『侵食』
「それで」
開いて閉じて。やがて観念した様に、自らの手から視線を外した静は、それをそのまま京介へと向けた。
「これからどうするんすか。あのサイコ野郎と……合掌を」
——懸念は数多。
その中でも最も問題だったのは、ここに至って尚、未だこの二人——阿島京介と明智小理の目的が不明瞭である点だった。
パラドクスを社会の蠧害と断ずる彼らが、では一体どんな立ち位置でそれらを追っているのか。捕獲か、或いは殲滅か。そしてまた、それらに関わりを持った人間に対する処遇をどうする腹づもりなのか。花蕗静にとって最も重要な部分が丸々ブラックボックス状態だった。そして、いくつかの駆け引きの果てにそれらを推し量ろうとするには、もうこちら側の手札が無さすぎる。
故に、真っ向から問い掛ける。
答え如何によって、対応は当然都度考え改めなければならないのだろうが、それでももう今は言葉を飾らず、真意を隠さず。今思い付く限り、花蕗静の考え付く、これが最良の選択であった。
「彼女の安全に関しては、全力を尽くす」
静の真意を汲んで、京介が軽く頷く。
「現状推測でしかないが、彼女の腕の痣は何らかのマーキングだと思う」
「マーキング?」
京介が自らの腕を掴む仕草を交えて、説明を続ける。
「あの空間内で君が迎撃した鎖の軌道は、奴から君へと撃ち放たれたものだった。だが、彼女の腕を絡め取った鎖については文字通り、過程を経ずして顕現していた」
「……そうなのか?」
静の言葉に、抄帷が頷く。
「絡みついた直後の感触もなかったので、感覚的には本当に、突然そこに鎖が現れた様でした」
「恐らく、そういう条件付けのパラドクスなんだろう。マーキングが施された対象を任意に固定する様な性質だと思う」
「……随分断定的に言うじゃねーすか」
「過去に似たタイプのパラドクスと会ったことがあるだけだ。詳細は異なるがな」
肩をすくめる京介。その言葉を基に、静が推論を組み立てていく。
「じゃあ、俺をとっ捕まえようとしてた鎖とは別モンって事か?」
「多分な。最も、そのマーキングが物理的な固定についてのみなのか、分断された空間への出入りに対してなのかは今一判然としないがな」
隔離された異界。
足を踏み入れたあの場所へ、飛び込む契機となった、揺らめく地面から生えた様な、鎖。その有り様を回想しながら、静は眉を顰める。
「前者じゃねーの?俺があの変な場所に入ったのは、こっち側に生えてた鎖ふん捕まえたタイミングだぜ?そもそも俺には痣ねーし」
「空間への侵入経緯が違う。俺や君は自らすすんであちら側へ入ったが、彼女は自らの意思とは無関係に取り込まれている」
京介の言葉に、抄帷が同意する。
「……瞬き一つの間に、気付いたらもうあの場所でした。手前で、変わった事はなにも思い当たりません」
「物理拘束と空間への取り込みがイコールか否か、今のところ判断材料が足りないのは間違いない」
人差し指と中指。立てた指が静へと向けられる。
「現状考えられるパターンは二つ。一つは、マーキングが物理干渉のみに適用されるパターン。ただこれは相対した感触と彼女の証言からも、それ程驚異ではない。少なくとも、俺の手の届く範疇であれば、十分対処可能だ」
「簡単に言ってくれるなー……」
後一歩。残り一手を取り違えれば確実に最悪の結末を迎えていただろう状況の打破を容易いと言い切る、その呆気なさに半信半疑で舌を巻く。そんな静の複雑な胸中は一旦棚上げに、京介が一本指を折る。
「もう一つは、何らかの条件付けの下マーキング済の対象を自動的に隔絶された空間に転送するパターン。可能性としてはこちらの方があり得そうな上に、対策が難しい。なにせ現時点において、転送の条件が殆ど不明だからな」
「単に距離、とか」
件の廃ビル前は元々、失踪者の一人の消息が途絶えた最終地点。前後の文脈を整理しつつ、静が改めて考察を口にする。
突き出した指を下ろしながら、京介が頷く。
「十分有り得る線だな」
頷きながらしかし、それでなくとも強面な顔を更に一層険しくする。
「問題は確証の不在だな。転送要項を満たすのが常にあの廃ビル周辺なのか、それとも任意で変更可能なのかが判然としない限り安全を担保する事が出来ない」
「ので、合掌さんには少しの間ボディガードを付けようと思ってるっす」
言葉の後を追って、ここまで沈黙していた小理が軽く胸を叩いてみせる。
「そらとんだVIP待遇だな。けど名探偵、そのリアクション的にアンタが黒服やるつもりか?」
「そらもう、ご自宅からお出掛けまでばっちりお守りするっすよ」
——ばっちりとは。
言葉にならない静の不審を察して、京介が補足する。
「移動時は基本的に俺も帯同する。詳しい説明は省くが、眼前であれば転送が行われても俺なら対応出来るからな」
「……ま、それなら安心ですわな」
「含みがあるっすね」
それはそうだろう、とは口には出さない。そもそも、あんな異常に対して、対応出来ると断言出来る阿島京介の方がおかしいのだ。静の懸念は決して、明智小理を軽んじてのものではなかった。
「不服っす」
思惑が、伝わったかは別問題だが。




