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『逆理』

――――


「菅野友尚の遺体を最初に発見したのは、彼の娘さんだったそうだ」


 真白い病室。

 退屈を持て余していた花蕗静の下へ、見舞いに訪れた遠野稔とおのうつぎの口から語られたのは、今回の顛末とは直接繋がらない……既に終わってしまった幾つかの事実と、推察だった。


「表では家族思いで生真面目なパン屋の主人。その裏では未成熟な少女へと並々ならぬ執着を抱いた性的倒錯者。なんとも生き辛そうな両面性を抱え込んだ人間だったみたいだね」

「はっ。だからって〝はいそーですか〟で同情出来る話じゃねーってのには変わりねぇよ。そもそも、野郎の本性がどっちだったか――ロリコン然とした中身か、それともパンピーだったのか。俺らに確かめる手段がねー以上、考えるだけ無駄だろ」

「その通り。けど、人間は二元論で生きる生き物じゃあない」

「……何の話だ、そりゃ」

「どちらが本性、ではなく。どちらも本質、だったんじゃあないのかって仮定さ」


 廃ビル崩落現場と、そこから約一キロ程離れた廃墟周辺においてほぼ同時発生した建造物の破壊、瓦礫の飛散事象。原因は未だ分からず、関係各所はそれらを事件・事故の両面から捜査を継続している。


「『誰かの尊厳を踏み躙る権利など、何人も持ち得ない』。なるほど確かに、君の矜持は素晴らしい。俺もそう思う……概ねはね」

「俺がいつ、そんな小洒落た哲学をアンタに語って聞かせたってんだ。人の座右の銘を捏造するんじゃねー」

「直接はないね。けど、君の行動原理はこの一語に集約する。だからこそ君は今、そんなにも愉快な負傷を伴って、こんな殺風景な病室に押し込められている……異論はあるかい、ゴート」

「……どーだって良い話だぜ、観察魔。それで?結局アンタは何が言いてぇんだよ」

「なに、ちょっとした興味さ。今回の一連の答え合わせってところかな」


 一連の崩落事故における死傷者はゼロ。

 白昼堂々原因不明のまま発生したにも関わらずの結果は、奇跡的としか言い表せぬものであった。

 尚、廃墟付近での事故に関しては『大柄の男性が瓦礫を薙ぎ払っていた』という目撃証言が複数挙がっているが、信憑性は不明のままである。


「自らの望む目的の達成に、それを望まない誰かが存在する。世の中ではありきたりの話だし、それを悪いと断ずるような水の差し方にも興味はない。ただ、それら一切……自らの望みを叶えるために誰かのエゴを阻害するその行為は、等しく君の矜持と相反する。その矛盾、君が踏みつけた誰かの尊厳に対しての帳尻合わせは、さて、君の中でどうバランスをとっているのかな?」

「んなもん知るかよ。そも、奴さんは既に死人だったんだぜ。幽霊の身まで慮ってられるかってんだよ」

「論点がずれてるよ。では、相手が生きた人間だったとして、今回の顛末は変わったと思うかい?君の選び取った行動が、今と大きくかけ離れたかな?そんな事はない、という自覚は……今更確かめるまでもないだろ?」

「……とことん性格悪ぃな、てめー」

「お褒めに預かり光栄だね」


 行方不明となった少女達の行方は未だわからない。

 所在から生死に至るまで、あらゆる痕跡は見付かっていない。こちらも捜査は継続されている。


「誰かの尊厳を踏み躙りながら、また知らない誰かの尊厳を守ろとする。精査の根拠が善悪だとするならば話はわかりやすいだろう。けれど例えば、件の菅野が心底自らのこれまでを悔やんでいて……その後悔からただ一目、今はもう会う事も出来ない我が子に似た雰囲気の少女達にその面影を見て……みたいな理由があったとして。そんな悲痛な悔恨と、初対面の少女・合掌抄帷。そのどちらを選び取るか、君はでは、果たして何を以て決断したのか。俺の質問の本線はここなんだけど――どうだい?」

「どうもこうもねーよ。さっきも言ったろ、〝知るかよ〟ってな。どいつもこいつも、人のやる事なす事に逐一大仰な理由付け求めんじゃねーっての。そもそも野郎と違って合掌抄帷は誰かを傷付けた訳じゃねー。野郎は女子高生攫った変質者。理由がどうあれ、その事実がある以上てめーの言説はぶっ壊れてんだろ」

「それは確かに、その通りだ。――ではいつか、彼女が誰かを踏み躙る側に立ったその時は、どうするんだい?」


「静。君の本質は〝誰かを助けたい人間〟なんかじゃない。〝目の前で誰かの尊厳が蔑ろにされる事が我慢ならない〟だけの人間なんだよ。そこには正義も悪も、正しいも間違いもない。助ける人間の基準は〝自分が先に出会った方〟。そんな、根拠とも呼べない基準だけで自身の行動指針を見定め続ける……それが君の正体さ」

「まーたてめぇは知ったような事を……ま、アンタが言うんだからまぁそうなんだろうけどよ。だったらだったで、それこそ知った話かよ。生き方変えられるでもなし、反省でも促そうってんならお呼びじゃねーぜ」

「誰かの尊厳を守るため、〝故に〟また誰かの尊厳を踏み付ける。そのパラドックスは、静。いつか君を殺すよ」


 右前腕解放骨折により、全治一年。

 仮に完治したとしても、極めて高い可能性で後遺症が残る……正真正銘の重傷であった。


「君の生き方を否定するつもりは毛頭ない。けど、その度にそんな身体の張り方を続けていけば、結末は想像に難くない。身体も、そして君の信念にも限界が来るだろう。その時、君は一体どうやってその状況を打破しようと考えているんだい?」


 ――それでも尚、花蕗静は口角を上げる。


「てめーらしくもねーな、ギャンブラー。最後の最後で的外れだぜ。ったく、わかりきった事勿体付けやがって」

「――ふぅん?その心は?」


 いつか守ろうとした誰かの尊厳が、また別の誰かの尊厳を踏み躙るかもしれない。そしていつか、たった一人ではもうどうにもならない、後の無い所まで追い詰められるかもしれない。故に、答えは明白だった。


「そん時ぁ、遠野。アンタが俺を助けろ」


 言葉に、遠野が僅かに目を丸く、驚きの感情を示す。

「俺だけでどーにもなんねーってんなら、アンタの力を借りる。アンタがどーこーなるってんなら、また別の連中の手を借りる。そもそも端からなんでもかんでも一人でどうこう出来るだなんざ思っちゃねーからよ。都度都度お力添え頂けます御人を探しちゃただ馬乗らせて貰うだけだ」

「――なるほど、面白い回答だ。けどじゃあ、君のプライドはどうするんだい?」

「それこそ下らねーな。第一誰彼構わずどーこーしたろ、なんざ思ってねーんだよ。そんな大言壮語はそうだな。それこそどっかのヒーローに任せるさ」

 そこまでを聞いて、遠野が愉快そうな笑みを浮かべる。

 結局何一つ答えの出なかった問答に対して、けれども遠野自身はひどく納得した様子だった。そのしたり顔が癪に触ったのか、静が左手で追い払う仕草をする。

「言いてぇ事が終わったんならそろそろ帰れよ。こちとらこれから診察だなんだでわたわたしやがんだからよ」

「おや、それはお邪魔したね。それじゃ、お言葉に従い退散するとしようかな」

「ったく。結局何が言いてぇのかわかんねー話だったぜ」

「何言ってんだよ」


 遠野が軽く笑みを浮かべる。

 穏やかさと――等量の冷たさを伴った、真意の読めない笑顔。その表情を向けられた上で、口にされた言葉に、

「君が無事でよかった、と言う話さ」

素直に礼を言う気分に、静はどうしてもならなかった。


 ――――


 結局のところ、全てが解決したわけではない。どころか、問題の大半は恐らく、今後もう二度と解決に向かう事はないだろう。

 菅野友尚――だった者によって生み出された、隔絶空間への入り口は既に消失している。誘拐された少女達は恐らく、今尚あの薄ら暗い世界のどこかに残置している。そんな彼女達を救う手立ては最早無いし、どころかその安否を確かめる事すら不可能。何一つも取りこぼさない、などと口にされた大言壮語は最初から破綻していた。

 阿島京介は、彼女達の行方について捜査を継続すると言っていた。だが。


 ――本当に、よくやってくれた。だが、これ以上この件について調べるのはやめておけ。どう転んでも、君達のためにはならない――


 別れ際、花蕗静と合掌抄帷へと向けられたその言葉は、合理主義者の彼なりの気遣いだったのだろう。彼が立ち入る事を許さないと言う事は、まぁそう言う事なのだろうと、静達は理解していた。理解、する他なかった。


 そして、もう一つ。


 静が、自らの左手を開き、その掌へと視線を落とす。そこに握られた、目には見えぬ――けれど確かに掴み取られた、逆説の異能を確かめるように。


 パラドクス。

 逆理を以て現実を塗り替える、逆説の異能。

 因果も脈絡もわからぬままその身に宿った人ならざる超能は依然、花蕗静の内側において健在であった。

 超能力という、言葉にすればあまりに陳腐なそれはしかし、十数年生きてきた価値観を塗り替えるのには十分過ぎる代物。この先の一生を、花蕗静は〝超能力者である〟という奇妙な事実と自認の下生きていかねばならない。

 その現実が、この先の未来においてどんな影を自らの人生に落とすのか。――静には到底、想像も付かなかった。



「――ま、なるようにしかなんねーわな」

 一人になった部屋で、静が呟く。


 救えなかったものがあったことも、超能力者になってしまったことも――右手が元に戻らないかもしれないことも。どれ一つをとっても、大した話では無い。

 やると決めた事を、やれるだけはやった。そこから先の顛末を制御するだけの力など、花蕗静にある訳がない。

 ならば、考えるだけ時間の無駄。

 来るべき未来の話は、訪れた先で考えればいい。


 それと、最後にもう一つ。遠野稔が外したであろう読みを思い返して、静が不適に笑う。


 ――彼女が誰かを踏み躙る側に立ったその時は、どうするんだい?――


 

「――はっ。アイツがそんなタマかよ」

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