『突入』
「散々やる気出しといてよ、いざ現地に行って〝鎖〟見つけられなかったら、かなり寒いよな」
目的地への道すがら。置かれた現状に対して、いささか空気感のずれたことを漏らす花蕗静へ、合掌抄帷がじとっとした目線を投げる。
「……別に格好付けるために行くんでもなし、寒くはないんじゃないかな。間違いなく困るけど」
「見解の相違だな。格好悪ぃよりゃ格好良い方がいいに決まってんだろ。こちとら身の丈合わずに挑み掛かろうってんだ、折角ならバチっと見付けて、ガッといきてーじゃねーかよ」
「……男の子だから?」
「人としてって話だよ。センシティブへの配慮足んねーぜ、リトルガール」
軽口無駄口は、赴く異界への緊張を誤魔化すためか。それとも既に開き直って、平静を取り戻しているのか。二人は共に、自らの内を正確に把握などしていなかった。
それでも足だけは止めず。ただひたすら、目的地を目指す。
崩れ去った廃ビル。
周囲には未だ警察、マスコミ、野次馬……多くの人々の姿が見受けられた。
「……あの中割って入って探すとか、傍目にゃ大分やべー奴だよな。っつーか、なんて説明しろってんだ」
現実的な倫理観から眉間に皺を寄せる静に、辺りを見回していた抄帷が、ある一点を凝視しながら、口にされた憂慮を払拭した。
「——その心配なさそうだよ」
促されるでもなく、静が視線を彼女の見据える方へと向ける。向けて、愉快そうに笑みを浮かべた。
黄色いバリケードテープの内側。幾人もの消防隊・警察官が行き交う更に奥。雑然と散らばった瓦礫の傍に、ソレは静かに揺らめいていた。
不自然に自立し、時折奇妙に揺れる鎖。まるで地面から生えたような奇怪極まるその姿に、周囲の人間が気付く気配はまるでなかった。
「恥こいて悶える心配も無さそうで一安心だぜ。けど、他の連中が気にも留めてねーのはどういう理屈だ」
「何か条件があるのかも。どちらみち、今考える事じゃないんだろうけど」
「違いねーな」
尚一層笑みを深めながら、静が足を止める。その横で同じく立ち止まった抄帷へと向けて、最終の確認を口にする。
「んじゃま、予定通り頼むぜ」
「わかってる。10分、だよね」
「あぁ。後はよしなにどうぞってな」
——————
隔絶空間への突入を決めた静と抄帷は、幾つかの取決めを設けた。
一つは役割の分担。
実際に空間に入るのは花蕗静のみ。合掌抄帷は外側で待機。理由は単純な戦力問題に加え、最悪の事態に備えて、連絡要員を確保する必要性があったからだった。
そしてもう一つは、突入後阿島京介に救助を求める、タイムリミットの設定。
——俺の超能力は、テメェに向けられる敵意や殺意みてーなもんを察して、そんなんが籠った凶器とかを無傷でやり過ごす、みてーな代物でよ。コンクリぶち当てられてもピンピンしてた辺り、俺一人なら意外とやれちまうと思う。ただ、生憎どんだけイキっても、俺自体がすげー奴って訳じゃねーからよ。事がどう転ぶかはぶっちゃけわかんねー。だから、突入から10分経ったら問答無用で阿島さんらに連絡してくれ。
——わかった。でも、たった10分?時間がタイト過ぎる気がするけど。
——一番笑えねーのは、我儘通した挙句取り逃して全部おじゃんってパターンだからな。幽霊野郎とエンカウント出来るかの保証もない以上、やったらめったら時間は使えねーよ。……他にご質問は?
——……あの流れで結局外待機って、なんとも締まらないなぁ、と。
——馬鹿言ってんじゃねー。こんなもんはただの適材適所だろ。んなことでショボくれてる暇あるんなら、精々トチらねーように気ぃ張っとけよ。
——————
自らに課せられた役割を改めて確認し、抄帷は今一度静の顔を覗き込む。そこでようやく、彼の浮かべた笑みの中に、確かな強張りがあることに気が付いた。
口角を上げ、眼差しは真っ直ぐ。傲慢不遜、凶悪としか形容出来ないその笑みの只中にあって、彼の握り込む拳は僅かに震え、その頬には冷や汗が滲んでいた。そして、その瞳は確かに、怯えの揺らぎを湛えていた。
「——花蕗君、聞いていい?」
「ぁあ?急ぎじゃねーなら後にしろよ、悠長やってる暇ねーぞ」
「今聞きたい」
ぴしゃりと。
断固として言い切るその口ぶりは、これまでの彼女にはなかったものだった。
「……なんなりと、どうぞ」
ほんの僅かに面食らいつつ、それでもその強い言葉に、静はその先を促した。そうして紡がれた疑問は、今問う必然性はどこにもない——けれど、
「あなたはどうして、他人の為にそこまでするの?」
今だからこそ聞かねばならないと合掌抄帷に思わせた、花蕗静の核心に対するものだった。
「何言い出すかと思やぁ、んなもん——……」
面倒そうに軽口を叩こうとして、その真剣な眼差しに、
「——ま、別に大した話じゃありゃしねーんだけどよ」
誤魔化すように頭を掻いた。
誰かを救うためではないなどという言葉には無理がある。見知らぬ誰かの為にその身を投げ打とうとしている——花蕗静の、それは間違いなく真実だった。
正義を高らかに謳ってなどいなかった。
博愛を信条としている訳でもなかった。
それでも尚、見知らぬ誰かを救わんと今一度死地へ赴くその心の源泉。
それは確かに、ひどく瑣末な話で。
「……こんなんはさ、俺がやんなくても多分誰かがやんだろーよ。それこそ阿島さんみてーな、とびっきりのヒーロー様がよ。けどお生憎、こなせちまうかもしれねー素養が俺の中にあるってんなら――どうせ誰かがやるってんなら、俺がやったって構やしねぇだろ。理由なんてのは精々、そんなもんだよ」
それでもそれこそが。偽らざる、花蕗静の本心だった。
「——ったく、つまんねー話させやがって。そんな売り出し方してねーんだよ」
もう一度だけ頭を掻いて、静が小さく溜息を吐いた。そして再び顔を上げた時——その目に恐れの色は微塵もなかった。
「そんじゃま、一丁行ってみるかよ——」
言葉もそこそこに、花蕗静が駆け出そうと地を踏み締めた、その動作を見透かしていたかのように、
「——!」
鎖の周囲の瓦礫が突如、周辺目掛けて飛び散った。
取り巻いていた人々が、突然の怪奇現象に戸惑いを示し、困惑の叫びを挙げながら逃げ惑う。その様を見やり、静が舌打ちをする。
「見境なしかよ、舐めやがって——」
言いながら、自らの内へと感覚を伸ばす。
——自らの内に発芽した、これまで決して存在していなかった……しかし今既に、確かな機能として根付いた超能。その引金に今こそ指を掛ける。
不可逆を可逆に。
不能を可能に。
横たわる現実を、逆理を以て塗り潰す超然。
欲さぬままその身に宿った——今この瞬間に立ち向かう為のただ一つの剣。
剣の名は、パラドクス。
常理を覆す、逆説の異能。
「——オーラスだ、しまっていこうぜ——!」
巻き込まれ続けたこれまでとは明確に違う。
止むに止まれず飛び込んだこれまでとは意味合いが違う。
この一度こそは、自らの意思で。
振り払うべき危機ではなく、打倒すべき壁として。
人々の隙間を縫い、バリケードテープを跳び越えて。
花蕗静の手が、不気味な鎖を掴んだ。




