『潮時』
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「やべぇ騒ぎになっちまったな」
道端の隅に身を隠しつつ、静がうんざりとした口調で呟く。
へし折られた電柱と、砕け散った残骸。街行く人らからすれば、前触れ無く現れた異常事態。雑踏は野次馬の群れへと変わり、現場は騒然となっていた。
隔絶空間内で発生した破壊は現実世界と連動する。
阿島京介による廃ビル破壊の時点で確定していた情報ではあったものの、いざ当事者として現場を目の当たりにした静は、背中に冷たいものが伝うのを感じずにはいられなかった。
隔絶空間で発生した建造物に対する破壊は現実世界にもフィードバックされる。これは先日、阿島京介によって引き起こされた廃ビル倒壊からも判然としていた事実。加えて、隔絶空間と現実世界の時間経過は共通。
朝の賑わいの只中で発生した破壊に、誰一人が巻き込まれなかった理由は、偶然以外のなにものでもなかった。
「そう考えりゃ、結構無茶苦茶やったんすね、阿島さん。よくまぁ死人が出なかったもんだわ」
「あの時は奴との距離が詰めきれなかったからな。君と合掌さんの二人を同時に助けるには、あの方法が最善だと判断した。勿論、俺のパラドクスの能力ありきではあったがな」
阿島京介の表情は硬い。指摘されるまでもなく、本人も言葉ほどに、自らの行動が手放しで正しいものだったとは思っていないことが容易に見てとれる、苦々しい表情だった。
「……そいつぁ便利で羨ましい限りですわ」
してもしきれぬ感謝なら、既に昨晩伝えている。表情に対しての言及はせず、静が話題を変える。
「それで、こっからどーすんすか探偵諸兄。俺らの想定より、相手はよっぽどイカれてらっしゃるみたいだけどよ」
隔絶された空間において隠匿されるのは、生きた人間のみ。誰彼をも巻き込みかねない状況で、躊躇うことなく振るわれた破壊と凶刃。そして男の口にした……利己的過ぎる歪な感情。はらわたの煮える様な苛立ちと共に想起されたそれらに対する不快感も顕に、静が語気を強める。
「……」
隣に立った抄帷が、静の顔を見上げる。
覗き込むような、目を凝らすような。感情の乗らない無表情の中に、微かな戸惑いの色を滲ませるその視線に、見られている当人が気付くことはなかった。
「奴の人格については一先ず置いておくが、結論からいえば尻尾は掴んだ」
一瞬だけ。視線を抄帷へと向けながらしかし、京介はすぐに静へと向き直る。
「まじいってんすか。あの短時間でどーやったんすか」
「調査中ではない。切っ掛けは君と奴との交戦だ」
京介が自らのこめかみを指で叩く仕草を交える。示す先は、彼自身の有する、逆理の異能。
「俺のパラドクスは高精度なソナーみたいなものでな。個人の詳細は無理だが、個別に所在地を確認することができるんだ。で、先程の交戦中だが空間の外と内、別々の地点に同時に、同一人物が検知された」
静が眉を顰める。
「ん、どーいうこった?ドッペルゲンガーみてーな話か?」
京介が頷く。
「内部での交戦で確信が得られたが、恐らく奴の能力は〝隔絶空間内への誘致+その内部のみで運用可能な執行者の生成〟だ」
「……空間の生成じゃなかったってことか?」
「あぁ……パラレルワールド、という言葉があるだろう。あの空間自体は既存の概念を流用しているだけで、奴の能力ではなかったのだろう」
「……意味わかった?」
静が抄帷へと目を向ける。
先程までの観察を中断しながら、抄帷は首を振る。
「つまり奴にとってパラレルワールドという概念は空想上のものではなく実在しているという認識の前提があって、奴の能力はその前提を元にして構成されているということだ。……まぁ、分かりにくい話な上に本筋ではないから、一旦この話題は置いておこう。とにかく重要なのは、君が奴と交戦していた間、奴と同一の人物がこちら側の別地点にもいたという事実だ」
別々の地点に、同時に同一人物が存在していたという、矛盾。加えて目撃した、人の姿を模した歪な傀儡。理屈は分からずとも直感的に、静は一つの回答へと辿り着く。
「――分かりやすくって助かるぜ。要はそいつが……」
再び、京介が頷く。
「――能力者本体と考えるのが妥当だろうな」
「一応聞くんすけど、細かい場所までもうわかってるんすか?」
「先程の交戦以降、件の人物の位置は補足し続けている。ここから1km程の場所だな」
「おあつらえ向きだな。そんじゃ、ちゃきちゃき行くとしましょーか」
言いつつ、立ち上がりかけた静を、
「いや、駄目に決まってんじゃないっすか」
ぴしゃりと、小理が遮った。
驚いたように目を丸くする静。咄嗟に返す言葉に詰まるその姿に向け、小理が追い打ちをかける。
「さっきまでと違って相手の場所がわかってるんすよ。京介一人で事足りるところに、わざわざ危険承知で花蕗さんらを連れてけはしないっすよ」
「いやまぁ、言ってることはわかんねーじゃねーけど。だからってここまできて、後はよしなに!で芋引けってのかよ」
「そうっす。大人しく待機してて欲しいっす」
「なんだってそんな……」
反論を口に仕掛けた静が、口を噤む。
屹然とした強い眼差し。頑として譲らないという意思をはっきりと表明する表情。それらはしかし間違いなく、花蕗静の身を案じてこその言葉であることは、誰の目にも明らかだった。
「……」
再び、抄帷が静を見る。
先程までとは別種の……同じく見たことのない表情。
バツが悪そうな、居心地の良くなさそうな。そんな表情を浮かべたまま、静は言葉を探しているようだった。
「……そうだな」
静と小理のやりとりを暫し静観していた京介が、小さく呟く。彼からの言葉こそは予想外、と。静が視線を京介へとぶつける。無論、阿島京介は花蕗静の感情を鑑みない。
「囮としての役割は既に完遂してもらった。ここから先、君達を無理に引っ張り回すことに大きな意味はないだろう。小理の言う通り、この場で引き返すのが合理的だな」
苦々しい顔で言葉を聞く静。その目線は声の主ではなく、その隣の小理へと向けられていることに、抄帷だけが気付いていた。そんな中、京介の言葉は「その代わり」と続いた。
「容疑者の確保と無力化までが完了した時点で、顛末の報告は必ず行う。仔細包み隠さずに、な。それだけは俺が保証する」
苦悶の表情と呼んで差し支え無いだろう、苦々しげな面持ちのまま、視線を小理から京介……そして隣に立つ抄帷へと向け。やがて、観念したように静が両手を挙げる。
「――了解だ大将。ここらでのんびり、茶の一杯もしばいておくことにするよ」
言葉に、京介が頷く。続けて――心底安心した様子で、申し訳なさそうな微笑みと共に小理が、
「――ありがとうございます、花蕗さん」
感謝の言葉を口にした。
「……なにがありがたかったんだよ、ってな。言っても仕方ねーけどな」
阿島京介と明智小理。
異端を追う二人の背中を見送りながら。決して誰かに向けてではなかった、その小さな呟きを。合掌抄帷だけが、確かに聞いていた。




