09 完璧な作戦
「おお。アイゼリーゼ卿、こちらのお部屋にいらっしゃいましたか」
「シュタンシュテット伯でしたか。先ほどは過分な饗応、痛み入る限りでございました。されどもう夜半の刻。殿下は既に御寝なさっておられます。所用であれば、翌朝までお待ちあそばせればと」
アイゼは夜の静寂を破る訪問者のノックを聞き、急速に気を引き締めると、寝台脇の棚に置いていた剣帯を装着してから、扉の錠を開けた。
そこにいたのは人好きのする好々爺然とした城主と、その腹心の騎士であった。
「夜分遅くに失礼したこと、何卒ご容赦くださいませ。実は用向きのあるのは殿下ではなく、アイゼリーゼ卿の方なのです。卿にご用意した寝所にいなかったものでしたから、よもやと思って殿下の寝所を訪問させて頂いた訳です」
「……私に?」
「アイゼリーゼ卿はあの姫将軍閣下の右腕として、鎮撫騎士団副団長を務め、数々の武勲を立てたと、かねてより仄聞しております。この通りわたくしめは、宮仕えもせず領地に籠るばかりの退屈な日々でございまして、是非とも卿の武勇伝を聞きたいと思った次第」
シュタンシュテット伯は、懐からコルク封のされた瓶詰の葡萄酒を取り出して続けた。
「この通り秘蔵の酒もご用意しております。老骨めの暇つぶしにお付き合いくださいますかな」
「折角のお誘いで申し訳ない次第でございますが、私には殿下を御守りする務めがございます故。翌朝に、殿下も交えてお話できればと存じます」
「そういうことでしたら、部下を殿下にお付けしましょう。一晩中、扉の番をさせますので」
そう言って、脇に控えていた騎士が一歩前に出た。
「シュタンシュテット伯を信用していない訳ではござらぬが、やはり殿下から目を離す訳にはございません故、丁重にお断りさせて頂きます」
「そうですか、それは…………残念です」
「ッ!?!?」
――その瞬間であった。
シュタンシュテットの人好きのする表情が急速に失せていくのを、アイゼが感じ取った。
そして――対照的に隣にいる騎士の瞳に熱が灯り、目にも止まらぬ速さで抜剣し、アイゼに斬りかかってきた!
「ぐぅ!!」
――キィン。
剣響が鳴り響く。
並みの剣士であれば今ので一刀に付されていたであろう奇襲を、アイゼは桁外れの反射神経で反応し、自身の剣を抜いて騎士の刃を防いだのである。
アイゼは『いざは常』――すなわち常在戦場を銘に刻んで今日まで生きてきた。
例え湯浴みの時であろうとも片時も剣を離さず、鎖帷子を着たまま眠るという徹底ぶりである。
その備えがあったからこそ、アイゼは王弟ヨハンの謀反にいち早く反応でき、今もこうしてシュタンシュテットの奸計に対応出来た訳であり、平時であれば異常とも言える神経質さは、決してバカにできないものであった。
「シュタンシュテット伯!? これはなんのつもりか!?」
「なに。ヨハン殿下へ捧げる子羊を屠畜しようと思ったまでのこと」
「やはり既に王弟に寝返っていたか! リヒャルト陛下への忠義はどこへ行った!?」
「大勢を見たまでのこと。表六玉と名高い王太子殿下と、既に内務の中枢を握っている王弟殿下、どちらに付くべきかは、宮廷事情に疎い地方領主でも分かることじゃて」
「タヌキ爺めが!」
「タヌキで結構! 我が領地を守るためであれば、タヌキにもハゲワシにもハイエナにもなりましょうぞ!」
「しからばこちらも加減はせず!」
アイゼは鍔迫り合っていた刃を、強く押し込み騎士の体勢を崩すと――騎士に向かって垂直の唐竹割りを放つ。
「ぬっ!?」
シュタンシュテットの若き騎士は、脳天から頤まで撃砕され、石床の上に頽れた。
「なっ!? 我が騎士がこうも簡単に!?」
上質な葡萄酒で晩酌に誘い、先方が気を緩めた所で奇襲をかけるという、シュタンシュテットの完璧な作戦はしかし、質実剛健、忠勇無双を地で行くアイゼには通用せず、返り討ちにに遭う結末とあいなった。
身を守る騎士はいなくなり、女騎士の血濡れた刃が、老爺の禿頭に向けられた。
「くっ! 出合え出合え! 我が騎士の仇を討つのだ!」
「ちっ! 他にも兵がいたか!?」
シュタンシュテットは背中を見せて逃げ出したが、丸腰の背中に刃を突き立てる前に、伏せていた私兵が曲がり角から姿を見せ、シュタンシュテットの禿げ上がった頭頂部を隠してしまった。
「くっ! 多勢に無勢か!? だが――」
薄暗い廊下に、左右から挟撃されるアイゼ。
しかも先方は全員が長槍で武装しているのだからたちが悪い。
「――はあああああッッッッ!!」
「「「「「ッッ!?!?」」」」
しかしアイゼも歴戦の騎士。
眉宇に決意を滾らせ、怪気炎を振りまくと――兵士が一瞬硬直する。
その隙に横薙ぎの一閃を払い、槍の穂先をまとめて薙ぎ払い、返す刀で首をまとめて切断した。
これで片側の通路にいる兵は倒した。
次いでアイゼは、斜め前方に跳躍すると、そのまま壁を蹴り上げ、もう片方の槍兵の背後に着地する。
慌てて振り返ろうとした槍兵であったが、長槍を構えているせいで、石壁やら仲間の槍やらにぶつかり、なかなか方向転換が出来ない。
「でやああッッ!!」
その間に繰り出される、アイゼお得意の横薙ぎ一閃。
ポンポンポンと、面白いように首が飛び、悲鳴を挙げる間も与えずに斬首に付してしまったのである。
「ア、アイゼっ!? 無事か!? 血、血が出ているではないか!?」
「ご心配には及びませぬ。全て返り血です」
廊下が静寂を取り戻したタイミングを見計らい、恐る恐るといったように、リュカが顔を出す。
「アイゼの予想が当たってしまった……ということか?」
「はい。既にシュタンシュテット伯は王弟派に傾いておりました。今すぐ脱出を」
「う、うむ……!」
――ガチャガチャガチャ!
その時だった――再び金属の鎧が擦れる音が石壁に反響し、取り戻した静謐が再び破られた。
シュタンシュテットが更なる私兵を送り込んできたのだ。
「殿下。まずは部屋の中に避難を!」
アイゼが取った選択は――室内への籠城であった。
先の王宮出奔の時と違い、アイゼはスタンス城の間取りを把握していない。
挙句現在位置は最上階ときたものであり、やみくもに逃げて袋小路に追い込まれては後がない。
そういう訳で、アイゼは寝所に閉じこもると、タンスやら棚やらベッドやらを扉の前に運んでバリケードを作った。
ドンドンと、兵隊が扉を叩く音が響く。
「すまないアイゼ……いつも苦労をかける……」
「お気にならさず。それよりも今は虎口を脱するのが先決にございます」
「だが……唯一の出口は塞いでしまった。逃げるといっても、いずこから逃げればよい?」
「この部屋に案内された時より、既に脱出方法は考えておりました」
アイゼはそういうと、疑問を浮かべるリュカにヒントを授けるように、窓にはめ込まれた鎧戸を開けた。
その沙汰を見たリュカは、健康的に朱のささった頬を青ざめさせた。
「ま、まさか……!?」
「流石は殿下。ご推察の通りにございます」
「いや、しかしだな!?」
リュカは恐る恐る、窓枠に身を乗り出す。
スタンス城の最上階は、他の階と比べると細くなっており、窓の間下には階下の屋根が露台のように張り出していた。
されどその距離は目測でも10メートル程あり、とてもここから身を投げる気にはなれない。
「スタンス城はエルキ大河沿いに面して建てられた城でございます。ここから階下の露台に着地し、更にそこから大河に飛び込めば、川の流れに任せて脱することができましょう」
「む、むむ無茶を言うな!? この距離から飛び降りたら両足の骨どころか、膝と股の骨まで折れてしまうぞ!? しかもわたしは泳げぬ!」
「案ずるには及びませぬ」
「案ずる案ずる! めちゃくちゃ案ずるぞ!」
アイゼはそう言うと、完璧な作戦を説明した。
「まずわたくしめが、単身ここから飛び降ります。そのあと下から殿下を抱きとめますので、これで一つめの問題は解決いたします。次いで二つ目の問題でございますが、わたしが殿下を抱えたまま泳ぎます故、殿下はただわたしに身を委ねて頂ければ万事解決かと」
「…………」
理論上は十全とは言えなくとも、八全程はある策にリュカは葛藤する。
良く言えば温厚篤実、悪く言えば小心翼々な質であるリュカは、例え腹心が受け止めてくれると断言してくれても、一歩踏み出す勇気が出なかった。
アイゼはそんなリュカの杞憂を読み取ったのか、致し方ないと方針を切り替えた。
「分かり申した。殿下が望まれるのであれば、このアイゼリーゼ・アイゼンハルト、孤軍奮闘、粉骨砕身の思いで、シュタンシュテット伯めの私兵を殲滅して御覧に入れましょう」
それすなわち、籠城を辞して討って出て、たった1人でスタンス城を制圧する――という策とも呼べない無謀な選択であったが……。
「(ああ……本当にわたしはダメな王子だ……ずっとアイゼの世話になりっぱなしで、彼女の重荷にしかなっていない……)」
リュカは自分が情けなかった。
アイゼは忠臣として、こんな自分のためにここまで尽くしてくれていると言うのに、自分は彼女の忠義に報いることは愚か、彼女の手足を引っ張るばかり。
「(ここで勇気を出さず、いつ勇気を出すというのだ……!)」
リュカは未だ――アイゼが言ったように、諸侯に檄を飛ばして兵を起こし、奪われた王都を奪還するための領袖が務まるとは思っていない。
姉を助けたいのは確かだが――これまでもそうであったように、王位など王弟にくれてやるから、自分の安寧を確保したいという保身の念が一番であった。
それは今も変わらない。
戦いは怖いし、権謀術数蔓延る王宮で暗殺に怯える生活にも辟易していた。
しかし――――自分のために命を張ってくれる、アイゼの負担を少しでも減らしたいというのもまた、彼の本音であった。
故に、彼は決心する。
国のためではない。
従者の忠義に応えるために。
されどその小さな一歩は、臆病な羊が獅子へとならんとする、最初の一歩であることに、間違いなかった。
「(聖母メロコティーニャ、ルナルシア月神――そして姉上、どうか臆病なわたしに勇気をお与えください!)」
リュカは胸元にかけた首飾りを握りこみ、己を鼓舞した。
するとサファイヤは眩い光を灯し、リュカの拳の隙間から光を零す。
一方――その庇護を受けたアイゼには、四肢の隅々にまで力が宿っていく。
「いや、最初の策で行こう。アイゼ、信じているぞ」
「合点承知!」
言うや否や、アイゼは窓に身を乗りだし、一切の躊躇なく飛び降りた!
そのままアイゼは両足で着地したが、即座に横転。
ふくらはぎ、太もも、尻、肩に、順々に接地するように転がり――いわゆる五点接地の術でもって衝撃を分散したのであった。
「(思ったよりうまくいった。青薔薇の宝珠により、殿下が肉体を強化して下さったおかげだ)」
リュカを安心させるために、彼の前では自信満々に答えたアイゼであったが、実際の所、この暗所かつ堅い石床で、怪我無く着地できるかは半々であり、安堵を息を漏らすのであった。
「さあ! 殿下! こちらへ!」
「う、うむ……」
階下から投げかけられる声に応じ、リュカも窓枠に足をかける。
しかし――びゅうびゅうと頬を撫でる晩冬の夜風が、リュカの決意を鈍らせる。
「(やはり怖い……!)」
しかし――ドンドンドン! バンバンバン!
バリケードで封鎖した扉は、今もなお力強く叩かれており、そのたびに蝶番が軋み声をあげている。
そしてついに――ドゴン!
「まずいぞ! 窓から飛び降りようとしているぞ!」
「下だ! 待ち伏せるんだ!」
バリケードの及んでいない扉の上部から手斧が飛び出して、兵隊の頭部が姿を見せた。
そのまま顔を出した兵士は、バリケードを手すり代わりにして、這うように室内に侵入してくる。
まさに前門の虎、後門の狼。絶体絶命。
シュタンシュテットの私兵に捕まって晒し首になるか、飛び降りてひしゃげたザクロのように潰れるか――もしくは、アイゼの腕に抱き留められ生き延びるか。
「そうだ。アイゼはこんなわたしの為に命を賭してくれている。わたしがアイゼを信じられなくてどうする!」
ついに兵がバリケードを乗り越えて、室内に入ってくる。
その魔の手がリュカに伸びる――が。
その指先は空気を切る。
リュカに手を伸ばした兵士は、領主からたんまりと貰えたであろう褒賞の機会を失ってしまった。
文字通りの間一髪――髪の一本の距離で、リュカが窓から身を投げたからだ。
「きゃあああああ~~~~っっっっ!!」
とても威厳ある王子の声とはいえない、情けない悲鳴がこだまする。
慣性によって臓腑が持ち上がり、心の臓が絞られるような不快感に襲われるが――ぽよんっ。
「むぎゅぅ……っ」
数秒後、勇を鼓した王子に応えるように、柔らかい緩衝材によって受け止められたのであった。
それは胸当てを外したアイゼの豊かに実った乳房であり、リュカの顔よりも大きい二つのクッションが、衝撃を殺したという次第であった。
「殿下!? お怪我はございますか!?」
「い、いや……アイゼのお……おっ……おかげで助かった」
「それは重畳にございます。さあ、そのまま私に掴まっていてくだされ!」
「ちょっ!? ま、待ってくれ!! 少し休憩を……っ!?」
アイゼは胸当てのみならず、鎧の金属部位を全て脱着して、身を可能な限り軽くしており、そのままリュカが息つく暇も与えず、胸壁に身を乗り出すと、そのまま風を切るように身を躍らせたのであった。
「きゃあああああ~~~~っっっっ!!!!」
甲高い乙女のような絶叫を、再度古城にこだまさせながら……。




