『全ての悪の免罪符』
2006年関東某所。閑静な住宅街の一角で起こったその事件は、その余りの猟奇性と異常性から報道管制を掻い潜り、瞬く間に全国を震撼せしめた。
明石一家惨殺事件。その呼称は21世紀を迎えて間もない……未だ世紀末の混沌と、言語化困難な薄ら暗い社会の空気を色濃く反映した最後の事件として、当時の人々の内に深く刻み込まれた。
「世紀末ねぇ。話は聞くけどピンと来ねーよな。言ってもたかだか二十数年前に、いい歳喰った大人どもが、こぞって世界が終わるかもしんねーってキャッキャしてたなんてよ。殆ど集団ヒスじゃねーか、んなもん」
「私も世代じゃないんであれっすけど、割とガチっぽかったらしいっすよ。テレビの討論番組とかでも大真面目にこの世の終わりについて語ってたらしいすからね」
「すげー時代感だな、ディストピア待った無しじゃねーか。しまいにゃ世界はつつがなくと来りゃ、肩すかしエグすぎて脱臼しそうなもんだけどな」
「まぁ実際の所熱量に差はあったみたいですし、誰もがこぞって明日の来ない日ばっか見据えてた訳でもなかったでしょうからね。とは言え時代背景として、むかーし昔や今現在とはかなり毛色の違う雰囲気が世の中全体にあったのは確かっぽいすね」
乱痴気騒ぎと呼んでも障ない、一種異様な時代も終わりを告げ。景気の回復・技術革命による情報社会化が一層加速し始めた近代黎明期の転換点を嘲笑うかの如く、その事件は起きた。
「関東某所……っつってもほぼバレ済みなんすけどね。ある住宅街の一角で、家の家主……明石総一を含めた一家全員が惨殺されたってのが、ざっくりな事件の概要っすね」
被害者は明石総一、妻の雛、長男の仁に長女瑠璃の四名。発見当初、遺体の損壊が余りにも著しく、自宅での犯行であったにも関わらず被害者の身元特定に時間を要した事も、事件の影響力を加速させる一端であった。
「とは言え、メインで話題になったのはその殺害方法と犯人自身だったんすけどね」
「聞くの嫌だなー……どうせアレだろ、バラバラ殺人とかよ、そっち系だろ」
「ペシャンコ」
「…………は?」
「被害者全員、油圧プレスで圧縮されたみたいに真っ平だったらしいす」
被害者は皆一様に原型を留めていなかった。ただし肉体の各部は全て現存しており、遺体そのものが死後損壊された形跡は皆無であった。
ただ、押し潰されていた。
比喩表現などでは決して無く、被害者の肉体は何らかの大きな力によって圧縮され、圧殺されていた。その結果は言わずもがな、人の形を保っていられる道理などある訳がない。
「――……あぶねー、一瞬想像しかけたわ。断り無しのブラクラは役所で禁止されてるって知らねーのかよ、名探偵」
「断り入れたらブラクラじゃないじゃないすか……気持ちはめっちゃわかるっすけどね。余りの押し潰され方に、噂じゃ検死もままならなかったらしいすからね」
「……そらまぁ、人力でどうこうなる話じゃねーわな。けどだからって〝よっしゃこいつぁ超能力者の仕業だぜ!〟とはなんねーだろ。何きっかけでそんな方に話が飛んだんだよ」
「尾鰭付きすぎてどれが真実かイマイチ微妙っすけど……一番は犯人が名乗り出てるってとこすかね」
「……まじ?」
事件発覚の切っ掛けは明石宅……犯行現場の固定電話からの入電であった。そしてその電話の主こそ、自らを犯人と名乗る人物であった。
連絡を受けた担当も。念の為にと現地へ向かった警官も。その内容が真実だとは露とも思っていなかった。
性質の悪い悪戯。そう断じながら現場に赴いた警官達を待っていたのは、おおよそこの世の物とは思えぬ地獄絵図……理解不能な阿鼻叫喚であった。
加えて。連絡を寄越した当人……犯人を名乗る人物を目撃した事。これにより、当時の現場人員は混乱の坩堝へと叩き落とされる事となった。
「明石真。犯人を自称したのは、被害者一家の末子……当時七歳の少年だったんす」
「……情報量が多すぎて頭痛くなってきたぜ。なんだそのトンチキな話は。第一そんなガキの戯言、誰が信じるってんだよ」
「その通りっす。結局警察やマスコミは、殺害に使用されたであろう凶器の特定も、殺害方法も。勿論、明石真以外の目ぼしい容疑者一人を見つける事も出来ないまんま今日まで来てるんすよ」
残されたのは事実だけ。
あの夏の日、被害者宅にたった一人生存した人間・明石真が実存していた事。そしてその彼自身が、自らを一家惨殺の犯人であると名乗った事。それら歪な事実だけが、皆目不明な真実の前に横たわっていた。
「……そんで、その犯人様は今何処だい。少年法とかつまんねーオチつけないでくれよ」
「その心配はいらないっすよ。何せこの明石真……もう死んでるんすから」
「……これ以上情報増やすのは勘弁願いたんだけど」
歪に潰れた故人達の血で満たされた部屋で、明石真は自らの命を絶った。握った包丁で喉元を一突きに。突入した警察官達の眼前で、何の躊躇いもなく。
「その直前。明石真が生前言い放った最期の言葉。それがこの事件をただの猟奇殺人ではなく、未だ未解決な都市伝説に変えたんす。そして、その一言があるから、私と京介はこの事件こそ、パラドクスの起点だと思ってるんす」
――――
末期。
誰しもが驚愕と混乱の只中にあって動けず、自らの喉元へ凶器を突き立てるその動作を咎める為の声一つ搾り出せない、極限の異常事態。
歪な遺体。
血塗れの部屋。
息を呑む警察官。
その全てを嘲笑って、明石真は言い放った。
『アンタ方の大好きな現実の、今日が命日だ。この先は、逆説が蔓延る釜の底だ。長生きしたけりゃ皆様方、精々丁寧な暮らしを心掛けて、どうぞ』




