『検討』
「二人とも早いな」
午前六時を過ぎた頃。戸を開けて、阿島京介が事務所に姿を現した。見やるや向けられた言葉に、二人は軽い会釈と共に朝の挨拶を口にする。
「おざますー。そちらこそ、大人は朝が早くて大変すな」
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。急な外泊で不便を掛けたと思うが、二人ともよく眠れたか」
「お陰さんで」
「快眠でした」
「それは結構」
戸を閉め。昨晩そうであった様に、京介が澱みない手付きでコーヒーの支度を始める。習慣化されているだろうその動作を見やりながら、ふと静が尋ねる。
「名探偵は寝坊すか」
「小理は夜型らしくてな。もう一時間は起きてこないだろう」
「……まぁ確かに、ぽいっちゃぽいな」
「合掌さんもコーヒーでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
答えを受けて、京介がもう一組コーヒーカップを棚から取り出す。風体にはまるで似つかわしくない、細やかな作業を目の当たりにした抄帷がやや面食らった様な顔をする。方や、既に昨晩似た光景を見たばかりの静は、そんな不釣り合いに気を揉む事はせず。代わりに実務的な……今後の方針についての疑問を投げかける。
「ほんで大将。指針は決まったんですか」
あぁ、と相槌を打った後。一拍、思考由来の沈黙が流れ、京介が口を開く。
「ある程度は。ただ、その為にも先ず幾つか前提条件を確認する必要がある。……合掌さん、腕の痣は未だそのままか?」
言葉での回答の代わりに、抄帷が袖を捲り、自らの腕を正面へと突き出す。
昨日の交戦時に負った数多の擦過傷。その手当ての為に巻かれた数多くの包帯とテーピング。その痛ましい姿に、静の表情が僅かに曇る。
一方、阿島京介にとってこれは単なる確認作業でしかない。傷付いた姿に心を痛める様子は全く無く、顕にされた細腕へと視線を落とす。
テーピングの隙間。剥き身の細腕に刻まれた、傷とは異なる異様な跡。不気味な痣は、今尚健在であった。
「やはり消えないか」
短く呟かれた言葉に、静は昨晩のやりとりを回想する。
――マーキング。
刻まれた痣は、二人を襲撃した者の手によるものであり。想定されるその役割は、二つ。
一つは、隔絶空間への強制誘致。
マーキング済の対象を現実とそっくりな……しかし全く異なる断絶した異界へと引き摺り込む為の印。
もう一つは、対象の強制物理拘束。
鎖を伸ばし巻き付けるという過程を省略し、対象を鎖で拘束する。その為の楔。
「昨晩の話の続きになるが。マーキングが担っている役割についてだが、これは恐らく『どちらも』というのが正解だろうな」
「……状況的には、ま、そーなるわな」
未確定情報を根拠に事を断定する事を嫌っての発言だったのだろう。昨晩自らが提示した仮定を再定義しながら、京介が先を続ける。
「ただ現状最も肝心な効果範囲……射程距離が全く不明なままだ。こればかりは推論を軸に考えるにも限度がある」
「昨日の感じだったら割と近場じゃないんすか?俺らが掴んだ鎖も、結局お嬢さんのすぐ近くから生えてたんだし」
「体感だけで言えば、俺も恐らくそうだと思う。ただ、確証はない。万一奴のパラドクスの射程距離がある程度長距離……とまではいかずとも、流動的に変動する類のものである可能性も否定は出来ない」
「……別に阿島さんに文句言う訳じゃねーけど、わかんねー事多過ぎね?」
「それはまぁ、超能力だし」
「そんなん言い出したらなーんも進まねーじゃねーか」という静の不平に対して、京介が補足する。
「昨夜も伝えたが、個々のパラドクス能力に一貫性はない。その上で、能力が干渉する領域も様々だ。能力の仔細を計り知る事は困難だ」
「わかりやすく火ぃ吹くとかって話じゃねーよって事な。けど、それがわかったトコで手詰まりには違いねーだろ」
正体不明の異能。
一時の交戦を経て、尚全容のわからない能力。静と抄帷が頭を捻り、その有り様の分析を試みている中。ただ一人、阿島京介の視点のみが異なっていた。
「身近に誰か……直近で大事な人をなくした人間に心当たりはないか」
突然話題を振られた抄帷の表情が固まる。問われた事それ自体に加え、意図のわからないその内容も、彼女の動揺を増長させた。
それでも切り替え、僅かばかりの逡巡を挟んでから、首を横に振る。
「思い当たる事は特に。……確認ですが、〝なくした〟とは、死別という意味でいいんですか?」
「限定はしない。最もわかりやすいのは死別だが、単に離縁、離別……形はどうあれ家族や、それに類する人との別れを経験した人間ならばなんでも」
「急にどんなプロファイリングなんすか、これ。意図がわかんねーすけど」
言葉は抄帷の代弁としても機能する。
二人から向けられた疑問に対して、京介は変わらず、澱みなく答える。
「パラドクス能力の素地は逆説だが、その源泉はその内面の本質……噛み砕けばエゴに由来するケースが多い。能力が作用して塗り替えられる現象それそのものが、その能力者にとっての禁忌という訳だ」
自らの手首を掴み、握り締める動作を交えながら、言葉は続く。
「鎖による拘束、隔絶空間への転送。共通項は束縛、孤立、不自由。その対義となるのは――」
「……自由で、縛られない?」
軽く頷き、京介が自らの手を離す。
淹れ終わったコーヒーカップを二人へと配り終えると、自らも一口コーヒーを啜る。
「拘束の対義として自由を捉えていると仮定するなら、奴にとっての自由とは、自らの管理下に置けない者。あるいは自身の思い通りにならない事。そのエゴを成立させる体験として最もわかりやすいのは、別離だろう」
「……言わんとする事はわからねーじゃねーけど、そんな経験大なり小なり誰だってするもんだろ。それだけで個人を特定なんざ無理ゲー過ぎんだろ」
「能力の全容解析が不可能な以上、手元にある情報から推論を立てる他ない。憶測の域を出ない事は認めるがな」
「……いや、おっしゃる通りで。今のは俺が悪い、申し訳ない」
静の謝罪を「不要だ」と、片手で制しながら。京介がその手を口元へと寄せる。
「ただ、そうだな……恐らくだが死別ではない、単純な別離のセンが高いとは思う」
「なぜですか?」
「拘束方法に暴力性が付帯している点。予測だが、自身から離れる選択を行う他者の意思を歪めてでも自らの管理下に置きたいという感情の歪みに由来しているのだと思う。死によって齎された別離で、亡くなった人間に対して暴力を以て拘束しようという発想は出て来にくいんじゃないか」
「あー。まぁ、確かにそうだな。パラドクスってのの論法的に、それなら死人を生き返らせる!みたいな能力になりそうな気もするな」
「だが実際には、能力が作用しているのは事象ではなく対象だ。生きた人間を捕らえ、閉じ込め、管理する。恐らくはパラドクスの有無以前に、何かしら人格に問題を抱えた人物である可能性は高いかもな」
パラドクスから逆算される人物像。それは確かに京介の言う通り、極めて危険性の高いものだった。
自らの欲望の為に、その意思を歪め、他者を束縛する。
異能の有無は最早関係が無い、それは間違いなく異質な異常者に他ならない。
「考えるだけおっかねー話だな。そんな奴法治国家に放り出すなよな」
「内面性は兎も角、表向きは一般人の可能性も高いとは思う。こればかりは本人を割り出さない事には断言出来ないがな」
「離別……拘束……束縛」
炙り出された幾つかのワードを反芻した後。ふと、抄帷が思い付いたようにぽつりと呟いた。
「既婚者、ですかね」




