74 騎士の大願
「(他者の陥穽に嵌るのが、これほどの屈辱とは……忸怩たる思いとは、まさにこのことですよ……)」
征伐騎士団に包囲されながら、ジャスパーは自慢の皮肉を自分自身に向け、深く自嘲した。
「(才を衒うのに夢中で、己以外の者を過小評価し過ぎた報いが、これとは……)」
ジャスパーの策は、ゴードンに見破られていた。
正確を期せば――ゴードンは短慮で猪突猛進な性を自重し、兵力に〝あそび〟を含ませておいたのである。
征伐騎士団の残兵は300人程残っていた。
その内の150人でナハティガル修道院を包囲し、残りの150人は丘の反対側へ伏せておいたのだ。
ゴードンが全勢力を修道院に突入させたと――ジャスパーに誤認させたものの、その実残りの150人が未だ僧院を包囲を保ち続けていた――という寸法であった。
ゴードンは確かに、詭を弄するのを忌み嫌い、己の武力のみで正々堂々と敵を撃砕することを重んじていた。
だが――これまで幾度もの間、ジャスパーの手の平の上で踊らされた結果、敵方の策を警戒するだけの思慮を身に着けるに至ったのである。
修羅と化し、慮外者へと身を窶し、騎士としての遠慮を捨て、思慮を得た剛力の士――それが、今のゴードンであった。
「(エフィ。あなたの力でこの包囲を突破できますか?)」
「(無理です。そもそもあたしは暗衛です。不意打ちが専門なのです)」
「(殿下だけでもお助けすることはできますか?)」
「(リュカちゃんだけを抱えて逃げるだけならなんとか――でも、他でもないリュカちゃんがそれを許容するとは思えないです)」
「(いかさま、ですな)」
「(同意してないでイカサマの方を考えてくださいです)」
ゴードン勢に包囲の中――ジャスパーはエフィと目配せし、傍目には分からぬ最小の動きで唇を動かす。
二人は共に読唇術を用いて疎通するものの、無言の問答は空回りするばかりだった。
「(病院騎士団の方々は今頃、隠し通路に誘い込んだ勢力を無力化できているはず……院内に戻りフローレンツ殿と合流するべきか? 否――アイゼ殿を抱えた足では、その前に捕まってしまう……ならば口八丁で時間を稼ぐか……もしかするとアレが間に合うかもしれません……)」
ジャスパーは常人の数十倍の速度で脳味噌を回転させ、打開策を講じる。
しかし――戦力も時間も残されていない状況で生まれる策は、奇術師を前にしても凡策の域を出ないものばかりであった。
もはや万策尽きたか?
そう思われた刹那――
「で、殿下!?」
――リュカが単身、ゴードンの前に躍り出た。
「見事だ、ゴードン卿。我々の負けだ。どうぞわたしの身柄を、存分にするがよろしい――だが、後ろの者は今後の王国に欠くべからざる人財、わたしの馘と引き換えに助命を希う」
リュカが取った答え。
それは、自分一人が犠牲になることで、臣の命を贖わんとする仕儀であった。
背にアイゼ、ジャスパー、エフィを置き、静かな炎を蒼眼に湛え、一人で包囲の端――ゴードンの面前に歩み出た。
「王太子殿下の御懇請と言えども、それは聞けぬ申し出よ。某の宿願――それは亡父の仇討ちに候。いかなる利をもって誘われようと、この志、寸毫も揺らぐことはござらぬ」
ゴードンはリュカに相対するように、ずい――っと、甲に包まれた顔を、リュカに近づけ、続ける。
「義と徳を捨てた某には、そのような仁義の交渉は無意味と知るがよい――某が求めるは宿敵アイゼリーゼ卿の馘のみ! かの馘を我が亡父の墓前に供えた後、貴様の馘をヨハン大公に進上するのみだ!」
ゴードンはリュカの申し出を、ざっくばらんに切り捨てた。
リュカは自分の命と引き換えに、部下の助命を懇請した。
だがゴードンは――リュカは勿論殺す、そしてリュカの部下も殺す。
そう言ってのけたのである。
交渉の余地もないゴードンの冷酷な言葉を受けてもなお――その瞳には、絶望の色は一向に浮かばなかった。
背筋を伸ばし、ゴードンの覇気を一身に浴びながらも、一歩も引くことなく、折衝を続ける。
ジャスパーやエフィでさえ、敵兵に包囲され、竦みかけている中――リュカだけが揺るぎない胆力で、ゴードンと対峙し続けた。
全てはアイゼと、己の無理に付き合ってくれた家臣を守るため。
「卿は父君の仇を討つと申したが、なればそれこそアイゼの馘を所望することが間違いだ。貴顕の父君を討ったのはアイゼにあらず――わたしである」
「この期に及んで詭弁はいらぬ! よろしい、なればまず表六王子、貴様の馘から刎ねてやろう!」
ゴードンは得物の柄を掴んで鞘走らせると、片手で両手剣を掲げた。
陽光に反射した白刃の反射が、リュカの目を灼く。
それでもリュカは、ゴードンから目を逸らさなかった。
「先代のゴードン卿を討つように命じたのはわたしだ! なればその仇もわたしが背負うのが道理! アイゼはわたしの剣だ! 貴顕は人ではなく剣に対して憤するのか!? 然らば故ゴードン卿を討ったのはアイゼではなくその長剣であろう! 剣を折れば満足か!? そうではなかろう! なれば、わたしを斬るのが正理というものよ!」
「それこそ詭弁というものよ!」
ゴードンは叫んだ。
だが本当は――ゴードンにだって分かっている。
決闘や戦場で起きた仕儀は、いかなる結果であれ、騎士道に生きる者ならば、甘んじて受け入れるべき当然の帰結だと。
仇討ちを志すのは自由だ。
しかしそれは、同様に決闘や戦場で晴らすべきものであり、このように毒で弱った所を奇襲し、寡兵に対して軍勢を差し向けながら仇討ちを果たしたとて――月星より見守る亡父は決して自分を褒めてなどくれぬ。
むしろ、騎士の誇りを穢したことで、叱咤されるであろう。
「わたしなら、どのような目に遭おうと構わぬ。ヨハン大公の元へ引きずりだし、一寸刻み五分試しに付すもよかろう。それが敗者の咎なれば、甘んじて受け入れる所存。それでアイゼが助かるならば安いものである!」
「…………ッ!」
その時――リュカの覇気に当てられたゴードンの背に、戦慄の刃とも言える、冷たいものが走った。
ゴードンの瞳がぐわんぐわんと揺れ動く。
電撃に貫かれたかのように振るえ、たたらを踏むと、ゴードンは一歩、後ずさった。
その目に宿るのは畏怖であり、懼であり――畏敬であった。
「(武器も持たず細腕の孺子如きに、何を戸惑っているのだ!)」
これ以上、口先だけの命乞いは聞くに耐えない。
ゴードンは自分自身を鼓舞し、何の力も持ちえない、無力な子供に引導を渡すべく、掲げた得物を振り下ろさんとした。
「ぬぅッ!」
だが。
ゴードンの手首が小刻みに震えるばかりで、陽光を湛え白銀に煌めいた刃が、リュカの細い首を断つべく、振り下ろされることはなかった。
視界の悪い甲冑の覗き穴から、リュカの双眸を見つめる。
今のリュカは、断頭台に跪いた死罪人も同然である。
あのアイゼでさえ、断頭台で無聊を託つ程の胆力は持ち合わせていないと述べた。
されどリュカは、目を反らすことも、その瞳に畏怖の色を映すこともなく、全てを受け入れる所存で、ゴードンに臨んでいる。
「(…………なぜだ)」
ゴードンは自問する。
「(なぜ……某は王太子殿下のような君主を仰ぐことが出来なかったのだ……!)」
ゴードンはアイゼを羨んだ。
幼少より騎士物語に耽り、騎士道に憧れを抱き、今日まで生きてきた。
弱きを助け強きを挫くを掲げる騎士にとって、清廉な君主に仕えることこそを無上の誉れとされている。
ゴードンが心に描いてきた理想の君とは――まさに今目の前に立つリュカそのものであった。
臣のために己の命を投げ出しながらも、一分の誇りを失わぬ者。
ゴードンの中で、修羅の面が静かに剥がれ落ちた。
その奥から、捨てたはずの騎士の面が、ゆっくりと浮かび上がる。
「(理由は明解――アイゼリーゼ卿と違い、某が高邁たる騎士の資格を持ち合わせておらなんだ――ただそれだけのこと)」
最初から、王弟ヨハンが決して賢君足りえないことは承知していた。
むしろ放埓にして貪婪なヨハンは、暴君の器量の持ち主である。
獅子剣王に代わり内務を取り仕切ると自称しながら、その仔細は部下に丸投げし、己は戦場に赴かずに王宮で享楽に耽り、それでいて部下の失態は厳しく罰する。
そんな暴君にゴードンが尽くし続けたのは、先代よりの主人であることもあるが――ヨハンがちらつかせた、特権と権益に目がくらんだからである。
リュカを捕らえた暁には、鎮撫騎士団と警邏騎士団を統括する将軍職の地位を与える旨を、ヨハンは約束した。
それは武官にとって、位人心を極める地位に等しい。
無論――それは己が権益を恣にして、権力を振りかざすためではなく、貴族として家を大きくし、祖先に対して面目を立たせるためである。
だがそれでも――権益のために、暗君と知りながら、ヨハンに仕え続けてきた、己の不義を正当化する言い訳にはなり得ない。
ゴードンは誰よりも騎士道を愛していた。
しかしその実――宿敵アイゼリーゼの持つ徳と比べれば、己のそれは矮小に過ぎた。
彼女を羨むのは、お門違いでああったのだ。
「…………ぐぅ…………ふぐぅ…………!」
嗚咽を漏らしたゴードンの冑の裾から、滂沱の如き温水が漏れていた。
「(某には……出来ぬ……!)」
両手剣が、ゆっくりと下がる。
「(結局某は、真の騎士にはなりえず、なれども修羅に落ちることも叶わぬ半端者、ということか)」
瘧が落ちたように、ゴードンの顔からは敵意が失せていた。
そして――その時である。
「ゴードン様! 丘の下より王子軍の軍勢が現れました!!」
包囲の裾にいた兵が、ゴードンの前に躍り出ると、新手の出現を注進する。
丘の下を見やれば、つづら折りの上り坂の道を無視するように、巨大な青銅巨人が一直線に丘をよじ登っている光景があった。
「(間に合いましたか!)」
ジャスパーは援軍の出現に、心中で拳を握った。
軍師はこのような状況に陥る可能性を見越して、自分達が身軽な装備で修道院に向かうと同時に、交戦の準備をさせた軍勢に後追いするように指示していたのである。
その筆頭が、錬金術師アルフォンタスの操る青銅巨人ダイダロスである。
高配な坂をもろともせずに登ってくる巨人を面前にして、征伐騎士団が浮足立つ。
視線がダイダロスに移ろいだことで、包囲に隙が生まれる。
その隙に――
「殿下! こちらへ!」
――隠し通路で挟撃した征伐騎士団を制圧した、フローレンツ率いる病院騎士団が合流を果たすと、ジャスパー達を背に陣を構築した。
エフィが雷光の速度でリュカを回収すると、フローレンツがその背を守る盾となる
これで征伐騎士団は、リュカを倒すためには、後方から迫る青銅巨人に追いつかれる前に、正面に布陣する病院騎士団の防陣を突破しなくてはならなくなった。
だが――そもそも征伐騎士団の団長は、リュカの高潔な魂を前にして、既に戦意を失っていた。
「此度は王太子殿下の気宇に免じ身を引こう」
ゴードンは重く、静かに言った。
「しかし聞けよ王太子殿下。然るべき決戦の折には、正々堂々たる条件のもとで雌雄を決しようではないか! それまでは――息災でいられよ」
ゴードンは悍馬に跨ると、ダイダロスがつづら折りを登攀する前に、丘の反対側より撤退した。
残る部下もそれに続く。
かくして――ナハティガル修道院での戦いは幕を閉じたのであった。




