『偽りの結末』
「無事か、花蕗」
砕け飛び散る鎖の破片。それらを意にも介さず、視線は既に静へ。上から下、その全身を流し見ながら、京介が問い掛ける。
「……お陰様で未だ五体満足っすわ」
答えながら、静は京介の手元を見て顔を引き攣らせる。
先程まで確かにそこにあった男の衣類は消え失せ、残されたのは束ねられた鎖のみ。爆散せんと飛び散ったその中心に突き立てられた京介の拳は、それらを貫通し地面へと到達していた。コンクリートの地面には抉れ跡が出来ており、それが京介の拳によって付けられた物だと疑う余地は皆無だった。
人外の膂力。その結果としてもたらされた破壊はそのまま、根拠不明のままだった阿島京介の〝対処可能〟という言葉の厳然たる証左そのものだった。
「……こっちは死ぬ思いの命からがらだったってのに、嫌になるぜ全く」
「……なんというか、すまん」
溜息混じりの苦言を真に受けて、京介は僅かにバツが悪そうに頭を下げる。普段ならば事のついで、もう一言二言軽口を叩くところだが、今の静にそんな余裕は毛ほどもなかった。
「頼りになりますねって話っすよ。助かりましたわ」
言いながらその場に座り込み、大きく息を吐く。そんな静の姿と、歩道端の中途からへし折られた電柱、散らばるその残骸とを順繰りに見やった京介が……本当に、心底感心した様子で言葉を漏らした。
「アレを、一人で退けたのか……」
決して静に向けた物とは言い難い、ほとんど独り言の様な声量。それでも、静寂ばかりが蔓延るこの異界の中で、言葉ははっきりと静へと伝わった。もっとも、言葉を額面通りに受け取れる程の戦績である自覚はなく、言われた当人は殊更肩をすくめるばかりだった。
「そんな格好付く話じゃねーですよ。実際オーラスで退けたのは阿島さんじゃないっすか」
本心からの言葉。そしてその自己認識は、恐らく正しい。
組み伏せた直後こそ自らの勝利を宣言したあの状況はしかし、結果から言えば極めて刹那的な時間稼ぎにしかならなかった。優劣を競っていた訳でもなかったが、それでも最後の最後、花蕗静は確かに敗北していた。
阿島京介の現着があと一歩遅ければ、やはり地に伏せていたのは、花蕗静であった筈だった。
「見た目の割に自己肯定感が低いんだな」
「ただの適正な自己評価っすよ。内容自体に文句があるでもねーっすからね」
「そうか」
未だ疲労色濃い身体に鞭を打ち、静が立ち上がる。
状況は未だ不明の只中。満身創痍であるとはいえ、肉体的な損傷がない以上、これ以上悠長に座り込んでいるわけにもいかない。
そんな、痩せ我慢を多分に含んで……それでも立ち上がったその姿に京介が、極めて細やかな笑みを浮かべる。
「……なんすか」
「いいや、何も」
なんとも言えぬ居心地の悪さを感じながら、けれどもその原因たる男にたった今しがた命を救われてしまった手前、それ以上の言及も出来ないまま、静は誤魔化す様に頭を掻いた。
「そんで、結局コイツはなんだったんすか」
ようやっと一息ついた後、静が問い掛ける。
「さっきまで人の皮被ってたくせしやがって……鎖を操るー、みてーのがコイツの超能力じゃなかったんすか?」
京介が腕組みをして考え込む。
「想定していたものとは毛色が違うのかもしれないな。俺たちが思っているより煩雑な構成の能力なのだろう」
「まーた小難しい物言いを……詰まる所どういう話すか」
「…………恐らく俺や君のパラドクスの様に、どこでもかしこでも使える、といった汎用性のある能力ではないのだろう、という話だ」
不自然に溜めた間に首を傾げつつも、疑念の追求はやはり棚上げに、京介の言葉に軽く相槌を打つに留め、静は改めて周囲を見渡した。
「そいや名探偵とお嬢さんは?早目に戻らなきゃじゃないすか」
言葉に、京介が軽く頷く。
「二人なら、すぐ近くで待機してもらっている。すぐに合流しよう」
言いながら、京介は一直線に静の後方……目出し帽の男が姿を現した最初の地点へと向かって歩みを進める。
「合流って……そいやどうやってココから出るんすか。前回結局寝こけてたんでアレなんすけど」
「侵入時と同じ手順だ。生成された空間内に、現実世界への間口となる鎖が存在している。それを掴めば脱出完了だ」
「あのうねうねしてた鎖か。けどその場所ってわかるんすか?」
「俺のパラドクスで感知可能だ。ポイントの設定は奴の任意である可能性が高いから、闇雲に探すのは困難かもしれないな」
「……簡単に言ってくれますけど、阿島さんいなかったら詰むじゃねーすか、それ」
たった今、隔絶空間に引き摺り込まれてから、静と小理は100メートル程の逃走を繰り広げた。つまり最低でも、現状の空間の面積はそれ以上であるという事。それだけの広範囲の中から、たった一つだけ存在する脱出ポイントをノーヒントで見つけ出す。とてもではないが、現実的な話ではないように思えた。
問い掛けに明確な答えを口にしない。京介の対応それ自体が、静の言葉が正しいことの証明となっていた。
「ここだ」
京介が立ち止まる。
その背に追いついた静が覗き込むと、そこに〝それ〟はあった。
地面から生えるように伸びる不気味な鎖。
先程まで自身が交戦を繰り広げていたそれらとの違いがわからない静は怪訝な表情を浮かべる。その静の背中を軽く押し、京介が先を促す。
断るわけにもいかず、静が警戒しながら鎖を握る。
温度感のない、金属質な硬い感触。その手触りを確かめた、次の瞬間。
「――花蕗さん!!」
瞬きの間。
一瞬前までの異界は影を潜め、眼前に広がっていたのは見慣れた朝の景色。その只中に、顔面蒼白な明智小理が立っていた。
「……ご無沙汰、名探偵。元気してたかい」
言うべき言葉では間違いなくなかった。それでも、あまりにも深刻な面持ちの彼女を前にして、咄嗟に口を突いたのが常と変わらない軽口だったことに、静自身呆れた心持ちであった。
「〜〜――よかった、本当に」
場にそぐわない静の心境を他所に、小理が心底安堵した様子で脱力する。その姿に居心地の悪さと、申し訳なさを同時に感じながら、誤魔化すように静が視線をとばす。
小理の後方、二、三歩程の位置に、合掌抄帷が立っていた。
「よぉ、リトルガール。そちらは無事に息災かよ」
やはり溢れた変わらぬ軽口に辟易とすらしつつ、しかし、
「――大立ち回りお疲れ様。こちらは至って平和だったよ」
一拍分の間を空けて投げ返された、最早無遠慮でさえあったその言葉に。
「――はっ」
胸を撫で下ろしつつ、静が小さく笑う。
その笑顔の意図が汲み取れず、抄帷が微かな戸惑いを顔に浮かべる。
「えと、ごめん。間違ってたかな」
静が肩をすくめて、これを否定する。
「いいや、大正解だぜ全く。お陰で肩の力も抜けて良い塩梅だ……と、阿島さんは――」
「ここだ」
「ぅお」
探すまでもなく隣に立っていた京介からの声に静が小さく飛び退く。
「心臓に悪いっすわ、マジで。震えたぜ、ったく」
「ぬ、すまん」
静の不満に文句を言うでもなく、軽く謝罪の言葉を口にする。そんな京介に向けて、小理が拳を突き出す。
「おかえり京介、お疲れ様」
「ん」
京介もそれに倣い、拳を突き出す。互いの拳を軽くぶつけるその動作に、静が眉を顰める。
「え、なにそれ。お二方の定番?」
「え?あー、意識したことないっすけど、ちょっとした挨拶みたいな……え、やります?」
「いや、ダサいって。やんねーっすわ、拳こっちに向けんな」
他愛無いやりとり。それが束の間の仮初であることは百も承知で、それでも。花蕗静はようやっと、肩の力を抜いたのだった。




