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『ベンチとコーヒー』

「コーヒーって微糖派?ブラック?」

「いえ、お構いなく」

「お構わなくても、もう買っちまってるもんでね。カフェインで腹たぷたぷにする趣味ねーもんでな」

「…では、ブラックを」

「ツラに似合わず渋いねー。ほらよ」

「…ありがとうございます、いただきます」

「よしなに、お粗末さん」

 ——————

 

 それは傍目でも、非常に奇妙な取り合わせだった。


 中庭に設置された二人掛けのベンチに腰掛ける影が二つ。同高校の生徒たる男女の姿がそこにはあった。

 一方には赤髪の少年、花蕗静はなふきしじま

 もたれ掛かる形で深く座り、大きく開いた脚を組んでいる。気怠げな風体に似つかわしい、肩の力を抜き切った様な姿勢であった。

 もう一方には黒髪の少女、合掌抄帷がっしょうとばり

 脚を揃え、背筋を伸ばし。ただ座っているだけで、ある種の品性を感じさせる出立であった。

 少年と少女は、明らかに別種の人間だった。


 ——————

 

「しかし、チンピラゴーストスイパーねぇ……まーだそれ言ってる奴居んのかよ。嫌だねー」

 心底からの辟易を隠す事なく、溜息混じりに悪態を吐く。その様子を隣からちらと見ながら、合掌抄帷が簡単な相槌を打つ。

「嫌ですか」

「そらそーよ。センスなさすぎだろ。後、長ぇ」

「センス」

 鸚鵡返しに口にするその表情には、一向に変化がない。静の言葉が示す意味を理解出来ていない様子だった。

 彼女の疑念に応える意図はさしてなかったのだろうが、軽く頷きながらもう一度、小さく溜息混じりに息を吐いてみせる。尤も。

「付けられるんならせめてかっけーのが良いじゃんかよ」

「お気に召してないんですね」

「事実に即してねーっつってんの」

「…ゴーストスイパーではない、と」

「当たり前だろ」

「…ただのチンピラである、と」

「おい」

意図が伝わったかどうかは、また別の話だった。


「…まぁ俺の風体の話はさておき、だ。繰り返しになるけど、生憎お嬢さんのご期待には応えられねーかな。つーか、女子高生様がオカルトな相談事って、なんのこったよ」

 無為な会話が途絶えた一瞬。一呼吸の間を置いて、静は本題を切り出す。

 抄帷の表情にはやはり変化がない。

 ただ、会話の間隙。両手で包み込む様に持っていた缶コーヒーへと落としていた視線を上げ、今度は顔ごと体を向けた。


 ——頼む相手を間違えている。そう断じておきながら、静はこの場を設けた。専門知識があるわけでもない。そも、本人に乗り気があった訳でもない。にも関わらず、済し崩し的に相談の本線を問い掛けてくる目の前の少年の真意を測る様に、抄帷の視線が静を覗く。

 数瞬の間を置いて、抄帷が口を開く。

「………霊障、と言うんですかね」

 故に。その本線に自ら合流した事、それ自体にも恐らく、余り深い理由はなかった。

「あぁ?」

 一口コーヒーを煽ってから。静は今までとは違う…よりはっきりと怪訝の色を表情に滲ませた。馴染みの無い単語に対しての反応。それを特に気にする様子は見せず、抄帷は落ち着いた様子で腕まくりをしてみせる。

 初めこそ。突然の動作の意図が分からず眉を顰めるばかりであった静の表情はしかし、次の瞬間強い険しさを帯びた。

「…………なんだこりゃ」


 ——痣。

 色白の細腕、その手首から肘程まで、ぐるりと巻きつく様に刻まれた紫色の跡。ただ、静が驚きを示したのは、見るからに痛々しいその様子が理由ではなかった。


 僅かに潰れた楕円形が接続し、連続する。巻きついたその跡は、鎖の形をしていた。


「今朝起きたら突然腕にこの痣がついていて。心当たりもなく、かと言って気のせいで片付けるのも難しいな、と」

 いっそ他人事の様に口にするその姿を気にも留めず、静は相変わらず、食い入る様に痣へと視線を送り続けていた。


「そらそうだ。こいつを気のせいだってんなら、世の中の殆どは勘違いって話になるだろうぜ…痛くねーのか?これ」

「全く」

「こんだけ跡になってんのに?」

「はい」

「…………たしかに、妙な痣だな」

 妙。

 言葉にしながら静が、口の端を強く結び、二度程素早く瞬きをする。

 取り立てて何か役立つ事を思い付くでも、表現として別の言葉を拾い上げる事も出来ず。いっそ呆然とすら言える様相で、彼女の細腕を見つめる。

「実害がある訳でもないので、捨て置いてもよかったのですが……原因がわからないだけに、そのままというのも憚られたので」

「だからオカルトに絡めて、か。堅いナリしてる割には柔軟ですこと」

「校則準拠です」

「……さいですか」

 若干的外れな回答にやや毒気を抜かれたか。静の表情から幾分険しさが取り払われる。相変わらず視線は痣へと向かっていたものの、異質に対する緊張の色は遥かに薄れていた。


「しかし、見れば見るだけすんげー痣だな。鎖は鎖なんだろうが、デカ過ぎだろ、これ」

 静か自らの手を痣の近くまで寄せ、大きさを測る仕草を見せる。その動作を見送るより早く、抄帷が補足を口にする。

「外形で15cm丁度でした」

「何が」

「鎖素子が」

 静が固まる。その様子にピンと来たのか、抄帷がもう片方の手で、自らの腕の痣を指さして見せる。そこでようやく、静の顔に納得が示される。

「………あー、鎖の輪っかの一個一個の事か。え、そんな名称ついてんのこれ」

「後は、リンクなどとも呼びます」

「深掘らなくていーっつーの」

「はぁ」

 嗜められた様な形での区切りに不満を感じたという風でもなく。ただ、これまでの理路整然とした声色とはやや異なる、若干気の抜けた返答をしながら、抄帷は言葉を切った。

「……で、そのソシを測ったのか?自分で?」

「はい」

「なんで」

「調べようと思いまして」

「定規で?」

「いえ、ノギスで」

「……変わってんねー、アンタ」

 本線では無い話題に食いついた己を恥じた訳でも無いだろうが。暫くは話主たる抄帷の目を見据えていた視線を、再び痣へと向け、静はもう一度考え込む様子を見せる。見せて、ふと。極小さく、首を傾げた。

「けどよー。この痣、ちょっと変だよな」

「……まぁ、そういう相談でしたから」

「違ーって。痣そのものじゃなくて、痣の入り方の話よ」

 微妙に会話のニュアンスを捉え損なう場面が多いという、抄帷の特徴を把握したらしい静が、今までよりもやや食い気味に訂正を入れる。

 

「…と、言いますと」

 一方の抄帷は、相も変わらず。

 それも含めて慣れたらしい静は、軽口を叩くでも無く、痣を指さして見せる。

「ほら、鎖ってフラットなもんじゃねー訳じゃん?特にこんな…ソシ?がでっけーやつならよ、グルッと回して目一杯締め上げたら、点で力の掛かるところと掛かんねーところが出てくるだろ、普通。けど、アンタの腕のそれはぜーんぶ均一に、狂いも無く、同じ形で跡になってるだろ」

 抄帷の双眸が小さく見開かれる。そのままその視線を、自らの腕へと落とす。

「…………確かに」

 刻まれた楕円の連なり。それらの痕跡には、鎖素子同士の接続点において重なる部分はあっても、形状自体が異なったり、掠れて消えている部分は皆無だった。

 本来すぐにでも気づける様な不自然さ。それに気付けなかった愚を後悔する素振りが、抄帷にあった訳では無い。その上で。

「……見た目よりテンパってたんじゃね?」


 言葉を否定する根拠を持っていないであろう事も確かだった。だが、それは彼女にとって恥ずべき話ではなかった。それよりも、気付きを与えてくれた花蕗に対しての期待が高まっていたのだろう。言葉は弁明ではなく、意見を求める為に紡がれた。

「どうでしょう……では花蕗さん、その気付きを踏まえて、どう思います?」

「いや、どう思いますかって言われると困っちまうんだけどよ。……なんにせよ、これをただの変な痣で済ませるのは無理あるよな、と」

「なるほど」

「……」


「……」

「……いや、終わりだけど」

「…………………」


「…………なんか言えよ」

「…………はぁ」

「結構失礼だな、アンタ」


 期待外れだった。



「………………いえ、今のは確かに失礼でした。ごめんなさい」

 感情が表に出にくいのだろう抄帷の、何とも分かりやすい落胆の表情に、新しい物を見た興味半分、勝手に期待して勝手に落胆された事への腹立たしさ半分の塩梅で、静が不満を口にする。

「言いたい事百個位飲み込んだみたいな謝罪をありがとよ、優等生。だから言ったろ、はなっから当てにすんなよって」

「……そうですね。確かに、仰られる通りでした」

「力になれなくてわりーね」

 ただ、最後の一言には、一切の悪感情が含まれなかった。その気配は抄帷にも伝わったのだろう……先程までの落胆の色は影を顰め、代わりに、一貫して示され続けた温度感の薄い表情のまま、

「いえ。元々私の問題ですし、気になさらないでください」

 彼女は謝罪と、諦めにも似た言葉を口にした。


「お時間をとらせてすみませんでした。私はそろそろ……コーヒー、ご馳走様でした」

 丁寧な謝意を述べ、抄帷がベンチから腰を上げる。目線だけをそちらに向けながら、静が軽く手を挙げる。別れの合図であった。

「あいよー、気ぃ付けてお帰りなさってー」

 抄帷がゆっくりとその場を後にする。その後ろ姿へと、静の目線は送り続けられていた。

 背中に哀愁がある訳でも。先刻の言葉通り、最早落胆の気配がある訳でもなかった。その背中を見やり、見送りながら。


「……………」


花蕗は頭を掻いた。眉間に皺を寄せたまま溜息を一つ。その表情は険しく、苛立ちの苦々しさも伴っていた。

 そして、目を見開いた次の瞬間、鼻に掛かった声色で

「なぁ」

離れていくその姿を呼び止めた。

「——はい?」

 恐らく。この一日、花蕗静との会話の中で。呼び止められたこの瞬間が、最も予想外だったのだろう。抄帷の顔には僅かな、けれど確かに驚愕の色味が滲んでいた。

 呼び止めた静は未だベンチに、座ったまま。顔は自らの足元へと向けられていた。

 その顔をぐいと持ち上げ、抄帷を真っ向から見据える。

「や、どっち道妙案って訳じゃねーんだけどよ」

「……?」

 抄帷の目に映る、静の表情は

「あー………ダメ元でも構いやしねーってんなら、ちょっと付き合ってみるかい?」

何をか面白がる様な、挑発する様な。悪ガキ然とした、不適な笑みだった。

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