69 お前は一番毒味に向いてないタイプだろ
通されたのは、寝台が一つだけ据えられた小部屋であった。
客室というよりも、治療部屋と言った方が、適切な印象を与える部屋である。
天井付近に窓が切られており、室内は明るく風通しもよく、掃除も行き届いているようで、埃っぽさはない。
だが――丁寧な清掃を経てもなお、落ちなかったであろう赤錆色の染みが、壁や床にこびりついており、リュカの胸中に不安が走った。
寝台にアイゼを寝かせると、彼女の教え子が、治療道具と思わしき一式を、桶に入れて入室してきた。
「っ!?」
リュカは桶から、鋸歯状の刃物――骨鋸を発見して慄いた。
「フローレンツ殿!? こ、この物騒なものは、何に使うつもりで!?」
「診断した所、彼女の患部は猛毒に侵されておりますれば、もはや根治は望めません。一刻も早く患部の切除することが肝要となります」
フローレンツは、リュカに顔を向けることなく、淡々と準備を進めている。
意識を失ったアイゼの手足を縛り、口角に噛み布をあて、患部である腕の下に桶を敷く。
壁や床の赤黒い染みは、リュカの胸騒ぎの通り――血痕であったのだ。
ここは、荒療治を行うための個室であることを、ようやっと察するのであった。
「それはすなわち……アイゼの腕を切り落とす……ということか!?」
「その通りです」
外科医術が発展していない現代において、優れた外科医とは――手早く患部を切除する者のことを指す。
そういった意味では、厚い肩幅と恵体を持つ彼女は名医と言えるであろう。
「それはまかりならん! アイゼは剣士なのだ! 腕を失わせる訳にはいかぬ! 五体満足のまま、アイゼを救う手立てはないものであろうか!?」
「既に毒はかなり進行しております。服薬治療の成功率は低いでしょう。失敗すれば彼女は命を落とし――美しい貌までが毒腫瘍に侵された状態で、月星国へ昇ることとなりましょう。それは彼女が由とすることでしょうか?」
「…………」
リュカは歯噛みする。
確かに、これ以上アイゼを苦しめるのは、リュカとしても本位ではない。
片腕を失っても、生きてさえいれば指揮は執れる。
それに、彼女とまた話し合うことが出来る。
笑い合うことが出来る。
自分が玉座に着く様を、見届けて貰える。
だが――腕を失い、剣を失った彼女は果たして、リュカの知るアイゼリーゼ・アイゼンハルトと呼べるのであろうか?
そのような葛藤が、リュカの胸中を乱す。
少なくとも、腕を犠牲にすれば、根本治療より生存率は高い――とフローレンツは助言する。
「殿下」
「ジャスパー殿……?」
背中から声がかかる。
肩越しに振り返れば、ジャスパーがリュカの肩にそっと手を添えていた。
「殿下の一番の忠臣である彼女を信じなされ。殿下であれば、アイゼ殿が何を由とするかは、自ずと見えることでしょう」
「老師の言う通りです。リュカちゃんの選んだことなら、アイゼさんは絶対に、後悔しないと思うです」
「エフィも……」
ジャスパーに添えられた肩と反対側の手を、エフィの手が取る。
二人の家臣。
もしくは、一人の友と師から背中を押され、リュカは決心した。
「構いません。それで彼女が月神の御腕に抱かれる仕儀となれば、わたしも後を追うのみです。どうか――アイゼの命も腕も、両方を救って頂きたい」
リュカはフローレンツに深々と頭を下げた。
「…………」
フローレンツは、リュカとアイゼとの間に育まれた絆など、知る由もない。
故に、リュカの選択は、彼女の意志を顧みない残酷なものであると見えたとしても、詮無きことであった。
だが――それでも。
フローレンツは、うなじを晒したリュカの小さな背中を見やる。
こんな小さな背中に、自分より頭二つ分も大きいアイゼを背に担ぎ、絹服を膝まで泥で汚し、典雅な美貌を隈と疲労で翳らせ、王族にも関わらず、たかが修道女相手に頭を下げている。
それだけの様を見せられてしまっては、神の僕たるフローレンツは、その誠意に応える他、選択肢はなかった。
「頭をあげてください殿下」
「では、アイゼを助けてくださるのですか?」
「最善は尽くします」
「っ! ど、どうか、どうかお頼みいたす……!」
王族相手にこれだけの礼を尽くされては、医者として名が廃るというものである。
フローレンツは骨鋸を放り投げると、教え子を呼びつけ、新たな道具を用立てるよう指示を出すのであった。
***
数分後。
彼女の教え子が持参した治療器具の数々を用いて、フローレンツは治療を開始した。
まず彼女が手に取ったのは、リュカからすれば、用途不明な器具であった。
フローレンツは、アイゼの毒で侵された患部から、瀉血を兼ねた採血を行うと、黒痰状に変色した血液を、その器具の中に満たした。
「フローレンツ殿……その器具は?」
「錬金術師の内、不死の霊薬の研究を専攻している一門の発明品でして――中に入れた血液成分のみを分離する道具です。患部の血を抽出することで、毒物のみを取り出すことが可能になるのですよ」
「なるほど……そのようなものが……」
王子軍にも錬金術師はいるが、彼は生物学に属する人造人間の研究を専門としていることもあり、薬学や毒学には疎かった。
だが、錬金術とはあらゆる学問の祖である。
アルフォンタスやその息子ツギオストロ伯とは派閥を異にすれど、錬金術の秘儀がアイゼを救う一助となり得ることに、リュカは感慨深いものを覚えるのであった。
「見たところ毒矢に射られたようですが、彼女を射った矢は手元にありますか」
「こちらに」
「重畳です、神父様」
「はは……」
ジャスパーは懐から、布に包まれた毒矢を渡しながら、乾いた笑みを浮かべる。
本物の修道女からの賞賛に、偽僧としてはたじたじにならざるを得なかったのである……。
その後もフローレンツは、真剣な眼差しで、毒液を何らかの水溶液に垂らして変色の具合を検めたり、修道院で飼育しているラットに毒矢を刺し、反応を観察しながら、毒の種類を特定した。
「驚きました。これは鳥甲の烏頭を主剤とし、加えて毒蛇の胆汁、更に毒虫の精髄を配した、王国の薬学で最も強力とされるものです――0.01グラムでクジラとかを動けなくする毒ですよ!? 人間なら数秒で死に至ります。未だ生を保っているだけでも奇跡と言えます!」
フローレンツの顔から、初めて冷静さが剥がれ落ちた。
これだけ強烈な毒が用いられたにも関わらず、今なお息をしているアイゼの生命力に、驚愕を禁じえなかったのである。
「確かにアイゼは、昔から体だけでなく、臓腑も強かったからな……」
リュカはかつて王宮で起きた一幕を思い出した。
アイゼはリュカの傅役として、食事の際の毒味役も担っていたのだが――
ある日のこと、陰謀でも権謀でもなく、ただの手違いで、料理人も気付かぬまま、痛んだ食材が料理に混入したことがあった。
アイゼは鋼の肉体を所持していると同時に、鋼の胃袋を持ち得ており、違和に気付かずリュカに膳を勧めた。
リュカは、
『今宵の食事は、なんだか変な味がするのだが……』
と、違和を唱えるも、
『偏食なさるのはよくありませぬ。好き嫌いなさらず残さず召しあがりくだされ』
と、傅役としての職務を全うした結果、案の定リュカは一週間の腹痛と下痢に苦しめられ、同じ食事を三杯おかわりしたアイゼはけろりしていた――というエピソードをフローレンツに聞かせるのであった。
「いや、これはそういうレベルの強さじゃないですよ!?」
ちなみに以後、アイゼは毒味役から外され、彼女が口をつけた食事を、リュカに食べて貰うという間接キスの役得を失い、三日三晩枕を濡らしたというエピソードも加えておく……。
とにもかくにも――釈然としない仕儀となったものの、毒の種類は判明した。
そしてここは、医学薬学に精通した修道院である。
必要な原料の在庫も確認され、フローレンツは解毒薬の調合に取り掛かるのであった。
ハンターハンター連載再開おめでとう……!




