『真意』
「なんつーか、あれだ。急に力ぁ抜けちまったな」
改めてベンチに腰を掛け。遠く広がる青空へと視線を向けながら、しかし恐らく、そんな景色をまるで見るでもなく。言葉の通り、静の肩からはあらゆる緊張が抜けきっている様子だった。
先程までの張り詰めた気配は影を潜め。憑き物が落ちた風にさえ見えるその穏やかさにしかし、抄帷は強い違和感を感じていた。ただ、その違和感が一体どこからきているものなのかが分からずにいた。
「そいや、結局阿島さんらと連絡先交換してねーよな。顛末話すって言っても、具体的にどーする気なんだかな」
「貰った名刺に携帯の番号があったでしょ。頃合いを見て、そこに連絡すればいいんじゃないかな」
「あー……そいやあったな、そんなん。全っ然忘れてたぜ」
抜けてんなー、と。言葉通り、相変わらず気の抜けた様子で自嘲するその表情を見やりながら、抄帷は尚も違和感の源泉を探し続けていた。
「飯でも食いいく?ここでぼけっと待ってるだけってのも締まんねーし」
「それこそ一応ここで待機してた方がいいんじゃないかな。未だ全部が解決したって訳でもないんだし」
「ま、そらそーか」
暫しの沈黙。
元々抄帷は饒舌な方でもなく。静の軽口がなくなれば、必然場には静寂が滞留する。
相変わらずの穏やかな気候。街行く人らの雑踏も遠く、緩やかに過ぎる時間こそは、今や嘘のように感じられた。
「花蕗君」
そんな沈黙を破ったのは、抄帷の方だった。
「明智さん、苦手?」
「……ぁあ?」
言葉が余程予想外だったのか、静が眉間に皺を寄せながら首を傾げる。
「さっき結構、不思議な顔してたから」
「なんだそら、抽象的過ぎんだろ。んな訳ねーだろ」
おどけたように、質問を軽くいなす。その姿はここ数日見てきた花蕗静像とまるで相違無い。にも関わらず、どうしても拭えぬ違和感への興味から、抄帷が食い下がる。
「本当に?」
「やけに粘るな。だからそんな訳――」
静からしても、抄帷がここまで能動的に踏み込んでくる姿は初めてのものだった。自らの危機にすら希薄にみえた興味の矛先が今、自らに向いてることを不思議に感じながら、静は言葉を途中で切る。
顔を顰め、一拍の間を置いて、
「――あの人が苦手って事ぁねー、ってのは本当だ」
含みのある答えを、口にした。
抄帷が微かに目を見開く。
覗き込むように静へと向けた目線は揺れることなく、真っ直ぐにその瞳を見つめ続ける。それは確かに、言葉の続きを待つ姿勢だった。
やがて、観念したように静が頭を掻いた。
「よく知った仲でもねーけどよ。多分あの人は〝善い人〟だ。阿島さんも同じく、な。そういう人らが、こぞってこっちに気ぃ回してくるってのが……ま、あんま居心地が良いもんじゃなくてよ」
小理の言葉は正しい。
思えば彼女は最初から、二人の帯同には反対の姿勢を一貫していた。そしてそれが、決して利己的な感情からのものではないことは、誰の目にも明らかだった。
「ガキ扱い結構、足手纏い上等。選んだのが俺自身なら、どんな結果が待ってようが文句ねー。けど、それを先回りで庇い立てられるってのは性に合わねーってだけさ」
「――守られてるのが嫌だ、ってこと?」
静は「まさか」と肩をすくめ、笑ってみせた。
「スーパーヒーローが内輪にいるのに、それを押しのけてヴィランとバチバチやり合う趣味なんざねーよ。ま、てめぇで言葉に出来ない辺り、大した話でもねーだろってな」
抄帷が視線を外し、空を見上げる。
言葉の真偽はわからない。花蕗静を理解している訳でもない合掌抄帷には、その本心を推し量る術はない。だから本当は、この一連の会話にも特別な意味はなかったはずだった。
ただ、だからこそ。考えるだけ栓のないこんな話を、花蕗静の本心を知りたいと強く思ったのか。その理由がなによりも分からず、抄帷は困惑していた。
「俺の話はもういーだろ。そもそも面の話すんなら、アンタだって大概だろうよ」
その困惑をさらに強めたのは、静からのそんな切り返しだった。
「ようやっと、その薄らキモい痣から解放されるぜ、ってとこまで来といて、えらく澄ましてんじゃねーかよ。もっとこう、気ぃ抜け顔とか晒したってバチ当たりゃしねーだろ」
「どんな顔なの、それ」
言いながらしかし、確かに、と。自らの内に奇妙な納得を感じて、抄帷が押し黙る。
喜ばしいことであるのは間違いない。そもそも、それを目指してここまで来たのだから。
目的としていた異常の払拭。目前に迫った成就にしかし、合掌抄帷の心はなんら動くことはなかった。
――けれども。それは別に、事今回に限った話ではなかった。合掌抄帷は、それを自覚していた。
「――俺からも一個、聞いていいか?」
物思いに耽る寸前。間一髪踏みとどまったのは、その問い掛けがあったからだった。
「なに?」
「アンタってさ、自分に興味ない感じ?」
戻しかけた視線が止まり、静の顔を見ることが出来ず。抄帷は中途半端な虚空を見つめながら、一秒固まった。
「――そ、れは……」
言葉に詰まる。何を言うべきなのか、咄嗟に判断が出来ず、先を続けられずにいた。
焦っていた訳ではなかった。ただ、図星だった。
――――
「あー、やっぱそんな感じか」
ひた隠していた訳でもなかった。
ただ、伝える必要を感じていなかった。
理解の及ばぬ異常に苛まれ、助けを求めておきながらしかし、合掌抄帷は自らを救うこと、自らが救われることにほとほと無頓着だった。
「――そんな風に見えてた……?」
ただ。それらが周りの……自分以外の誰かに看破されるとは思っていなかった。
困惑は、自らの擬態の露呈に対してだった。
「まー、なんとなくな」
「……ちなみに、どの辺りで」
「名探偵と遭遇した日によ、現地に付いてくかどうかみてーなすったもんだあったろ。あの辺りが一番わかりやすかったな」
言われるまで忘れていた。それ程に瑣末な、些細なやり取り。
――ご相談に乗って頂いている事については、本当に感謝しています。けど私は、私自身の問題に無責任なまま助けられる為にここに来た訳じゃありません――
言葉には、それ以上の意味はなかった。
自らの問題、その解決に誰かの手を借りるだけならばまだしも、自らは安置からただ傍観するだけなどというのは、あまりにも道理が通らない。そう思っての言葉だった、筈だった。
だが。
「アレって多分、マジで実務的っつーか……〝そうしないといけない〟みたいなメンタルの言葉だったろ?俺らに申し訳ねーとか、てめぇのケツはてめぇで!みたいなんじゃなくてよ」
〝そうあるべき〟。その認識こそ、言葉の裏の真意。そして今こそ暴かれた、合掌抄帷の本質そのものだった。
「はじめは、なりの割にはえらく肝の据わったお嬢さんだなー、とも思ったけどよ。アンタのソレは、図太いとかじゃねーんだな、っな。要は、てめぇ自身が大して大事じゃねーから、あぶねー橋もひょいひょい渡れるっつー感じ、ってな」
言葉を失う。
詳らかにされた本質は、前提を覆す。
即ち、『では何故花蕗静に助けを求めたのか』。
自らを軽んじている癖に、その身を救うために誰かの力を欲した。その矛盾は、助けを求めた先……花蕗静の信頼を粉々に打ち砕くに足る代物。
心の内はわからない。
花蕗静の言葉を認めず……それこそ軽口で一言「そんなことないよ」とでも言えば、恐らく彼はこれ以上、この話題について言及することはないだろう。
だが、認めてしまった。
誰あろう、合掌抄帷自身が。炙り出された自らの、醜い矛盾を。暴かれた真実として、認めてしまっていた。
「――――……」
言葉は見つからない。そもそも、この場に相応しい言葉などがあるのだろうか。
異変は間も無く収束するだろう。
異端者・阿島京介の手によって、思惑通り合掌抄帷は自らを蝕む異常から解放される。だがそれらは、決して自身ただ一人では辿り着くことの出来なかった筈の顛末。
奔走し、奮闘し、それこそ身を粉にした花蕗静になにかを返せるでもなく、ただ無為にその気遣いに泥を塗って。
「――……」
謝らなければいけない。
なにに対してなのか。そこになんの誠意があるのかもわからない。それでも一つ、謝罪の言葉を口にしなければならない。それがたとえ自己満足と罵られようとも、ここまで自身を連れてきてくれた彼に、謝らなければいけない。
けれど。そう思って開いた口が言葉を紡ぐよりも先に、合掌抄帷の逡巡は、
「あー、誤解すんなよ。だからどーって話じゃねーし、悪いことだみてぇな説教たれるつもりでもねーからな」
彼の言葉を借りるなら、先回りして庇われた。




