77 復活のアイゼ
先に戦端を開いたのは、王子軍である。
本陣の丘から、騎馬隊が駆け降り、エルキ大河の前に布陣した軍勢に向け、突撃の馬蹄を轟かせた。
それに対し、王弟軍は合戦の定跡に則り、前衛の弓箭隊に指示を出し、矢雨を降らせる。
「怯むな! 義は我らにある! 王子より授かりし加護がある限り、我らに敗北はない!」
先陣を切るのは王子軍将軍アイゼリーゼ。
馬の尾のように、黄金の髪を後頭部で一つ結びにし、それを馬上で靡かせながら――月毛の美馬を颯爽と駆る。
驟雨の如き矢が蒼穹を満たし、平原に影を落しながら、王子軍の進軍を遮らんと降り注ぐ。
これらを凌ぐのは、雨中を濡れずに走り抜けるに等しい難業だが――
「ふんっ!!」
――アイゼは長剣を鞘走らせると、馬上で一閃。
桁外れの動体視力でもって、己が身に届く矢を一本残らず斬り払うのであった。
その姿に、もはや毒矢の後遺症の片鱗すら見えない。
ケーヒニス砦で半月も戦備を調えていたのは、王子の元に馳せ参じた新兵の練兵をしていたのもあるが――アイゼの体調を万全なものにする意も含まれていた。
ケーヒニス砦に戻ったアイゼは、失った体力を取り戻すが如く、牛飲馬食の勢いで肉を食らい、酒を呷り、締めの杯と呼ばれる、大勢で飲みまわしをするために用いる杯に並々と注がれた、14キロの砂糖水を飲み干しながら、四肢の末端にまで獅子の覇気を取り戻したのである。
かくして――王子軍の先陣がついに王弟軍の弓箭隊に到達し、蹄鉄で蹂躙し、その奥に控える騎兵と角逐を開始するのであった。
***
「敵の数はどの程度だ?」
「は。王子軍の総戦力は凡そ7000。その内1000の兵で本陣を固め、残る全軍――6000がこちらへ突撃してきております」
「戦力差はおよそ三倍――全勢力を一斉に注ぎ込まねばならぬのだから、妥当と言えば妥当な戦術か」
一方――王弟軍の陣にて。
エルキ大河の渡河先にて陣を構えた王弟軍15000は、5000ごとに指揮官を据え――右翼、左翼、中陣の――三つの聯隊によって編成されていた。
現在王子軍と交戦している、中軍を束ねる指揮官――ロイス侯爵。
彼は顎髭をしごきながら、戦況を検める。
「左右の翼陣に支援を求めましょうか? さすれば、王子軍を一網打尽にできるかと」
「その必要はない。我らだけで十分よ! 此度の戦果は全て吾輩が頂戴する!」
ロイス候は、かつては獅子剣王に随行して海外遠征も経験した、戦上手で知られた騎士であった。
同時に先王が海外で虜となった際には、即座に王弟ヨハンに鞍替えした変節漢でもあり、比較的古くよりヨハンに与していたこともあり、此度の戦いでも最前線に配された。
先代より仕えるゴードンへの寵信には一歩及ばぬものの、この戦いで功を立て、ゴードンよりも重用するに値することを証明せんと、いきり立っていた。
故にロイス候は、左右に5000ずつ控える翼陣に連絡を送ることなく――自ら率いる5000の兵のみで、アイゼ率いる王子軍主力と相対することを選んだのであった。
「ふはは! 先の矢雨が効いておる! 奴らめ、既に陣形が乱れておるわ! 全軍突撃! 押しつぶせ!」
ロイス候は王子軍を蹂躙せんと、本陣を前進させ、蹴散らしていく。
王子軍は、ロイス候の巧みな用兵に舌を巻いたようで、尻尾を巻いて退却を始めた。
「逃がすな! 追え!」
ロイス候は檄を飛ばして、王子軍の背を追う。
撤退する王子軍を追い、押し込み、再び王子軍が踏み止まっては、またも追い崩す。
そういったことを繰り返すうち、いつしかロイス軍は王子軍の本陣近くまで進出していた。
「ふはははは! そのまま王子軍の本陣を蹴散らせ!」
「注進! 注進にございますロイス様! 東方の森より敵の伏兵あり!」
「なにぃ!?」
しかし――ロイス候の高笑いは、伝令の注進によって、陣容もろとも。崩れることになった。
東の森より、3000の兵が飛び出し、追討によって縦に伸びきったロイス軍の横腹へ、楔を打ち込むが如く、食い破ったのである。
3000の伏兵――王子軍別動隊を指揮するのは、亜麻色の長髪を靡かせた女騎士イリアーナである。
「王子軍は精々7000程度じゃなかったのか!?」
「どうやら、実際は10000の兵がいたようです!」
この時代において、情報の伝達方法や精度は限られている。
南方はケーヒニス砦にて、王子に与するべく、いくつかの領主が参集したというのは聞いていたが、最終的にどの程度の軍勢に膨れ上がったかまでは、正確に把握できていなかったのだ。
「くそめ! 陣頭を東側に転換して、陣形を再構築せよ! 伏兵はたかだか数は3000程度なれば、陣形を整えれば負ける道理はない!」
ロイス候は即座に指示を出し、馬首を東に向けるよう全軍に達する。
するとどうしたことか――そうなると、今度は南側が軍の横腹になる訳で、そこへ撤退したはずのアイゼ率いる王子軍主力6000が、見事な旋回を果たして、ロイス軍の側面へと食い込んで来たではないか!
ロイス軍は意気揚々と、撤退する王子軍主力を追討したが、その実――王子軍は殆ど消耗していなかったのである。
最初から、塩梅を見極めながら小刻みな後退を繰り返し、あたかもロイス軍が優勢であるかのように錯覚させていたのである。
「撤退したはずの王子軍主力が戻ってきました!」
「くそ! これはどういうことなのだ!? 余りにも足並みがそろい過ぎているではないか!?」
正面である東には3000の伏兵。
側面と化した南側には、ほぼ消耗していない6000の主力。
合計9000に半包囲されたロイス軍は、煮湯に落とした氷塊の如く、外縁からみるみると、その数を減らしていく。
この図を描いたのは、他でもない王子軍の軍師ジャスパーであったが……。
実際に軍を指揮したのは、リュカである。
リュカは青薔薇の宝珠の権能でもって、全軍に身体能力を向上させる加護を授けると共に、兵士一人一人の脳裏に、直接意志を伝えることで、刻々と変わり続ける戦況に応じた、密な指揮を執り続けていたのであった。
この時代、喧声入り交じる戦場において、数千人単位の兵隊に、意志を伝達する方法は限られている。
その筆頭が角笛による号令だが、それで出せる指示は〝前進〟〝退却〟といった、単純なものである。
一方――青薔薇の宝珠を有するリュカは、数千人の兵士それぞれに、寸毫のタイムラグもなく、正確無比の指令を下すことが出来るのである。
視界の開けた丘上より、リュカは戦況を俯瞰し、ジャスパーより教授された用兵術を駆使し、リュカ自身の意志で――退却のタイミング、伏兵を出すタイミングを見極めていたのである。
後の世に生まれる通信技術と呼ばれるものを、先取りするようなものであるからして、戦馴れしているはずのロイス侯爵が、泡を食らうのも致し方ないことであった。
とはいえ――戦場において謀も奇策も全て正道である。
例え後の世で〝チート〟と呼ばれかねない術であったとしても……。
かくして、王子軍はまるで一つの統一した意志を持った巨大な生き物のようにうねり、ロイス軍の喉元に食らいついたのである。
かくして――王子を甘く見たツケを、ロイス侯は自らの馘でもって支払う羽目となる。
「大将はどこだ!」
「げえっ!? アイゼリーゼ!?」
ロイス候のいる中陣の本陣に、一騎の騎馬が単身で踊り込んできた。
その騎手は、雲一つない碧空に、刎ね飛ばした首や腕の雲を作り、赤い雨を降らせる。
それは月毛の駿馬を乗りこなす美貌の女騎士――アイゼである。
彼女が馬上より乱刃を振るうたび――深紅の花が草原に咲き乱れ、青いマントもまた鮮やかな人血で彩られていった。
安全なはずの本陣にまで、血の臭いが届き、脂混じりの血煙がロイス候の乾いた唇を湿らせた。
アイゼの驍勇を目の当たりにして、ロイス麾下の兵は震えあがり、一方の王子軍は鼓舞され、気勢をぐんぐんと高めていく。
「い、一旦退くぞ! エルキ大河まで退却し、両翼の将軍と連携するのだ!」
手柄を独占せんと突出しながら、今度はその逆のことを言ってのける侯爵に、参謀は呆れ半分で退却の角笛を取り出そうとした――その刹那。
――斬!
角笛を持った両腕ごと、角笛が宙に飛び――ロイス候の乗馬の足元に落下した。
「貴様がこの軍の指揮官と見受ける! 某は王子軍が将軍アイゼリーゼ! 尋常に勝負されよ!」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
武官であるロイス候は、勿論アイゼリーゼの武勇を重々承知していた。
己の武辺では、アイゼに及ばぬことさえも……。
だが騎士として、一騎討ちの礼を受けて、背を晒す訳にはいかない。
槍持ちから馬上槍を受け取ったロイスは、アイゼと対峙した。
「よかろう! ヨハン大公殿下より、一軍の指揮を命じられしベルトラム・ロイス、騎士の作法に応じ、その決闘引き受けん!」
ロイスは右手に馬上槍、左手に手綱と盾を持ち――王道的な騎士のスタイルで構えると、拍車を蹴って馬を驀走させた。
対するアイゼの得物は長剣一つで、盾もない。
リーチの差から、馬上槍を得物にするロイスが有利なはずである――並みの騎士であれば。
――ギャリギャリギャリ!!
共に愛馬の助走をつけて、二つの得物が激突する。
ロイスの馬上槍の穂先は、アイゼの長剣と衝突し、甲高い金属音をかき鳴らし、無数の火花を放ちながら、馬上槍の側面を削られ、上方へ跳ね上げられた。
「ちぃっ!」
ロイス候は、アイゼとすれ違いざまに、即座に馬首を翻す。
だが――
「なっ!?」
――ロイス候が馬首を返したその瞬間には、アイゼはとうに旋回を追えており、既に眼前にまで迫っていたのである。
馬上からの突撃力でこそ真価を発揮する馬上槍であるが、もはや助走を付けるだけの時間は残されていない。
まさに人馬一体と評する他ない、恐るべき馬術である。
「ぐぬうっ!」
ロイスは、苦し紛れに、助走なしで馬上槍による突きを繰り出すが――アイゼはほんの僅か首を竦めるだけで涼しく回避し、すれ違い様に放たれる――霹靂の一閃。
白線が煌めいた。
苦渋の表情で固まり、冑首と化したロイスが、赤い尾を引きながら戦場を舞い上がり――ボトリ、と草原の上に落下する。
「敵将ロイス、このアイゼリーゼが討ち取った!」
「将軍がやられた!」
「ロイス将軍討ち死に! 討ち死ににて!」
「逃げろ逃げろ! あんなバケモノに勝てる訳がないだろうが!」
声高らかに叫んだアイゼの勝ち鬨に、ロイス麾下の兵隊は戦意を喪失して、蜘蛛の子を散らすように潰走 していく。
血に飢えた王子軍は、その背中を追わんとしたが――
『逃亡兵は追わずともよい! 仰ぐ君主は違えども、同じスぺサイドの民である! 戦意なき者への虐殺は断じて許さぬ!』
――脳裏に響く王子の調べが、耳朶を打ち、はっと正気に戻るのであった。
敵の数は圧倒的に多い。
逃げ出した兵が、後方の王弟軍と合流して併合されれば、再び彼らの前に立ちふさがることになるだろう。
それを承知の上で、王子は追撃を禁じた。
また王子軍も、それでもなお勝利を信じてリュカに従った。
かくしてエルキ大河決戦の初戦。
王子軍はたった100の損害に対し、王弟軍の敵将首一つと、一つの聯隊を壊滅させる戦果を上げ、快勝を収めたのであった。




