『開門・廻』
――――
「想定より余程面倒な可能性が高いな」
額面ほどに深刻な響きを含まないその言葉に、それでも小理は小さくない動揺の色を示した。
「それは、あの子達を連れていく理由にも関係あるの?」
「あぁ……結論だけを言えば、見つけだすよりも先に奴から接触を図ってもらう方が効率が良い。短期での決着を目指すならな」
「……とりあえずその理由だけ先に聞かせてよ」
「前提として、隔絶空間内は俺のパラドクスの干渉可能領域だ。内部侵入前段階でも花蕗、合掌さん……それに件の能力者を感知することが出来たから、これは確定事項として捉えて良いだろう」
「『感知』のパラドクスね……けどだったら尚の事、あの子達を囮みたいに使う必要ないじゃない。京介が近づけば、どっちみち相手は捕捉出来るんでしょ?最大射程は1キロ圏内、だっけ?」
「本来ならな」
「……今回は例外?」
「そうなるな。空間から脱出した直後から、奴の位置が未だに捕捉出来ていない」
――『感知不能である。故に、感知可能である』。
阿島京介を中心に半径1キロ圏内に存在する生物の位置情報を捕捉・特定する能力。ただしあくまで特定出来るのは〝位置情報〟のみであり、当該対象が何者で誰なのかは阿島京介にもわからない。だが、感知した個体は個別に記憶することが可能なことから、一度でも直接対峙した対象であればパラドクス単体で捕捉・追跡することが出来る。
「奴本体と感知情報は既に紐付いている。射程内であれば見逃すことはない……筈だが、実際には今時点においても見失ったままだ」
「今までにないパターンだね。考えられる可能性は……奴の死亡、とか?」
「ゼロではないが、未だ合掌さんの腕からマーキングが外れていない以上、その可能性は低いと見積もっておいた方がいいだろう。残る可能性としては、射程圏外への脱出だが……これも線としては薄いだろう。感知の断絶直前に何かしら移動しようとしていた気配もなかったのだからな」
恐らく、と。京介は僅かに声色を落として、暫定的な結論としての仮定を口にする。
「そもそも隔絶空間内で俺たちが交戦したあの男自体が、パラドクス能力による分身のような代物であった可能性がある。加えて、本体からの操作可能範囲がかなり広大である可能性も同じく――な」
「……そんなん見つけようがなくない?」
「だからこその囮だ。彼ら……というより合掌さんを連れ歩くことでなにかしら、奴からのアクションを誘発させる。奴が軽率に能力を使ってくれれば御の字、再度感知すればいいし、音沙汰がなければ予定通りの捜査を継続するだけだ」
――――
昨晩の小理とのやりとりを思い返しながら、京介は微かに眉間に皺を寄せた。
スピーカーから響き渡る切迫した花蕗静の叫び。それを受けて、視線をスマートフォンから外し正面へと向け直す。
伽藍堂の建物。元は小さな飲食店か何かの店舗として使われていたのであろうそこにはしかし、営業していた頃の賑やかさなどは微塵も残されていなかった。
外から店内が見えるようにと、大きく設けられた窓ガラスから覗き見える店内は埃まみれ。そこかしこに雑多な残骸や段ボールのカケラなどが散乱していた。
「――京介!」
「あぁ」
明智小理から呼びかけられた京介が、口元に手をやり、思考する。
――『感知』。阿島京介のパラドクスは、範囲内の生物、その位置情報を正確に把握することが出来る。
感知した個々の生物、その個体差までを把握することが可能なこの能力において〝同一個体が複数存在する〟という事象は本来あり得ない。あり得るとすればつまり、『パラドクス能力によって生成・操作されている存在と、能力者本体が同時に存在している』状態。
阿島京介と明智小理が辿り着いた先。感知情報を追跡してきたその地点に、何者かの影などありはしなかった。代わりにあったのは、無人の廃墟だけ。
能力の精度を理解しているが故、発生した事象に対する解答を出せずにいた京介と小理の下に届いた、仮説。
――本体と能力が別体というのは想定内。だが、そもそも現実世界側に本体が不在というのは、思ってもみなかったな。
京介が建物の扉に手を掛ける。
施錠は当然されており、その掌には硬い感触だけが残る。
「管理会社に連絡しよう、調べる」
小理がスピーカーを繋いだまま、スマートフォンの操作を始める。その動作を、
「いや、必要ない」
短い言葉と、鈍い破壊音が遮った。
京介の手元からガラスへ亀裂が走り、次の瞬間扉は音を立てて崩れ去った。驚愕に目を見開いた小理が周囲を見回す。幸い、通行人の姿はなかった。
そんな彼女の動揺には目もくれず、京介は店内へと入る。砕け散ったガラスを踏み鳴らしながら、一直線に建物奥へと向かった。
――このタイミングであの断定的な言い方。方法や手段は不明だが、何か明確な、確信に足る情報を手にしたということだろう。
奥に広がっていたのは、大きく開かれたキッチンスペース。
――パン屋、か。
置き去りにされたパン釜の跡。埃まみれの空間。
そこに、『ソレ』は立っていた。
虚な目。
呆然とした表情。
項垂れるように立ち尽くす、肥満気味な男。
服装・背格好、共に合掌抄帷の証言通り。加えて一瞬とはいえ、自らが目撃したそれらとも相違ないことを確認して、京介の眼光が鋭さを増す。
対峙する二人。その後方から小理の――ほとんど怒声に近い声が響く。
「――菅野友尚!元この店の店主!数ヶ月前に死亡!」
短く伝達された情報と、眼前の光景。
理解の範疇は超えている。
だが、それはさして重要な問題ではない。
重要なのは、眼前に横たわる現実。目の前に立ち尽くす、死んだ筈の男……その似姿。
本体が現実世界に存在していないという仮説が真実ならばつまり、目の前のコレは――――
「――――アレは、私の、なんだ――――」
呟くや、煙の様に男の姿が掻き消えた。
阿島京介の感知は、未だ正確に男を捕捉し続けていた。同じ座標の別地点――隔絶空間へと移動したことは明白だった。
――このタイミングで、誘致を伴わず隔絶空間へと侵入した理由。空間内での破壊が現実にフィードバックされる以上、奴の次の一手は――
その瞬間。廃墟は倒壊し、瓦礫の山が四方から、阿島京介と明智小理に襲い掛かった。




