って差し支えない、香ばしく複雑な香りを楽しんでいる様子もなく、二人は互いに沈黙するばかりであった。
待つ事十分ほど。
ドアベルが小気味良い音で来客を伝える。反射的に、カップへと落とされていた抄帷の視線が入口へと飛ぶ。
来客は男性。二人と同じ学校の制服に身を包んだ、細身の少年。
二人の姿を見つけると、彼は薄い笑みと共に軽く手を挙げてみせた。
「やぁ、お待たせしたかな?」
静も彼に倣い、気怠げに片手を挙げて応じた。
「百年待ったぜ——悪いな、急に呼び出して」
咄嗟に、抄帷がソファから腰を上げようとする。待ち人を座ったまま出迎える事を嫌ったのだろう。ただ、その動作はすかさず伸ばされた静の手で制された。
制したその手をそのまま正面へと伸ばし、対面のソファを手で指す。
勝手知ったる、か。少年も特に言葉を重ねる事はなく、もう一度軽く手を挙げて、静の指し示したソファへと腰をおろした。
「近くにいたからね、別にいいさ。と、彼女が?」
「あぁ、本日の主賓様だ。お嬢さん、こちら遠野お兄さんね」
遠野と呼ばれた少年が、愉快そうに笑みを深めた。
「雑な紹介光栄だね、二枚舌。…はじめまして、こんにちは」
言葉には、名乗りを促す響きがあった。抄帷は、小さな咳払いを枕詞に
「はじめまして。合掌抄帷です」
簡潔に言い切って、深く頭を下げた。
「……へぇ、珍しい名前だね」
遠野の口角が僅かに上がる。その笑みに、顔を上げた抄帷が微かに眉を顰めた。
先程までの社交的で友好的な笑顔とは違う。口角こそ笑みの形になっているが、視線はただ真っ直ぐ、抄帷へと向かっていた。まるでこちらの内面を覗き込むような、観察するような視線。
「あー、そのリアクション本日二度目だぜ。割愛よろしく」
そんな遠野の様子にはどうやら慣れたものらしく、静は手を左右にヒラヒラと振り、面倒そうな様子で息を吐く。
遠野はと言えば、こちらはこちらで花蕗静の口の悪さなどいつもの事とどこ吹く風。自らの興味の追求を優先する。
「まぁ、そう言うなよ。どう言う字、書くんだい?」
「そのままです。合にてのひらで…」
「違う違う、名前だよ」
「え?」
目を丸くしたのは抄帷だけでなく、呆れ顔で足を組み、肘を突いていた静も同様だった。そんな二人の疑念を嘲笑う様に、遠野が声色を上げながら言葉を続けた。
「とばり。そのまま、漢字一文字かい?」
帷。辛うじて馴染みがあるとすれば確かに、その一字のみでの名付けだろうか。抄帷は軽く首を振り、訂正する。
「……てへんに、少ないの〝抄〟の字に、帷です」
澱みない抄帷の言葉に、遠野が軽く頷く。
「へぇ、ますます珍しい」
「えらい食いつくじゃん。なんかあんのかよ」
足を組み直し、コーヒーを一口飲んで再び肘をつきながら、静が遠野…次いで抄帷を見やる。そんな彼に向けて、遠野はおどけた風に肩をすくめてみせた。
「いや、単純な好奇心だよ——帷は元来、空間を仕切る垂れ幕を示す言葉だ。けど、現代では別の使われ方をされる場合の方が多いだろう?」
言葉に。先に思い至ったのは、抄帷だった。
「……夜、ですか」
「あー、確かに言うなー、それ」
夜の帷。
詩的で叙情的な、日暮の深い闇の形容。形容は美しく…しかし示すのは確かな、漆黒。
「そう。重ねて面白いのが、抄の字だね。静、意味知ってる?この字」
振られて静は二度程、肘をついた方の手、その中指でこめかみを叩く。そのまま掌を天井へと向けて、軽く顎を引いた。
「……いや、あんまピンと来ねーな」
回答自体は織り込み済みだったのか。遠野も足を組み、肘を付く。ついたその手の人差し指で、虚空に字を書く動作をする。筆跡は、抄。
「文字単体としては抜き書きや、掠め取るなんて意味があるけど……まぁ、日常では中々使わない言葉だな」
「ははぁ、そいつぁ結構な事で……だからなんだって?」
「偶然や語感でこの字は選ばないって話さ。抄も帷も、そう名付けには使わないだろ?」
遠野の視線が前置きなく、抄帷へと突き刺さる。口の端に浮かべられた笑みはより一層不穏さを増し。声色とはかけ離れた不穏当な空気を生み出していた。
「夜の暗澹を示す言葉。加えてわざわざ添えられた、何かを奪い去る事を示唆する一字。こんな言葉を、さて。ご両親は一体何を思って、愛娘の名付けに選んだのかな?」
「…………それは」
抄帷の表情に固さはない。
咄嗟に返す言葉に思い至らなかったのか。伏せ目がちなその瞳が、小刻みに左右に揺れる。一瞬にして、卓の空気が緊張の度合いを強める。
その、刹那の緊迫を
「うーーーーーるーーーーせーーーー」
花蕗静の気怠げで、間延びした声が裂いた。
「!」
「おや」
抄帷がびくっと肩を強張らせる。決して声を張った怒声ではなかったが、言葉にはそれ相応の圧があった。
静が…先程までよりも僅かに鋭さを伴った視線を遠野へ投げる。
「黙って聞いてりゃうるせーんだよ観察魔。たかだか名前の漢字で名探偵気取んな。謎解きやりてーんならルーブルにでも行っとけよ」
遠野が両の掌を天井へ向け、おどけてみせた。
「今回の考察はお気に召さなかったかい?」
「初対面の人間の名前で遊ぶなっつってんだよ。悪癖だぜ」
「これは失礼」
一つ、小さな溜息をついてから、静が抄帷に向け、苦々しい顔を向ける。
「お嬢さん」
「!……はい」
強張りも既に解けた様子の抄帷に対し、静は遠野を指差してみせる。
「こーいう奴でよ。悪気はねーけど悪意はあるから、気に入らなかったら遠慮しないで言ってくれ」
「いえ、気にしていませんので」
本当に気にしていないのだろう。間髪入れずに言葉を返す抄帷の様子に、遠野は殊更に意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「そう?ならよかった」
「てめーが言うなよ、サン・オント」
本日何度目か。静が深い溜息を吐き出した。
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「ったく、んな事より本題だよ、本題。井戸端会議でもあるまいに、ちゃきちゃきやろーぜ」
静の言葉に、遠野がしたり顔で頷く。
「あぁ、そうだったな。そしたら合掌さん、拝見してもいいかい?」
「はい」
声を掛けられた抄帷が、躊躇いなく袖を捲り、腕を出す。テーブルの上に伸ばす形で差し出された細腕を数秒凝視した後、遠野は口元に手をやり、考える仕草をみせた。
「…………なるほど。確かに、奇妙な跡だ」
「演者にお触りは御法度だかんな。見るだけにしとけよ」
「そんな趣味ないって」
「どーだかね。……で、どーだい」
軽口の後、静が問い掛ける。これに遠野は、素知らぬ顔で惚けて見せる。
「どう、とは?」
「なんかねーのかよ。知恵袋みてーな話」
遠野が笑う。その笑みはやはり、どこか底意地の悪さを感じさせるものだった。
「抽象的だね。具体的に言えよ」
言葉の上で不満を募らせてみせる遠野を、めんどくさそうに睨め付けてから、静が吐き捨てる様に言葉を紡ぐ。
「なんか役立つ情報寄越せ」
「承知したよ、ドン・キホーテ」
今度こそは。ただただ愉快そうに、遠野は笑った。




