08 宝珠の権能
「ふう、お腹いっぱいだ……一時はどうなることかと思ったが、シュタンシュテット伯の後ろ盾を得られたようで良かった」
「そうとは限りませぬぞ」
リュカとアイゼが湯殿にて身を清めた後、城主シュタンシュテットはリュカを豪勢な晩餐でもてなした。
その際も――
『王太子殿下に拝顔の栄に浴する機会を頂戴しただけに留まらず、饗応の機会までお与えくださいましたこと、誠に恐懼に堪えない所存にございまする。粗酒粗餐ではございますが、ご賞味くだされば幸いに存じまする』
――など、宮勤めの官僚でさえ歯が浮きそうになる慇懃な口上を流麗と述べながら、リュカとアイゼを上座へ案内し、美酒美食でもって胃袋に巣食う腹の虫を退治してくれたのであった。
そのかいあり、リュカは完全にシュタンシュテット伯に気を許し、とうに完全に危機は去ったと安心しきっている。
そんな晩餐もスぺサイドの食後の文化であり、大きな杯に注がれた酒を全員で回し飲む締めの杯を最後にお開きとなり――現在は宵の口の時間帯。
リュカはスタンス城の最上階に設けられた客室に案内され、絹の寝間着に袖を通して、寝台の上に足を伸ばして座り、上質な絹のシーツを膝の上にかけていた。
サラサラとしたシーツが素足を撫でる感触が気持ちよく、細い足首をひょこひょこと動かしてご満悦である。
「そうとは限らない……とは?」
一方。
従者の女騎士――アイゼは今もなお予断を許さないといった表情で、金色の柳眉にシワを寄せていた。
「本来であれば、シュタンシュテット伯の後ろ盾を得たことを皮切りに、逆臣ヨハンを討つべく諸侯に檄文を飛ばして起兵を呼びかけ、王都奪還軍を組織するのが上策でございます」
「そ、そうだな……わたしもそう思う。姉上はヨハン大公によって幽囚の身。一刻も早くお助けしなくては……!」
「されどもシュタンシュテット伯――彼はいささか信用に値するか、計りかねている所でございます」
「何を言うのだ。頓の訪問であったにも関わらず、わたし達を嫌な顔せず受け入れ、あれだけ素晴らしい歓待を用意してくれたのだ。伯を疑う余地がどこにある?」
「恐れながら、殿下はいささか人を信じすぎるきらいがございます。我らは一時の飢えを凌ぐために、自ら虎口へ飛び込んでしまった可能性も、皆無ではないのです――」
アイゼは無邪気な主人を嗜めるように、それでいて決して責めている訳ではなく――修道院長が修道志願者にするような、切々とした声音でもって言い含める。
「――もしシュタンシュテット伯が既に王弟に帰順していた場合、我らは伯にとって、大公の歓心を買うための、恰好の手土産になりかねません」
「っ!?」
アイゼの仮説に、リュカの顔に驚愕が走る。
「だ、だが、そうと決まった訳では……」
「はい。仰る通りでございます。あくまでも可能性の話でございます」
アイゼは長年に渡り、極限状態で干戈を交え続けてきた軍役経験から、常にあらゆる危惧を懸念する習性が染み付いていた。
けれど――そんな可能性の話を、ようやっと安息の場を得たばかりの幼い主君に話すのは、いたずらに不安を仰ぐばかりであり、不適切であったと自戒する。
案の定――リュカの小さな手は震え、落ち着きなさげにシーツの上を彷徨わせていた。
アイゼはそんな主君を痛ましく思い、己の手でそっと彼の手を包み込む。
「ご安心ください殿下。いかなる仕儀に立ち至ろうとも、常に私がお傍についております故」
「そうだな……ありがとう」
リュカはアイゼの手の感触を求めるように、もう片方の手で、アイゼの手の甲をそっと包んだ。
「ありがとうアイゼ。お前のような騎士を得られて、わたしは果報者だ…………ん?」
忠義に応えるべく、リュカはアイゼを労う。
その時に、月光に照らされた美しい女騎士の顔を間近で見たことで――ある気付いた。
昨晩、王都から出奔する際に、行く手を阻んだ騎士ゴードンとの決闘で負ったはずの、頬の刀傷が殆ど目立たないくらいに恢復していることに。
「ああ、良かった。顔の傷も大分よくなっているようだ。これなら痕も残らず平癒するだろう……本当に、良かった……っ!」
リュカはまるで、自分のことのように安堵の息を吐き、アイゼの頬をなぞった。
だが、一方――
「へ? あ、ああ……そういえば確かに、顔に傷を負いましたが……殿下のことを御守りするので手一杯で、すっかり忘れておりました」
――アイゼは脳裏に疑問を浮かべていた。
彼女はリュカに仕える前は、王女ヒルデガルドと共に、幾十もの戦場を駆け巡ってきた。
そこで数え切れぬくらいの傷を負った彼女は、過去の経験から理解していた。
――ゴードンとの決闘で受けた傷は、恐らく生涯消えることのないものになるだろう……と。
それ程までに、擦過した傷は深かった。
少なくとも四針は縫わねばならない程の傷だったはず。
だが――アイゼはリュカに指摘されるまで、痛みのみならず、傷を受けた事すらも忘れていた。
決闘による極度の集中状態で痛覚が麻痺していたのだろうと思ったが、それにしては、決闘後もいつまで経っても痛みが生じなかった事に疑問が残る。
「(そうだ――確かあの時、リュカ殿下の首飾りが輝き出して……)」
アイゼは訝しみながら、当時を思い返した。
「殿下、ヒルダ様から授けられたこの首飾りにございますが……検めさせて頂いても?」
「無論構わぬが、これがどうかしたのか?」
リュカは寝台の脇に置いた、大粒のサファイアがあしらわれた首飾りをアイゼに託す。
アイゼはサファイアを、様々な角度から観察し、月光に透かすなどしてみるも、青い宝玉は杳として沈黙を貫くばかりであった。
「殿下、もう一度、あの時のように、宝珠を光らせることは可能ですか?」
「そんなことを言われてもだな……あの時もわたし自身、どうやったか曖昧で……」
首飾りを返却されたリュカは、当時のことを思い出しながら、見よう見まねで宝珠に意識を集中させた。
すると――光ッ!
昨夜の再現のように、再び宝珠が輝き出したではないか。
「おお! やはり……全身に力が漲るのを感じます!」
その光を浴びたアイゼは、自身の肉体に生じた変化を実感して、明るい声を漏らす。
「決闘の最中、この首飾りが輝いたかと思うと、俄然力が湧いてきたのです。あの時は火事場の馬鹿力の類かと存じましたが、どうやら正真正銘、宝具の類のようです。であれば、ヒルダ様が殿下にこれを授けたのも納得のこと」
「そうか。しかしわたし自身には何の変化も感じられぬ。使い手には作用しないものなのだろうか? アイゼ、今度はそなたが光を灯してみてくれぬか?」
「いえ、先ほど試したのですが宝珠が反応しなかったのを見るに、どうやらこれは、殿下にしか扱えぬ品と推察します。かつてはスペイド人の王家に伝わっていたものであればスペイドの血を引いているのが発動の条件やもしれまぬ」
まだ分からぬことは多いが、少なくともこれより先、二人の旅を支える強力な助けとなるのは確かであった。
二人の胸に、微かながら確かな希望の灯が点じられる。
「それにほら! ただ輝かせるだけでも松明の代わりになるぞ!」
リュカは指先でサファイアを摘まんで腕を伸ばすと、その光で室内を照らしては、無邪気に遊んでいた。
その時であった――
コンコンコン。
――と、リュカに当てがわれた寝室がノックされ、夜のしじまが破られたのは。




