『狼煙』
「二人とも、悪いが今日一日は学校を休んでもらう」
飲み終えた各自のカップを回収し、洗い物を終えた後。阿島京介から放たれた言葉に、静と抄帷が顔を見合わせる。提案そのものでは無く、異端者・阿島京介の口から『学校を休む』などという、日常と地続きな、極めて俗っぽい言葉が飛び出してきた事に対しての驚きこそが、二人の共有した感覚だった。
もっともそれは、二人の間だけに流れる体感。当然、京介は、そんな二人の機微などは意に介さない。
「現状最大の懸念材料は、奴のパラドクスの能力射程距離だ。繰り返しにはなるが、この部分だけは最早予想の立てようもない。何せ失踪者の足取りが件の廃ビルしか特定出来ていない訳だからな」
「それを踏まえて独身貴族の炙り出しってのは中々難儀な話だな。宛は丸っ切りないもんかね」
「ないな。だから、決めてかかる」
書類棚から大き目なファイルを取り出し、ぱらぱらとその中身を捲る。やがて、目当ての頁に辿り着いたのか、捲るその手が止まった。
開かれた頁が全員に見える様、静が腰掛けるソファの前、ローテーブルにファイルを置く。他の三人がこぞって、開かれた頁を覗き込む。
それは、地図。
静達が通う高校近辺の略式地図。例の失踪者達が通っていたとされる高校についても明記があった。そのうちの一箇所。名称未記入の建物を京介が指差す。周囲の立地から、示されたその場所こそが昨日の廃ビルであると、皆が気付くのに、それ程時間は要さなかった。
「奴と交戦したこの地点を中心に半径2km。この範囲を虱潰しに捜索する」
「……因みに2kmの根拠は?」
「勘だ」
なんとなく予想していた通りの言葉に、静が肩をすくめる。とは言え、確かに。現時点において捜査範囲を絞り込む方法がない上に、人員がたった四人しかいないことを考えるならば、多少決め撃ちでも目安を作るに越した事はないだろうと、それ以上の異論を唱える事はなかった。
「捜索というと、具体的には?明智さんがしていた様に、聞き込みですか」
「基本的にはな。ただ並行して……そうだな、今一度明言しておかなければならないが、二人には覚悟を決めてもらう必要がある」
抄帷の質問に対する回答の途中、突然毛色を変えたその言葉に、静が疑問を挟む。
「急にまた物騒なワード持ち出すじゃないっすか。二人ってのはどう言うお話で?」
「昨日君達がやろうとし……そして実行した策の焼き直しだ。詰まるところ、君達には囮になって貰いたい」
「ちょ、京介!」
小理が思わず声を荒げる。その顔には微かな怒りと、大きな疑念の色がありありと映し出されている。
「確定情報が余りに乏しい今、もっとも確実に奴を釣り上げる方法として、既にマーキングされている合掌さんを囮にするという発想は合理的だ。褒められる手段でない事は認めるがな」
「褒める貶すの話じゃないでしょ。子供達を、分かりきってる危険の中に飛び込ませるなんてあんたらしくもない。もっと別のやり方を探すべきでしょ」
「言い分はもっともだ。だが、残された時間が余りに少ないという問題が残っている」
「時間……?」
小理の疑念に軽く頷いて、京介が抄帷を……正確には着用された制服を指差す。
「彼女の通っている学校が奴に割れている。地元の女子高生ばかり連続で狙っている様な奴だ、彼女の制服を知らないという事も考えにくいだろう。その上でマーキングが外されていないという事は、奴は明確に彼女を諦めていないと考えられる。それが任意か、能力の制限的な問題なのかはわからないがな」
同じ異能を有する第三者の出現。
方法は不明ながら、自らが作り出した異界を容易く退けた見知らぬ男。実際のところ確かに、紙袋の男にとって、これ以上合掌抄帷に執着する理由はない筈であった。
「てめぇの能力で、てめぇの思い通りにならないなんて事があるのか?」
「走り始めた肉体は急に止まれないだろう。あれと感覚的には一緒だな。構造的に、発動した能力を任意で解除出来ない可能性と言うのは多分にある」
「なるほどね。それなら間違い無く後者だろーな。お嬢さんに固執するにゃ、条件が厳し過ぎんだろ」
「その場合考えられる能力の終了契機で最も想像し易いのは、拘束対象の喪失。即ち――」
「私の死亡、ですかね」
よもや、当事者自身が言葉の先を続けるとは予測していなかったのか、京介と小理の表情が刹那強張る。
言葉は確かに、京介の意図通りのものであった。加えて、事態がここまで進んでしまっている以上、中身の無い配慮や気遣いが時間の無駄でしか無い事も確か。それでも、相手は子供。言葉遊びの類では無い、窮地を実際に体験した後の想像は現実味を帯び、聞くものを萎縮させる。そう、侮っていた。小理も、京介ですら。
「詰まるところアンタが身投げすりゃー話が早いって事かよ。どうしますよ、リトルガール」
ただ一人。花蕗静を除いて。
「これでも若い身空だから出来ればご遠慮したいな。代替案ある?」
「そら勿論。とびっきりシンプルなのが」
傲慢不遜。
凶悪と凶暴をそのまま体現した様な笑みを浮かべ、静は京介へと向き直る。
「ともかく二度と俺たちに付きまとってやろうと思えねー位痛い目みせてやればいいんだろ?囮もクソも、あっちからせっせと出向いてくれるんならこんな有難い話もねー。釣れた所をふん縛ってやるよ」
慇懃無礼。
丁寧な表情のその奥で、一切怯む様子を見せずに抄帷が先を続ける。
「見ず知らずの不審者に怯えながら日々を生きると言うのも肩が凝りうだしね。と言う事で、餌でもなんでも、私に利用価値があるのであればどうぞ使ってください」
狂気と冷気。
二人が放つそれぞれの圧力に、小理が思わず身じろぐ。
――花蕗静は何かしらの狂気を抱えている。
昨日の交戦、その際彼が見せた鬼気迫る姿は明らかに常軌を逸していた。故にこそ、明智小理は阿島京介に花蕗静の危険性について提言をしていた。
結果。阿島京介は彼を危険性のない人間と判断した。彼の判断がそうである以上、小理も強く否定は出来ない。それでも、今の彼が放つ気配は堅気の、ただの少年のそれとは到底思えぬ代物だった。
だが。小理が目を剥いたのは、彼にでは無かった。
「とんでもねー自己PRだな。んな火の玉みてーな思想の奴、ベンチャーだって使い難いだろ」
「やれる事は少ないから。成果を求めるなら多少なり身を切らないと」
それに、と。抄帷は冷たい光を瞳に映したまま、言葉の先を続ける。
「実際に焦っているのは、例の不審者かも知れないから。攻め入るタイミングがあるなら、行くべきでしょ」
言葉に、静と小理が目を見開く。そんな二人へと向けて、抄帷が更に言葉の先を続ける。
「敵の全容が把握出来ていないのは、あちらの不審者も一緒。どころか、奴は既に花蕗君と阿島さんを見ている。十中八九単独犯であるだろう奴にとって、私達に追加の協力者がいないと判断出来る要素 は無い。その上でマーキング解除が任意で出来ないのなら、今時点というのは奴にとって、不本意に自らの痕跡が残されている状況。証拠隠滅の為にも、自らのエゴの実現の為にも。是が非でも早急に私を捕らえたいと考えるんじゃ無いかな」
「なるほどね。そんな中で分かりやすく俺らが捜索して、上手い事それが紙袋に漏れ伝わりゃ尚僥倖。焦り散らかして無茶してくれりゃ、めでたく炙り出し成功って訳だ」
「うん。だから、そこを狩る。宛てがないのは変わらないけど、可能性だけなら十分底上げ出来ると思う」
小理の驚愕。その向かう先は、合掌抄帷。
澱み無く語られる言葉には説得力があった。確証が担保されない現状を打開する為の策として、言い分は至極真っ当であった。問題は、その言葉を口にしたのが狙われている当の本人だった事。
具体性の無い、遠い未来のリスクでは無い。既に一度その身を襲った、現実的な脅威。陥った狂気の窮地を生還しながら、今また其処へと足を踏み入れる可能性について自ら言及する。明らかに、普通の感性ではなかった。
「はっ」
花蕗静が笑う。灼き尽くす様な光を映す瞳はそのまま抄帷を見据える。心底愉快そうな、満足そうな、それは奇妙な笑みだった。
「可能性上等。どのみち砂漠で砂粒攫うみてーな話してんだかんな、足向けらんねー話だぜ」
「お気に召した様でよかった」
その瞳を真っ向から受け、尚動じず。口元一つ動かさず、抄帷が応える。それは、異様な光景だった。
「話はまとまったな」
阿島京介が静かに……しかし即座に場に沈黙を齎すに足るだけの響きを伴った声で、全ての会話を制する。
「最終確認だ。捜索対象の条件付けはさっき言った通り。その上で出来る限り広範囲、多人数に向けて聞き込みを行う。その際狙われる可能性がある合掌さんと花蕗は別行動、俺と小理と帯同して二手に分かれる事にする」
「妥当じゃねーの。組み合わせは?」
「合掌さんと俺、花蕗は小理とだ」
「……花蕗君達危なく無いですか?それ」
「安見積もりしてくれんなよ、ったく」
抄帷に他意はなかった。というより、この捜索において安全を担保可能な人材はただ一人、対処可能を明言している阿島京介のみなのだ。京介が含まれない面子には、どんな組み合わせであれリスクが付帯する。
もっとも、抄帷は既に知っている。
そんな合理のみに寄りかかった勘定が、目の前の同級生に通じない事を。
「八割九割、紙袋が突っかかってくんのはそっちなんだ。人の心配してる程余裕ある訳でもねーだろ。こっちはこっちでなんとかするから……明智さんが」
「その流れで他力な事あんすか?」
憎まれ口は相変わらず。故に変わったのは、それを受け取る側の心持ち以外に有りえなかった。
「心配してのるのは明智さん。花蕗君は申し訳ないけど、自分で頑張って」
この言葉に、改めて小理が目を丸くする。
昨日昨晩会話を重ねて抱いていた印象とは大きく乖離した、棘のある物言い。彼女はますます、合掌抄帷という人格に対して疑問を深めていった。
「了解だデコイ。そちらも精々怪我なき様にってな」
加えて。一歩間違えれば辛辣そのものでしかなさそうな言葉を向けられながら、尚一層機嫌良さそうに笑みを深める花蕗静に対しても、また同じく。
「……最近の学生ってみんなこんなんなんかね。歳を感じるわ……」
「それは主語が大きすぎるな」
溜息混じりの小理の感慨に、京介は釘を刺す。
珍しい言葉の挟み方をする、と。思わず見やった京介の表情は、やはり真顔。
その中に、確と滲んだ朗らかさに、
「彼らだから、だろう。全く、物珍しい二人だ」
長く付き合いのある、小理だけが気付いていた。




