『推論』
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「長髪だと手入が大変そうだな」
腰元まで伸びた髪を首元で適当に結ぶ花蕗静を眺めながら、阿島京介が口にする。
言葉自体に深い意図があった訳でもないらしく、その先の言及があるでもなし。風体に似つかわしくない細やかな手付きで、コーヒーの準備を続ける。
「染めて伸ばして、好きにやってるもんでね。多少は気ぃつかいますよ。面倒くせーけど」
「なるほど、そういうものなのか」
とは言え、言葉を流し聞いているという訳でもないらしく。作業の手はそのまま、表情には言葉通り感心した様な、納得した様な気配が漂っていた。そんな……言ってしまえば俗っぽい姿に、そこはかとなく肩の力が抜ける様な感覚を覚えながら。促されるまま、静は先程まで自らが横たわっていたソファに腰を下ろした。
「今時の学生というのは自由が効くんだな。俺が通っていた高校では、染髪もピアスも禁止だった」
「上っ面の年代をカテゴリ分けに使わなきゃモノ言い表せない様な歳でもないでしょって……ちなみに阿島さん、お幾つなんすか」
長身屈強に、表情の機微に乏しい強面に巨大な丸眼鏡。とても堅気には見えず、年齢の予測が立たない風体であった。——それにしても、
「25だ」
予想外すぎる回答に、静はあんぐりと口を開ける。
「……マジで思ってるより若いじゃないっすか。その歳で探偵事務所の所長って、どんな人生送ったらそこに着地するんすか」
「形だけだがな。あくまでパラドクスに繋がる情報を集めるのに、こういう形式が最も効率が良いと踏んだだけだ」
「こういうっつーと?」
「怪しい、寂れた探偵事務所という形だ」
「…………あー」
初対面の強面が口にするには、自虐の気配が色濃すぎる言葉に。それが果たして冗談なのか、本心なのかを測りかねた静の口からは、形容し難い間抜けな感嘆ばかりが漏れ出した。
応対として適切か否かはさておき、少なくとも気分を害した風は微塵も見せず。ソファ前に設置されたローテーブルを静の前へと移動させた後、京介はコーヒーカップを二人分並べる。
「酒の一杯も出そうな空気感で、小洒落たモン出しますね」
「学生に晩酌を勧める程埒外ではなくてな」
ローテーブル前に椅子を設置し、自らもようやく腰を落ち着ける。
「口に合えばいいが」という言葉と共に促され、静が一口コーヒーを飲む。
「苦いっす」
「コーヒーだからな」
言いながら、自らもコーヒーを飲むその姿を眺めつつ。この二日、やたらとカフェインに縁があるなと。静は、場違い過ぎる感想を抱いていた。
「あんま飲まねーんだけどな、普段」
「口に合わなかったか?」
「いや。こっちの話だし、美味いっすよ」
「それは良かった」
一時の沈黙が場に流れる。
静は相手の出方を。
京介は言葉の切り出しを。
互いに探っている部分こそ違えど、最適解を導き出す事が出来ぬ状況だけが共通していた。思考の拮抗、その結果としての静寂をやがて、先に破ったのは静であった。
「――なんでさっきの場で説明しなかったんすか」
ぴくり、と。京介の眉が動く。
「今更合掌に聞かせたくない、なんて小綺麗な理由じゃないんでしょ。それでもサシでってのを選んだの、何か理由があるんですか」
「必要理解度の差というだけだ」
カップをテーブルに置き、京介が続ける。
「彼女にとってパラドクスとは、自らを付け狙う災厄の様なモノだ。危険性や対処法、予後策については知っておいて欲しいが、そこより先……異能全体の具体的な詳細までを理解する必要はない。むしろ今、思い悩む要項を無為に増やす方が彼女の負担になると判断した」
「安見積だけが優しさかね。アイツは他所から眺めてる傍観者じゃなくて、ど真ん中の当事者だぜ?知らねーで怯えるより、知ってて構える方が賢く思えるけど」
「彼女を軽んじている訳ではない。だが人は、体感していない知識に共感はし難く設計されている。見えない物を、それを見えている何者かと同じ水準で理解する事は難しい」
「霊感ゼロの奴が霊媒師は出来ねーみたいな話か」
「噛み砕けばな」
コーヒーを更に一口飲み。京介の言葉は続く。
「だが、君の場合はそうもいかない。パラドクス能力者と会敵し、生き残り、今や自身もパラドクスを保有している。君の言を借りるなら、君こそは既に、今回のあらゆる事象の当事者となっている訳だ」
「——さっきから言ってるけどよ。それ、なんの根拠があって言ってんすか」
——自らの内に横たわる、異質な感覚。気の迷いや気のせいなどと言う生半な言い訳を断固として許さない、確たる実存の手触り。それは確かに、疑いようもない現実だった。
だがそれはあくまでも己の内……花蕗静の内面にのみ浮かび上がる異能であり、外から眺め見て判然とする類のものではない。
そんな不確かな、目に見えぬ根拠を前提として、阿島京介は言葉を紡いでいる。彼に何が見えていて、何を見ているのか。その根源を測りかねて零れ落ちた言葉だった。
「合掌抄帷の証言、侵入直後俺自身が確認した鎖の迎撃動作、その後の昏倒。条件は揃っているし、この期に及んで君のパラドクス保有を疑う方が余程無理のある話だ」
不可視の鎖。
その目的が拘束か、殺傷か。今となっては確かめる術の無い……しかし間違い無く、悪意に塗れていたであろう、異質な鎖。音も気配も無く忍び寄ったその凶弾を撃ち落とした際の異様な感覚を、静は思い返していた。
「……土壇場で超能力に目覚めるってのに憧れ抱かねーガキは居ねぇだろーけどよ。いざ我が身の事となると、どうにも素直にゃ喜べねーな」
自分という生き物が根本から変質する感覚。
存在していなかった筈の機能が生まれ、今も変わらず、その身の内に滞留している事を自覚出来る。その全容と、使い方も含めて。
「——長くパラドクス能力者を追っているが、この能力の根本的な発現要因は俺にもわからない。君の様に、本来あり得ぬ窮地に立たされた際、偶発的に発現する事もあれば、日常の中で脈絡なく発露する場合もある。能力の発現、それ自体の原因や理由は考えるだけ無駄だ。……今の所はな」
「簡単に片付けてくれるじゃねーかよ。こちとらあっちもこっちも、今日まで当たり前に信じてた〝当たり前〟が崩れてぐったりしてるっつーのに」
「ここが核心ではないからな。話したいのはこの先の話だ」
「先?」
小さく頷いてから、京介が二本指を立てる。
「当座の問題は二つ。一つは、君がパラドクス能力者である事が奴に露見した事」
脳裏を掠める、紙袋の異常者。その姿に僅か、底冷えする様な不快感を静は感じていた。
「パラドクス能力者同士がエンカウトするケースというのは、実際のところ殆どない。奴にとってみれば、自身だけが保有している筈の超能力と同種の力を持った赤の他人が突然現れた訳だ。つまり——」
「……相手の出方が読めないって話か」
京介が肯定する。
「警戒の結果として形を顰めるならまだ良いが、既に複数人の人間に危害を加えている奴だ。君を排除対象と見做して危害を加えてこないという保証は存在しない」
「——考えたくもねー話だな」
辟易とした様子で顔を顰める。そんな静に対して「もう一つは」と京介が続ける。
「パラドクスについてわかっている事は少ない。だがその保有者は、逆説を素地にしたその性質上、現代社会に対して好ましく無い思想や思考を抱く場合が多いのは確かだ」
敷かれた規範。倫理や道徳。それらを一個人の能力で踏み越える。そんな力を有していれば確かに、人は容易くそれら現代社会の規律の外へと雪崩落ちる。想像に難く無い話であった。
——だからこそ。花蕗静は理解する。
今この場において、善性と悪性。敵か味方かを推測っていたのが、自分だけではないという事実を。
「君がもし、その身に宿ったパラドクスを以て悪逆を働こうというならば――看過する事は出来ない」
阿島京介にとって今や、花蕗静は単なる保護対象ではなく。観察を要する危険性を孕んだ、監視対象だった。




