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『逆理』

――


「……この世の終わりみてーな話だな。大概腹ぁ一杯だぜ」

 うんざりした様子を微塵も隠さず、静が脱力しながらごちる。そんな彼の反応に、小理は軽く笑みを返す。

「情報量多い話すからね。さらっとでもこんなもんすよ。深掘った話も出来るけど、ご所望っすか」

「勘弁してくれ。それでなくたって昨日からキャパオーバーだってのに、これ以上悩みの種増やしたくねーっての」

「そらそうすね。ま、話が大分脱線したっすけど、その明石一家の事件を皮切りに少しずつ……けど右肩上がりに、常識で説明の付かない様な怪事件が増えてったんすよ」


 旧来の未解決事件が抱える謎や疑問とは、一線を画す不可解。それらの事件の殆どは、未だ手掛かりの一つも見つけられないまま現在まで至っている。


「凶器が見つからないなんてのは序の口。殺害現場が特定できなかったり、死亡推定時刻が無茶苦茶だったり。そもそも被害に遭った方自体が見つからなかったり、パターンは様々っすけどね。その全てがパラドクス絡みって証拠は勿論ないってのも、まぁ確かなんすけど」


 静が軽く天を仰ぐ。

 常と変わらない、日常の空の下。変わり映えのない日々の、その裏側。薄皮一枚隔てた先に広がると語られた、逆説に蝕まれた現実。

 俄かには信じ難い。本来はそんな言葉で動揺を現して然るべき。それほどに、語られた真実は常理の範疇を外れた代物。だが。


 痛ましく傷付けられた肢体。

 弱々しくその名を呼んだ血塗れの姿。

 隔絶された異界の内側で目撃した合掌抄帷の姿と、自らの内に発芽した異質な異能。それらは花蕗静から、疑念を抱く寸暇を奪い去っていた。話は既に、真偽を問う段階などとうに過ぎている。

 横たわる事実だけが現実。だからこそ。


「……んなくだらねぇブームに乗っかって、好き勝手やられてたまるかよ」


 花蕗静は思考する。

 理解不能な超然の起源などではなく。

 連綿と連なる逆説の因果などではなく。

 今まさに、目前に差し迫る脅威。合掌抄帷の意思を踏み躙り、私欲のままに縛り付け痛めつける事だけを目論んでいるだろう異形の鎖。その主を見つけ出し、打倒する為の何か一つを見出す為に。


 静がスマートフォンを取り出す。

「どなたかに連絡っすか?」

「あぁ。もう一人お抱えの名探偵様に助力を請うんだよ」


 言いながらスマートフォンを操作し、耳元へ。

 三度のコール音を挟んで、目当ての人物が通話を取った。


『お疲れヒーロー。昨日は随分大暴れだったみたいだね』


 普段と一切変わらない温度感の遠野の声に、静は不覚にも肩の力が抜けるのを感じる。自らが、自覚していた以上に緊張状態を保持したままであった事に、僅かばかりの憤りを感じながら、それでも今は必要な内容の伝達を優先する。

「お陰様で、辛うじて生きてるよ。んな事より遠野、もう一つ頼まれてくれ」

『またか。ここ何日かは随分人使いが荒いじゃないか』

「詫びや礼なら後でいくらでもってやつだ。今はとにかく時間もねーし、頼らんのがアンタだけの案件なもんでな」

『……それは、例の廃ビルが残骸になった件にも関係あるのか?』

「御名答だ名探偵……いや、まぁなんかどうも、あそこが潰れたのは俺らが原因っぽいけど……」

 じとりと静が小理を睨め付ける。見られた彼女はと言えば、全くもって記憶にないとでも言わんばかりにそっぽを向くばかりであった。当然、そんな二人の無言のやり取りを計り知る術などないにも関わらず、遠野はどこか愉快そうに笑った。

『なるほど、思った以上に面白そうな方に話が転がっているみたいで安心したよ。何せ、情報伝えた舌の根も乾かない内に現場は倒壊、君からも連絡が来ないしね。連絡が後一日なかったら、喪服の準備を始めるところだったよ』

「スパイシーなジョークをどうも。……で、どうだ。頼めるか?」

 沈黙は無く。ただ、愉快そうな笑みの名残を声色の端々に滲ませながら。遠野が簡潔に、

『君にそこまで頼まれたら断れないね。いいよ、言ってみな』

快諾の言葉を口にした。

「恩に着るぜ観察魔。頼みの綱だ、期待してるぜ」

『お褒めの言葉は後に取っておけよ。まだ気が早いさ。それからそうそう。静、通話をスピーカーに出来る?』

 予想外の要求に、静が一瞬素で戸惑いを見せる。

「出先だぞ。何で急に――」

『今回の相談事は、今後の方針決めにも関わるんだろ。人伝説明は合理的じゃない。お隣のお姉さんとも情報共有しておいた方が手間が少ないだろ?』

「――心底おっかねーな、アンタ」

『それほどでも』


 気を利かせたのか、三歩ほど離れたところで待機していた小理を静が手招く。近寄ってきたそのタイミングで、スマートフォンの通話がスピーカーへと切り替えられた。

 未だ意図が分からず、戸惑いの色を隠せない小理へと向け、遠野の声が投げかけられる。

『はじめまして、阿島探偵事務所のお姉さん。友人が世話になっているみたいで、ありがとうございます』

 言葉に小理が……加えて静までもが絶句する。

 そもそも、昨日の通話以降これが最初の会話である以上、遠野が静達の動向を知る由はなかった筈だ。それをまるで千里眼でも持っているかのように、帯同者の存在を言い当て……終いにはその素性までを把握している。人間離れとしか言い表しようがないその言葉を、しかしそれでも何とか言及しない道を静は選び取った。

「こういう奴なんで、一先ず思い付いたツッコミ全部飲み込んどいてくれ。俺もおんなじこと考えてるからよ」

「………………はぁ」

 納得など到底出来るわけもなく、間抜けな声を溢すのがやっとの小理を他所に、スピーカー越しの遠野はひたすら事務的に淡々と、その先を口にする。

『交流を深めるのも勿論やぶさかじゃないけど、今は後にしましょうか。早速だけど、必要な情報は何?』

 静もまた、そんな遠野の言葉尻に乗る形で、具体的な依頼を口にする。

「俺らの地元……例の廃ビル近くに住んでて、最近離婚したか、嫁に出て行かれた男を探して欲しい」

『――想像よりシュールな依頼だね。なんだよ、それ』

「舐めんな。俺だって自分で言ってて訳わかんねーよ。ただ悪ぃが現状これ以上の手掛かりも取っ掛かりもねぇんだよ」

 数秒間、沈黙が流れる。

 

 ――いくらなんでも無茶か――?


 それでも現実として、定まっている指針はこれしかない。

 実際、縋る神とまでは言わないが、自身達から出てこない視点をもたらしてくれれば程度の、軽い気持ちでの依頼だったのも事実。

 遠野が難色を示すなら何か次の一手を考えたいところ、と。煮詰まり始めた思考を晴らしたのは、遠野の予想外の言葉だった。

『原因は?』

「――なに?」

『離婚の原因だよ。一口に離婚って言っても、原因は様々だろ?静達はどう言うシチュエーションで離婚した人間を探したいんだい』


 静と小理が顔を見合わせる。

「DV絡みっす!暴力とか束縛とか……とにかくタチ悪い系の!」

『するとそちらの尋ね人は、そもそも問題を抱えている人間の可能性が高いって事だ。なるほど、それならまぁ、何とかなるかな』

「マジか」

 静の直球の感想に、くくっと遠野が声を出して笑った。


『原因が暴力性にあって、その上で離婚が成立していると仮定するなら、そこに至るまでに当人達以外の人間が介入している可能性が高い。分かりやすいのは警察や弁護士、配偶者暴力相談の支援センターや……そうそう、探偵ってセンも考えられるね』

「け、けどそう言う場所が個人の情報聞いて教えてくれる筈無いっすよね。それじゃ意味ないんじゃ……」

『勿論。ばっちり個人情報だからね。けどそれはあんまり重要じゃない。なにせこちらが探るのは、その外側だからね』

「……その心は?」

『人の口に戸は立たないって話だよ』

「なんて?」

『警察も探偵も、当該人物の人となりを調べようと思ったらその近隣の人間にも聞き込みをする。それが結実したかどうかはさておき、少なくとも聞かれた当人の印象には強く残るだろ?〝あそこのご家庭って何か問題抱えてるのか?〟ってさ。そこらへんを聞き取りしてあげれば、意外と手早く目当ての人物まで辿り着けそうじゃ無い?』

 言葉に、静が思考を巡らせる。


 突如として発生した連続失踪事件。その起点を犯人のパラドクス発現タイミングと仮定したとして。あれだけの凶行を躊躇わない人格がそれより以前に、何一つ問題を抱えていなかったというのは考えにくい。

「……思った以上に抜けてんな、ったく。使えねー頭で嫌になるぜ」


 パラドクスという超然を前にしたが故の失念。そしてその視点は小理にも欠けていたものだった。超然とは未だ無縁の、遠野だからこそ出てきた発想とも言えた。

『素人考えだから期待され過ぎてもだけど……ひとまずこのセンで進めていいね?』

「最高だぜ名探偵。よしなに頼むぜ」

「……すげーお友達が居るんすね、花蕗さん」

 

 二人の会話を聞いていた小理が、感心した様に息を吐いた。これに静は誇るでも無く、謙遜するでもなく。極めて平坦な口調を伴って頷いてみせた。

「だいたい何でも知ってる便利屋みてーな男でね。どん詰まった時にゃ引く程頼りになりますよ」

『何でもなんか知りゃしないさ。大部分は予想と予測、当てずっぽうとさして変わりはないよ。俺からすれば〝離婚した人間〟ってとこまで条件を絞った事の方が余程信じ難いけどね。どうやって目星を付けたんだい』

「……折見て説明すっから、今は勘弁してくれ。上手い事話せる自信がねー」


 パラドクスについてをひた隠しにするつもりは無かった。それでも今この場での言及を避けたのは、言葉通り、自らですら理解の浅い超能について正しく言語化出来る自信がなかったから。そしてもう一つ。通話越しの観察魔の興味の矛先がパラドクスに移る事を嫌っての事だった。事が落ち着けばそれもやぶさかではないかもしれないが、今はとにかく容疑者の捜索に全力を尽くして欲しいという静の思惑だった。

『ま、期待して待ってるよ』

 恐らくは、そんな彼の思考も透かして見ていたのだろう。遠野もそれ以上を深く尋ねる事はせず、極めて簡素な相槌を返すに留めた。


「んじゃ、こっちはこっちでバタついてっからよ。急に頼んじまって悪ぃが、そっちは頼むぜ」

 通話を切ろうと、締めの言葉を口にする静。それに応えた遠野の言葉に、

『請け負ったよヒーロー。情報価値が失われるより先にお届け出来る様にしよう』

ふと、静と小理が等しく眉を顰めた。


 ――情報価値が失われる。遠野は確かにそう言った。

 現状において、犯人の個人情報の価値が喪失する場面など、想像もつかない。無論、常と変わらない軽口の可能性もなくはなかったが、それにしても言葉の選び方には違和感があった。


「割と引っ掛かる物言いするじゃねーか。どう言う意図だよ」

 そんな場合ではないと理解しつつも、思わず食い付いたその言葉に、遠野は……彼にしては珍しく、やや驚いた様な声色で応える。

『そのまんまの意味さ。そもそもこの尋ね人は、例の人攫い不審者なんだろ?で、君達は既にソイツと一度エンカウントしているね?』

「……つっこまねーからな。続けろよリポーター」

『その上で、静。君は俺に連絡をよこしている。経緯はわからないけど、結果昨晩は命からがら逃げ仰た……ちなみに確認だけど、この認識で正しいかな?』

「あぁ。めでたく急死に一生を初体験させて貰ったぜ。それがどーしたよ」

『どうもこうも、それだけさ。そもそも今更追う必要も無いところを調べようって言うなら、成果の評価は〝如何に早く〟の一点だけだからね』

「――……アンタ、さっきからなんの話してんだ?」


 会話が繋がらない。同じ話題について言葉を交わしているのに、何か致命的な意思疎通が出来ていない。不気味な違和感の原因にはしかし、心当たりがあった。


「……遠野、一つ聞かせろよ」

『なんだい?』

「犯人の不審者野郎は昨日、俺と合掌を取り逃してる。ついでに奴さんにゃ合掌を確実に捕える手段がある。その上で、奴は次にどう動くと思う?」


 慎重になり一時的にでも犯行を止め、姿を眩ませる。

 或いはその執着から、合掌抄帷誘拐を強行するか。

 静達が想定していたのは、基本的にはこの二つ。不審者の心理が自己保身か、目的達成、そのどちらを優先するかを天秤に乗せた推測に基づく二択。


『邪魔者の排除を優先する、かな』


 違和感の原因は、たった一つの掛け違い。

 犯人が次に取るであろう一手。そこに対する認識が、静達四人と遠野とで全く異なっていたのだ。


『短期間に近隣で犯行を繰り返してる事から、住居とまでは言わないが、この辺りを根城にしてるセンが高い。その前提で、犯行現場を目撃された上に取り逃がしてる。時間経過と共に追い詰まっていくのが確定してるなら、先ずは邪魔者を取り除く。その上で、これで最後になるかもしれない自分の獲物は、確実に仕留める』


 認識を違えていた。


 マーキングは未だ健在。なんらかの手段を講じて接近する事さえ出来れば、彼女の捕縛自体は容易。ならば、狙われるのは彼女では無い。

 異能を持っているかもしれないイレギュラー。合掌抄帷の関係者。そして……明確に一度、あと一歩で殺害が出来ただろうところまで追い詰めることに成功した、バグ。


『だから本当は探す手間なんか掛ける必要も無いのさ。遠からず、奴は必ず君の前に現れるよ、静。今度こそ、次は必ず君を仕留める為にね』



 ――――


 静と小理が身を震わせる。

 

 空気を引き裂き、地面を震わせる。白昼堂々鳴り響いたのは、鎖の絡み合う金属音。

 昨日と同じく、周りの歩行者に何をか気にする様な素振りはない。明らかに、音は静と小理の二人にしか聞こえていなかった。

『どうかしたかい、押し黙って』

「……聞こえてらっしゃらねー様で残念だぜ。こっから先はてめーらでなんとかしなされよって事だな」

『ふぅん?』

「……アンタの読みはバッチリだったって話だよ」


 再び鳴り響く異質な金属音。それは明らかに先程よりも大きく、体感として間違い無く二人へと向けて接近してきていた。

「花蕗さん!」

 小理が身構えながら、周囲へと意識を飛ばす。

 小さく一つ呼吸を整えて、静が口角を上げた。

「急用入っちまったからよ、悪ぃが切るぜ」

『おや、トラブルかい?』

「大した話じゃねーよ。そっちの方はくれぐれも頼んだぜ、遠野」

『……いいよ。精々泥舟に乗った気分で、ドーンと構えておきなよ』

 小さく笑い、静が通話を切る。


 遠野の予測は正しかった。

 そして、奴の狙いもまた、正しい。

 唯一明確に、奴を確実に打倒できる阿島京介は今この場には居ない。分断後の奇襲タイミングとして、これ以上はないだろう。


 ――但し。不審者にはただ一つ、見落としがあった。


「散々好き勝手やってくれやがって。これ以上、テメーの思う通りに事が運ぶと思ってくれんなよ、超能力野郎」

 パラドクスを有する異質な不審者。彼はたった一人、花蕗静という人格を見誤っていた。


 程なく。一際大きな轟音が静と小理の周囲を塗り潰し。


 今再び、世界は暗転した。

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