79 因縁の行き着く処
前日の緒戦にて王弟軍15000を壊滅せしめた王子軍は、本陣を小高い丘の上から、数百メートル前進させ――エルキ大河の南岸に宿営を張り、決着の日を翌朝に委ねた。
かくして合戦二日目の朝。
夏の曙光が、エルキ大河の前後に立ち並ぶ兵隊の甲冑を照らし始め、煌めきを放っていた。
青々とした草原が曙色に染まり、天に突き出された無数の槍影が針鼠の如く軍勢の頭上から伸びていく。
平原の束の間の静寂は終わりを告げ、再び戦場の鼓動を取り戻したかのように、剣呑な熱が渦巻いていた。
王子軍の面前には、川幅一キロ弱に及び、スぺサイド王国全域に恵みをもたらす大河が横たわっている。
水深は馬上にあっても渡河が叶わぬ深さを持つ。
故に王都を扼する大橋を用いる必要があるのだが……。
そこに布陣した敵将は、王国屈指の宿将――征伐騎士団団長のゴードンであった。
『全軍――停止』
リュカは青薔薇の宝珠を通じて、全軍に進行の停止を通達した。
橋を見やると――様子がおかしい。
橋幅いっぱいに弓兵を展開するのが橋上防衛の常道であるはずが、橋の中央には大将と思しき重装の騎兵がただ一人、待ち構えているだけ。
王弟軍の兵たちはその数十歩後方に控えており、矢を番える気配は微塵もない。
「老師、罠でしょうか?」
「いえ――あれは恐らく、ゴードン卿の決意の現れでしょう」
橋の中央にて待ち構えるは――これまで幾度もの間、王子達の行く手を阻み続けた――ゴードンである。
橋を挟んで敵意を向けられてはいるものの――一触即発の空気はない。
「王子軍が将軍――アイゼリーゼ・アイゼンハルト卿に申し上げる! 我らは共に同じ国家に尽くし、同じ神を崇め、同じ騎士道に殉じてきた者同士。同じスぺサイドの血が、互いの刃に染まる様を見るのは心苦しかろう! 故に提案を申し上げる! 彼と我による決闘を所望する! 貴殿が勝利を収めた暁には、聖女メロコティーニャに誓い、我ら征伐騎士団5000は身を引くことを約束しよう!」
それがゴードンの要求であった。
「あの猪騎士、まだあんなこと言ってるですよ」
「いえ――ですが、かつてのような邪念は見えません。どこか吹っ切れたような、悟りの念を感じます」
ジャスパーが観察するように、今のゴードンの心は凪いでいた。
亡父への復讐心も、王弟への寵を取り戻そうと功を焦る気持ちもない。
ただ――己が至上と認めた騎士と、死力を尽くして決闘に興じたい。
騎士物語に憧れ続けた少年の頃と何ら変わらぬ、純然たる願いだけが今のゴードンを支えていた。
ナハティガル修道院にて、自らの命を差し出してでもアイゼを守ろうとしたリュカを見て、彼の心情を大きく揺るがすような変化が訪れたのかもしれない。
そうジャスパーは考察した。
「リュカ殿下、いかがなさいますか?」
「無論答えは決まっている。悩むまでもない――アイゼはいるか!」
「はっ! こちらにっ!」
王子軍が、海を割るように兵隊が左右に分かれて道を作ると、最前線にいたアイゼが、愛馬を駈足で駆って、王子の元に参じた。
「決着をつけてきてくれ。これまでわたしは、ゴードン卿の篤き騎士道を愚弄するような詭道を取り続けてきた。幾度もの嘲弄を重ねてきたにも関わらず、ナハティガル修道院にて、わたしは卿の恩情によって生き永らえた。その恩義に報いなくてはならない――アイゼとしても、決着をつけたいと思っているのだろう」
「承知しました。リュカ殿下の忠実なる剣として、必ずや勝利を持ち帰ってみせます」
アイゼは馬上にて、拳を胸甲にあて一礼した。
「そこで殿下に一つ――お願いがございます」
「なんでも申してくれ」
「此度の決闘において、青薔薇の宝珠の加護は用いず、己が実力のみで、決闘に臨むことをお許しください」
「…………勝てる見込みはあるのか?」
「先に申し上げた通りにて」
アイゼはこれまで幾度も、ゴードンと干戈を交え、その全てに勝利してきた。
だが――だからこそ、ゴードンの比類なき剛腕から繰り出される武辺の恐ろしさを、身を持って承知していた。
彼女はかつて、十回戦い十回とも白星をあげられる自信はないと漏らしたが、それは謙遜でも誇張でもない。
挙句――此度のゴードンには迷いは感じられず、その調子は過去最高に高いと見ていいだろう。
この一騎討の結果が合戦の帰趨を大きく左右することを承知した上で――それでもアイゼは、公平な勝負を求めた。
「よかろう。許可する。だが一つ覚えておいて欲しい――戦場にてアイゼが死ぬようなことがあれば、わたしも後に殉することを」
「御意に!」
「よし! 行ってこい!」
アイゼは拍車をかけると、アグロを反転。
再び左右に割かれた刀槍の並木道を間を駆けていく。
アグロもまた、人の言葉は解さずも、主人から放たれる決意に感応を示し、全身から覇気を漲らせ、力強く蹄鉄を響かせるのであった。




