『幕間』
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早朝。
部屋の戸が開かれ、空いた隙間からひょっこりと合掌抄帷が顔を覗かせる。
時刻は5時半。前日の狂騒と負傷を上回ったのは、長く染み付いた習慣であった。目覚ましを要することも無く起床した彼女は、昨晩話し合いの場として使われた事務所へと顔を出していた。
特段に目的があったかと言えば、そうでも無く。見知らぬ場所を探索する様な、軽い心持ちであった。故に。
「……朝早すぎね?負傷者A」
既に起床し、身支度を整えて寛ぐ花蕗静の姿に、僅かばかりの驚きの気配を示した。
「そのままお返しします、負傷者B」
「減らず口結構。思ったよりしゃんとしてんじゃねーか」
不遜に笑うその表情に笑みを返す事はなく、かと言って不機嫌な様子も無く。開け放った扉を後ろ手に閉めながら、抄帷は静の方へと歩み寄る。
「花蕗さんも、随分良くなられたようで安心しました。頭は大丈夫なんですか?」
「強気な悪口みてーなご心配ありがとよ。お陰様ですっかり万全、元気一杯だよ。そちらさんは?」
「怪我はまぁ、痛いには痛いですが。昏倒するほどではないです」
「ちょいちょい棘あるのなんなん?」
「そんなつもりは……すみません」
「いや、冗談だ。真に受けるタマでもねーだろ」
静の座るソファ。その正面で立ち止まり、ちらとその表情を覗き見る。
不適な笑み、と言う形容をそのまま具体化した様な、朗らかさのかけらも無い微笑。ただそれが、悪意を源泉にした代物でない事を、合掌抄帷は知っていた。思い知らされた、と言ってもいいだろう。
静もまた、抄帷を見据える。
昨日という異界を生き延びて、その上で常と何ら変わらない淡々とした風体。だが、よくよく窺えばその中に、言い表し難い小さな違和感が紛れている事に静が気付く。
「……なぁ」
「はい」
「何か言いたい事でもあんのか?」
「――なんで、ですか」
「ツラよ、面。真面目顔が曇ってるぜ」
嘘であった。
合掌抄帷の表情それ自体に、常との違いは全く無かった。
静が感じ取った違和感はあくまで感覚的な、雰囲気の様な曖昧なものであった。その不確かさに真実味を含ませる為の、彼の小さな嘘。
その効果は覿面で。抄帷は自らの頬を指で摘みながら、バツが悪そうに頷く。それを見て、静は内心首を傾げる。違和感を察したところで、そこに含まれる感情については心当たりがなかったからだった。
抄帷が頬元から指を離し。次の瞬間、ガバッと大きく腰を折った。緩急の付いた突然の動作に、静が思わず半身を引く。
「なになになに、急に怖いってなんだよ」
そんな静の動揺さえも纏めて塗りつぶしたのは、頭を下げたまま発せられた合掌抄帷の、
「――ごめんなさい」
ひたすら愚直な、謝罪の言葉だった。
「初めて花蕗さんを訪ねた日。言っていた、自分に頼むべきではないという言葉は正しかった。昨日同行を却下した花蕗さんの判断は正しかった。私は全部間違えて、その結果として花蕗さんを危険に巻き込んでしまった。だから、ごめんなさい」
沈鬱な様子ではなかった。
悲壮感など微塵も無い、ただ淡々と事実を述べ、謝罪を口にする。その姿は或いは、反省の色味もないまま口先だけを回している風にさえ見えた。
けれど、知っていた。
余りにも短く……けれど途方も無く濃密な数時間を共にした、花蕗静は知っていた。
感情の起伏に乏しい——その上で、ただひたすら真摯で愚直な、目の前の少女の事を。
花蕗静は合掌抄帷を知らない。
これまでどう生き、今何を思う、どう言った人間なのか。その本質、本性。それら一切を知らない。或いは、言葉は正しく響きの通りで、彼女自身の内側に思いやりの欠片も転がっていない可能性も多分に存在している。
「……信じるに値する人間だと信じる、ね。なるほど、良いこと言うぜ」
「え?」
独りごちた言葉は小さく、抄帷の耳には届かなかった。その代わりに、静は今改めて言葉を口にする。但しそれは、思い返された阿島京介の受け売りでは無く、軽口に乗せた花蕗静の本心だった。
「安く見積んなよジャッジマン。アンタに背負って貰わなきゃなんねーほど、こちとら薄っぺらじゃねーんだよ」
下げた頭を上げながら。吐き捨てる様に言い放たれた言葉に対する動揺は見せず。抄帷はただじっと、静の言葉の続きを待つ。
「面白半分で首突っ込んだのも、アンタの帯同に頷いたのも、結局最後は俺自身だ。そのツケをアンタ様に払わせようなんざ夢にも思ってねーし、皆々一切自分のせいだなんて思い上がられちゃたまったもんじゃないね」
ソファから腰を上げ、静が立ち上がる。
正面に立つ抄帷を見下ろす形のまま、その先を口にする。
「ついでにこの際はっきり言やぁその鎖の痣も、結果引き摺り込まれたあの裏面みてーなところも、そこで起こった諸々も。丸ごとひっくるめて、あのイカれ野郎が原因だって事も忘れんなよ。そこ履き違えるとまーた面倒くせー話になるからな」
——だから、合掌抄帷は悪く無い。
負うべき責任などどこにも無い、純然とした被害者。それ以上でも以下でも無い。言葉の指し示すところは、誰の目にも明らかだった。
ただ一つ。その直後、肩をすくめながら続けられた一言。
「それにまぁ、あれだ。その論法を引き継ぐんなら、俺の方こそみたいなところが拭えねーしな」
その意味だけがわかりかねて、抄帷は疑問を表情に浮かべた。
「なんでもねーよ。気が向いたらその内にな」
「はぁ……」
それ以上説明をするつもりは全く無いらしく。二、三身体を伸ばして、再びどっかりとソファに腰を降ろす。
抄帷もまた、それ以上の言及をする事はなく。手近なデスクチェアを動かし、そこに座った。
一時の沈黙。
音の無い部屋の中で二人、思惑顔で黙する。
それを破ったのは、静だった。
「そいや一個聞きたかったんだけどよ」
「はい?」
「なんでアンタ、ずっと敬語なの?」
「……なんで、って事も特にないですが。おかしかったですか?」
「おかしかったかって言えば、おかしいだろ。そもそもタメなんだから、別に普通でいいだろ」
「はぁ。ただまぁ、特に親しい間柄でもなかったので」
「——死線を潜り抜けた仲が?」
「——確かに」
一拍の間。顎に指を添えて考え込んだ後。
「じゃ、敬語は無しで。改めてよろしく、花蕗君」
あっさりと言ってのけたその姿に、静が破顔した。
「切り替え早すぎてウケる。躊躇えよ少しは」
「……それも冗談?」
「ったり前よ。わかってんじゃん」
笑みの中。眼光だけは鮮烈に、帯びた光の熱をそのまま掬い取っただけの圧力を伴った言葉が続く。
「この期に及んでゲスト扱いもねーだろ。生憎こっちも、めでたく当事者だ。遠慮も配慮もいりゃしねー。精々お互い役立てる様心掛けるとしようぜ」
「どうだろ、自信ないな」
「弱気かい、リトルガール」
「――いいえ、二枚舌。幸い餌役は慣れたものだからね」




