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『逆説の異能』

「君とって……どういう――」

 困惑の渦中にて漏れ出した疑念の言葉。その呟きと、それに伴う思考の一切を

 

「うおぉい!起きてる!!」

極めて場違いに響く、明智小理の声が寸断した。


「手当は終わったのか」

 視線を小理へと向けながら、やはり淡々と。男……阿島京介が問い掛ける。その鉄面皮を前に、小理の額に青筋が走る。

「〝終わったのか〟じゃないわ!目、覚ましたらとりあえずすぐ報せてって言ったよね?私」

「……今声を掛けに行こうと――」

「思ってただけでしょ」

「…………すまん」

 圧倒する小理と、分かりやすくたじろぐ京介とを交互に見て、静が目をぱちくりさせる。

 言うべき言葉を探しあぐねているその姿へ、小理の視線が向く。

「具合はどうっすか、花蕗さん」

 軽やかながらも穏やかな言葉に、毒気を抜かれた風に静が頭を掻く。

「まだちょいと頭痛ぇだけで、他はなんも。あ、後引くほど筋肉痛」

「あの状況切り抜けて、そんなもんで済んだんなら御の字っすよ」

「……そらまぁ、そうなんすけどね」

 釈然としない様子で、静は頬杖をつく。


 と、その明智の後方から。


「花蕗さん!」

 合掌抄帷が姿を現した。

 姿に、常と変わらぬ軽口を叩こうとした静の口が、止まる。

 貸し出していたスカジャンは既に薙ぎ払われており、顕になった学生服は全身くまなく薄汚れ、所々はほつれたり破れたりしている。顔の何箇所かには絆創膏が貼られている。スカートから覗く足には無数の包帯、テーピング。

 阿島京介の言葉を鵜呑みにした事を、静は激しく悔やんでいた。目の前の姿が無事だというなら、果たしてどこまでいけば重篤だというのか——。


「随分と目を覚まさなかったので、心配しました」

 だが。向けられたのは、こちらの身を案じる言葉だった。

 恨み言でも。怨嗟の言葉でも無く。

「——……そちらも息災な様子で大変結構なこって」

 絞り出した軽口に、常のキレはなかった。

 そんな彼の内情を知ってか知らずか。心底安堵した様子で胸を撫で下ろす抄帷の姿に、益々バツの悪さを感じた静は誤魔化す様に矛先を明智へと向ける。


「起き抜けで頭ぁ未だ回ってないんですけど。結局あの後ってどうなったんすか?明智さんが骨、拾ってくれたって事でいいんですか?」

「それだと死んじゃってるじゃあないっすか、花蕗さん……私は救援呼んだだけっす。花蕗さん助けたのは、こっちの仏頂面っすよ」

 静の視線が京介へと向けられる。

 京介は小さく頷きながら、言葉の先を引き継いだ。


「タイミングはギリギリだったがな。奴のパラドクスが生成する空間は、現実世界とは分断されるらしい。侵入経路が完全に絶たれていれば、干渉不可能だっただろう。条件がいまいち判然とはしないが、空間への経路が閉じ切っていなかった理由の一端は間違いなく、君と奴との交戦が――」

「待って待って怖い怖い」


 京介が言葉を止め、眉を顰める。心底、遮られた理由が分からないらしい。

「初対面の強面がいきなり知らねー単語交えてガーッと喋ってくるの怖すぎんだろ。情緒ぶっ壊れてんのか」

「ぬ」

「挙句にゃその内容が干渉だー空間だーって、SFかっての。着いていけなさすぎて逆に内容は入ってきたわ」

「理解してもらえたなら、喜ばしいのだが……」

「入ってきて、その上でわっかんねーっつってんの!」

「……すんません。ウチの駄目所長が……」

 小理が半ば泣きそうな顔で頭を抱える。その隣では抄帷が興味深そうに静と京介のやりとりを静観している。

 

 ——誰も手綱握らねー談義って地獄なんだな……。

 深い溜息を吐いてから。静は軽く手を挙げて、発言の意思表示をした。

「お手を煩わせて大変恐縮だけどよ、出来れば順序立てて説明願いたいんだけど、構わないですかね」

 言葉に、小理が京介を見やる。その目に、一瞬前までの軽さは一切なく。真剣そのものな眼差しであった。

 眼差しを返す事はなく。京介は静へと向けて、深く頷く。

「勿論だ。君には俺の説明を聞く権利がある。……いや、聞いてもらうべきだという、俺のエゴだがな」

 京介の言葉に、静はもう一度肩をすくめる。

「どっちだって構いやしねーですよ。情報貰う側としちゃ、どっちにしたって大差ないですしね」

「そう言って貰えると助かる。ただ、順序立ててと言うと少し難しいな」

「順不同でもいぃんじゃない?花蕗さんは今一番、何から知りたいっすか?」

 小理の助け舟に京介も乗じ、場には花蕗静の言葉を待つ為の沈黙が訪れた。その束の間の静寂の只中で、静は思考する。


 ——聞きたいことなど、正直挙げればキリがない。


 自分達を襲った者の正体。

 目の前の、探偵を名乗る二人組の正体。

 分からない事柄が山積するあまり、何から紐解けば全容を正しく把握できるのか、そもそもわからない。

 堂々巡りの思考はしかし、間も無く終わる。


「……パラドクス」

 小理と京介、二人の目が鋭さを帯びる。その表情の変化をつぶさに感じながら、静は言葉を続ける。


「何遍聞いても、その言葉だけは一向に意味がわかんねー。文脈からなんとなく想像がつかないでもねーけど、確証がないからよ。ソレが一体なんなのか、御教授願いたいですね」


 ——恐らく。パラドクスと言うのは、この奇天烈な能力を指し示す言葉だろう。会話の流れ的にも、それはわかる。

 静が推し量ろうとしていたのは、二人の反応だった。

 パラドクスという実存するかもしれない超能力。そんな代物が公になっているだなんて話は、勿論とんと聞いたことがない。

 その核心を問われた時の、二人のリアクション。それを観察する為の……明確な回答が得られないであろうという前提の下の疑念だった。


 だが。

「知覚と認識を基に世界に干渉する異能。有り体に言えば超能力だな」

 静の予想を裏切り、ひどくあっさりと京介は言い切った。

「……こらまた随分とオカルトな話をなされるこって」

「そうだな。だが、現実だ。パラドクスは荒唐無稽の絵空事ではなく、日常の地続きに実存する超然だ」

「……それを、はいそーですかって受け入れられる頭の柔さ持ってる奴なんざそう居ねぇと思いますけど」

「それも全く、その通りだ。だが、君達は既にパラドクスを目撃し、体験している。否定に足る根拠の方が余程心許ないと思うが」

 言葉に、静は自ら体験した……あるいは体感した異質を思い返していた。


 不可解な空間。

 不可視の鎖。

 そして——


「……あんなもん喰らっちまえば頭からノーとは言えないですわな。あの訳わかんねー場所や鎖がそうだって事ですよね」

「そうだな。だが、それだけでは認識としては不十分だ」

「……と、言うと?」

「パラドクスは通称であり、総称だ。個々人が保有する異能はそれぞれに異なる。奴の能力が空間の生成、自立する鎖による拘束だったと言うだけで、パラドクスの形態や効果は様々だ」

「——頭ぁ痛くなってくる話だぜ」

 言葉通りに文字通り、静は頭を抱え込む。

「コミックよろしく、あんな変な超能力持ってる奴が世の中には未だ何人か居るって事か」

「俺たちが知っているだけでも、二桁に乗る程度にはな」

「笑えねー話だこって。んじゃ何か、阿島さん方はあの鋸紙袋の素性も把握してんですか」

 いや、と。阿島が小さく首を振る。

「俺が奴を追っていたのは事実だが、個人としての面識はない。追跡していたのはあくまで、パラドクスを保有している可能性がある容疑者として、だ」

「現実味の湧かねー話だね、どうにも」

 静がちらと、抄帷の表情を盗み見る。

 困惑と驚愕。加えて、僅かに下がる眉に表される、疑心。

 京介の言葉を借りるなら、荒唐無稽に過ぎる内容を、俄かには信じられずにいるのがありありと伝わる様子だった。


 抄帷の反応こそが、正しい。

 明智小理と阿島京介。眼前の二人が嘘をついている様な気配はないし、明白な悪人であると言う証拠もない。抄帷を手当し、静を介抱したという事実も厳然とある。

 だからと言って。これまでの十数年当たり前だと認識していた世界を根底から覆す様なこんな話、一朝一夕で信じられる筈がない。そんな当たり前は勿論、静もわかっている。


 だが——

「……事件が妙だったから追っかけてたのか?それとも、パラドクスってのを持ってる奴は軒並み追っかけてんですか」

「両方だな。そもそも全てのパラドクスはその性質上、人や社会に対しての蠧害とがいとなる場合が多いからな」

静が訝しむ。

「パラドクスってのは一律な代物じゃねーんだろ?それをおしなべて、性質ってのはえらく違和感のある言い回しだな」

「固有の能力は個々で異なるがな。大前提……素地となる概念は共通しているんだよ」

「……概念、ってのは」

 

「——〝逆説〟」


 静が小さく息を呑む。

 阿島は一拍の沈黙を挟み、言葉を続ける。

「不可能を可能に。もしくは可逆を不可逆に。ある事象に対しての認識を、逆理を以て塗り替える。個々の特性に一貫性の存在しないパラドクスの、それが唯一の共通項だ」

「……イマイチ分かりづらいけど、つまり?」

 静が視線を明智へと向ける。それを受けて、小理は天井を指差しながら口を開いた。

「人間は空を飛べないじゃないっすか。その前提があって、〝だからこそ〟空を飛べる……みたいな感じすかね」

「あーー、そっちのが大分分かり良いわ。流石名探偵」

 得意気に胸を張る小理。一連の流れに不満気な様子を見せるでも無く、京介の声色は一貫して淡白なものだった。


「パラドクスに理由はない。だが、ルールは存在する。干渉対象、効果範囲、発動条件もバラバラだが、それら全ては一貫して現実のルールを踏み越える類の代物だ。故にこそ、パラドクスの原則は人や社会に対する蠧害だ」


 ——なるほど。

 未だ疑念色濃い抄帷を他所に、静の内心には納得があった。

 

 倫理や常識。組み上げられた当たり前を、無軌道に飛び越える存在があるとすれば。当の本人の意図は一切関係無く、それらはただそこにあるだけで間違い無く不穏当だ。


 パラドクスとはつまり、世界のバグ。

 定められた構造を単独で破綻させるイレギュラー。


「……そら確かに、害そのものだわな」

 呟きながら。静は、広げた自らの掌を見つめた。

 ——否定など、出来るわけがなかった。

 その手は既に、異質を掴んでいたのだから。

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