『起床』
「――あり得る話だな」
京介自身、思考の着地点として候補には存在していたのだろう。抄帷の呟きに対して言葉が返されるまでには、それ程時間を要さなかった。
「なんだそら。要は奥さんに出てかれた男の僻みみてーな話って事かい。なんとも締まらねーなぁ」
「そこまで短絡的かどうかは知らないが……例えば能力発現の源泉が死別だったなら、君の言う通り能力の効果対象は『死』という現象に向くだろう。加えて言えば一点気になっていたのは、能力そのものの殺傷力の低さだ」
不可視の鎖。隔絶空間への幽閉。その過程においてこそ対象の意思を踏み躙る暴力性を伴いながらしかし、それぞれの能力はそれ自体に相手を傷付ける具体的な効果が存在していない。それは確かに、言われれば全くその通りな違和感だった。
「対象の拘束を至上目的としつつ、相手を直接的に攻撃しないパラドクス。奴の深層心理には、可能な限り無傷で対象を幽閉したいという欲求があるのかもな」
「……無傷、ねぇ」
不愉快そうに、静が抄帷を見る。
彼女の姿の一体どこに、無傷の要素があると言うのか。
「あくまで『可能であれば』程度の認識なのだろう。実際奴は拘束後の彼女を殺傷しようともしていたしな。ここら辺の自己矛盾も、パラドクス能力者にはありがちな精神構造だな」
「有難いお話です事。んじゃなにか、俺らの当面の目標は嫁に逃げられた独身貴族の捜索って事でいいのかよ」
「言葉にすると幾分間抜けた話だがな。大筋はそんなところだ」
「……やっぱ、なんとも締まらねー話だなぁ」
溜息混じりに不満を口にする。
——仕方はない。
抄帷はそんな姿を見ながら、内心で彼の言葉に頷いていた。
兎に角、手掛かりが少なすぎる。
阿島京介の分析、自らの推測にしても、全ては憶測の域を出ない代物ばかり。挙句捻り出された捜索条件が『離婚した元既婚者』では、年単位を費やしても特定出来るか怪しい。
「それでも、探し出さなければならない。さもなくば、昨日と同じ事が繰り返されるだけだからな」
そんな、皆目先の見えない捜査を前に、尚一層阿島京介の言葉が重くのしかかる。その圧力に思わず身震いしそうになった抄帷は、次の言葉を見つける事が出来なくなっていた。
そんな重苦しい空気が三者の間を満たした、丁度そのタイミングだった。
「……皆さん、朝早すぎないっすか…」
身だしなみも何もない、なんともズボラな寝巻き姿の明智小理が、扉を開けて入室してきた。
「今日は幾分早かったな」
「まだ眠いけどね……コーヒーって私の分もある?」
「あぁ、ホットでいいか?」
「……アイス飲みたい……」
「わかった。淹れてこよう」
軽く交わされる会話には、傍目からでも伝わる程の親密さがあった。これ以上の重苦しい空気を嫌った訳でもなかったが、静がからかい半分で口を開く。
「関係ねーけど、阿島さんと明智さんってどんな関係なんすか?ただの所長と従業員って感じでもねーすけど」
「……いや全く、色っぽい話はなんもないっすよ」
寝惚け眼を擦りながら、デスクチェアの一つに腰を下ろす。放っておけばもう一眠りしそうなその姿に可笑しさを感じながら、静が続けて尋ねる。
「割と興味あるけどな。超能力持ちの探偵所長と、女従業員の馴れ初めなんざ、他所で中々聞けるもんじゃないし」
この問いに、小理に代わって京介が答える。
「二年程前、少し大きなパラドクス関連の事件があってな。その捜査の際に知り合ってから今日まで、彼女の力を借りている」
「へぇ、阿島さんが」
「俺は少し……いや、そうでもないとは思うのだが……威圧的な人間に見られる事が多くてな。彼女の様に誰とでも軽やかに接する事の出来る人間が側にいてくれると、非常に有難いんだよ」
「あー、それは……なるほど」
少しだけ軽くなった空気の中で。今度は京介が納得いかない様子で一つ、溜息を吐くのだった。




