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『異端者』

 見知らぬ天井だった。


 照明の羽が回る乾いた音。

 未だ微睡んだ意識のまま、花蕗静はなふきしじまは横たえられた身体を起こそうと試みる。

「――――!」

 全身の筋肉が引き攣る様な激しい痛み。

 緊急性を感じるものでこそ無かったものの。それでも痛みは、目覚めたばかりの静の表情を大きく歪めるには十分すぎるものであった。


「――、……。」


 身体を起こす事は諦めて、代わりに思考を巡らせる。


 ――怪現象。狂気の異常者。不可解な異能。そして――


「――――合掌!!」


 痛みに顔を歪めながら、それでも。一瞬の躊躇なく、静が上体を起こす。

 そのまま周囲を見回そうと視線を動かした矢先。


「気が付いたか」


 短く発せられた、声。聞き覚えのないその声の主たる男性は静の右手側、簡素なパイプ椅子に座っていた。


「……誰だ、あんた」


 しまった、と。聞いた直後に、静は後悔した。


 暗転間際。意識が途絶えるその寸前、我が身に起きていた異常な事態。その顛末が今だとすれば、考えられる最悪のパターンは――


「君を襲ったモノとは無関係だよ、俺は」


 静が緊張を強める。

 痛みをひた隠し、さも平静であるかの様に振る舞う。


「――人の考え先回りして言葉にする奴ぁモテないぜ。コミュニケーションの八割は聞く事だって教わらなかったかよ」

「……それは申し訳なかった。俺が君の立場なら真っ先に警戒するのはそのシチュエーションだったんだが、間違っていたか?」


 半ば以上に挑発の気配を伴った静の言葉。その鋒を向けられた男に、一切の動揺は見て取れなかった。

 悪意も。敵意も。悪感情を欠片程も滲ませず、ただ淡々と語るその姿に、静は僅か脱力する。


「……違いねー、そらそうだ。いきなり楯突いて申し訳なかったっすわ」

「随分あっさりと聞き入れるんだな」


 疑われる事も織り込み済みだったらしい、男は顎を引きながら言った。これに静はお手上げのジェスチャーを交えて、小さく笑う。


「あんだけ俺をぶっ殺しちまおうとしてた奴の内輪が、寝こけて起きるまでちんたら待ってるとは思えねーからな。それに、仮になんか思惑があって生かしてるって話なら、それこそ抵抗するだけ無駄だろ」


 言いながら、静は男の姿を観察する。


 短髪に、大きなラウンド型のメガネを掛けた強面。身体は、ゆったりとしたパーカーの上からでもわかる程筋肉質。男の風体は、とても堅気のそれではなかった。


「……あれだけ恐ろしい目にあって、本当に冷静なんだな、君は。肝が据わっているなんてもんじゃないな」


 一方で。

 紡がれる言葉は極めて穏やか、声色もそれに同じく。風体とのアンバランスさに眩暈を覚えながら、静は肩をすくめる。


「どういう風に映ってるか知らないすけど、これでも人生最大級程度にはパニクってますよ。ただ、この場でジタジタしたところで何もなんねーですし……破れかぶれってやつですよ」

「なるほど、そういうものなのか」


 男が感心した風に頷く。

 静が眉を顰め、頭を掻く。


「俺の話はとりあえずいいですよ、もう。それより、聞きたい事があるんですけど……」

「あぁ、彼女の事なら心配ない。隣の部屋で手当を受けてる最中だ」

「――さっきの話聞いてました?お兄さん」


 言葉尻を待たず、再び先回りされた事に対しての苦言を受けて、男が僅かに目を見開き


「……すまない。同じ事を繰り返してしまった」


生真面目に頭を下げた。


「いや別に、ジョークですよ。調子狂う人だな、ホントに」


 静は深い溜息をついた。

 その内には確かに、目の前の奇妙な男に対しての気疲れもあったが、それよりも今は。


「――ま、大事が無くて幸いってところですよ」


 合掌抄帷の無事。

 我が目で見た訳ではないが、兎も角ひとまず。その確認が取れた事に対する安堵の色の方が余程濃かった。

 そんな静の様子に、男はほんの小さく口角を上げる。


「外傷は多いが、それでも今の君よりは余程元気だよ」

「いや、それは大袈裟ですよ。俺ぁ別になんも……」


 答えながらふと、意識を失う直前の体験を回想する。


 頭を内側から抉られる様な、これまで味わった事のない激しい頭痛。マシにはなったがそれでも、未だその痛みの名残がある事に今更気付き、自らのこめかみを押さえる。

 その姿を見て、男が声色を一段と柔らかくする。


「耐え難い頭痛だったろうが、あれはパラドクスが発現する際発生する一過性のものだ。後数時間もすれば痛みは完全に引くだろう」


 だから、安心しろと。言葉は恐らくそう続いた筈だった。


 だが。


「――なんだって?」


 安堵とは程遠い。

 男の言葉は今一度、静の疑念を焚き付けるばかりの代物だった。


 何故、頭痛に苛まれている事を知っているのか。

 それが後数時間で引くなどと、何故断言出来るのか。

 そして、なによりも。


「――〝パラドクス〟」


 さも当然の様に語られた、聞き馴染みのない単語。

 その指し示すところは、既に予想が付いていた。

 ただ、理解が追い付かない。


「あの訳わかんねぇトコに飛び込む直前、今と同じ言葉を明智さんの口から聞いた。一体なんなんだよ、それは。そんで――アンタは一体、何を知ってんだ」


 動揺も、狼狽も。やはり、織り込み済みだったのだろう。

 男がもう一度小さく頷く。


「君が今知りたがってる事の大部分を、恐らく俺は知っている。望むなら、俺の知っている全てを君に教えよう。――荒唐無稽で構わないなら、だが」


 男の目は真っ直ぐに静を見据えている。

 その、真剣そのものな目線を受けて、静は――何よりも先ず初めに聞かなければならない事を思い出していた。


「――何者なんだ、アンタ」


 言葉に、男が応える。



 

「阿島京介。君と同じ、パラドクスを持っている者だ」

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