66 後の祭り
ケーヒニス砦の中広場にて、祝宴が開かれたのは、太陽と月が東西それぞれの空に同居する、宵の口であった。
各所に篝火が焚かれ、戦死者への追悼の祈りを終えた砦の兵たちが、次々と広場に集まってくる。
砦の貯蔵庫から取り出された美酒と珍味は、前の戦と変わらず末端の兵に至るまで惜しみなく振る舞われ、杯と杯が打ち合う音と、死んでいった仲間達の分まで声を張り上げんとする歓談が、夜の石畳に響いていた。
王都はもう、目と鼻の先である。
もはや王子軍をせき止められる城塞は、残りの里程に存在しなかった。
泣いても笑っても、次の戦いが最後になる。
兵士たちは勝利の喜びを分かち合うように、次の戦いへの英気を養うように、新鮮な肉と野菜、高級な珍味や酒を牛飲馬食していく。
「ヘリワード殿、肩の具合は大事ないだろうか?」
「おご配慮下さりありがとうございます殿下。ですがお気遣いには及びませぬよ。しばらく安静にすれば、弓も楽器も問題なく持てると、ジャスパー殿よりお墨付きを頂戴しておりますので」
「それは良かった……」
「しかしこの傷では、王都での決戦において、わたしの弓術は役に立たないでしょう、弓箭兵の指揮に徹さざる得ないこと、申し訳ない限りでございます」
「気にすることではない。そなたが平癒した際に、また詩を唄ってくれればそれでよい」
普段であれば、広場の中央で弦楽器を演奏し、兵士たちの耳朶を虜にしているヘリワードであるが……。
今宵は肩の負傷を理由に、演奏会は中止である。
そんなヘリワードに代わって、どこかで歌が始まると、それに続く者が出て、やがて広場の半分が歌い出した。
ヘリワードは腕が上がらぬのを口惜しそうにしながら、唇だけで旋律をなぞっている。
「おいヘリワード、片腕では食べにくいであろう。ほれ、ワシが食わせてやろう」
「いやいや大丈夫で――ごふっ!?」
一方――ヘリワードの隣に座るアルフォンタスは、雛鳥へ給餌をするかのように、片腕が不自由なヘリワードの口元に、匙を突っ込んでいた。
普段とは完全に立場が逆転しており、どういった心変わりだと、卓の仲間達は目を丸くするほどであった。
それを見たリュカは、ふと思い立ったように、隣に座るアイゼへ声をかける。
「アイゼもわたしのために肩に矢傷を負わせてしまった。お詫びになるかはわからぬが、今宵わたしはアイゼの右腕に徹しよう」
と――アイゼの口元に、珍味を乗せた匙を差し出すのであった。
「滅相もない! この程度かすり傷に過ぎませぬ殿下!」
「いや、完全に腕を貫通していたような気がするのだが……」
「で、ですが……そうですね、お言葉に甘えさせて頂ければと存じます」
アイゼもまた、リュカからの〝あーん〟の儀の役得に与るべく、リュカの差し出す匙に口を近づけるのであった。
女騎士の桃色の唇が、銀匙に触れた――その瞬間である。
リュカは知らなかった。
外界全てを戦地とする野生動物において、傷病を晒すのは忌避する行為であり――平然を装うことを。
そして――常在戦場を掲げるアイゼもまた、野生動物の習性に倣っていることを。
つまり――
――ガッシャンッ!
――彼女の凛々しいかんばぜがみるみる青ざめていくと思うと、糸が切れた人形のように、卓の上に身を乗り出し、皿や杯をなぎ倒しながら倒れたのである。
「アイゼ!? アイゼ!? 返事をしてくれアイゼ!!」
リュカはこれまでにないまでに狼狽し、アイゼの背を揺さぶり、彼女の名前を連呼した。
しかしアイゼは、尋常でない脂汗を流すばかりで、リュカの言葉が届いた様子はなかった。
広場の歓声が、上座のただならぬ気配を感じ取ったのか、一つまた一つと途切れ始めた。
「アイゼ殿、失礼仕ります!」
兵士たちの視線が集まる中、ジャスパーが席を立つ。
気を利かせたヘリワードが、アルフォンタスの外套を剥ぎ取り、アイゼの前に掲げて目隠しをする。
ジャスパーはアイゼの鎧を脱がせて、皮膚を検めた。
やがて――彼女の首筋の血管が、太く盛り上がり、カビの菌糸のように青黒く変色しているのを発見する。
その跡を辿っていくと――昨晩ゴードンに打ち抜かれた箇所が、発生源であることが判明した。
ジャスパーはまるで、アイゼの顔色が移ったかのように、顔を青ざめさせ、普段の余裕めいた面を焦りで上書きせざるを得なかった。
「参りましたね。アイゼ殿が昨晩食らった矢ですが――――毒が塗られていたようです」
「アイゼ! アイゼ! 返事をしてくれ!」
リュカは狼狽のあまり、ジャスパーの言葉が殆ど耳に入っていなかった。
ただ目尻を濡らしながら、アイゼの手を掴んで、名前を呼び続けている。
いつもリュカを温めてくれる、骨ばった大きな手は、今宵に限って恐ろしく冷たく――リュカの指先から熱を奪っていく。
あるいは――心の熱さえも。
本来であれば縁起の良いはずの、満月の夜に始まった宴は、唐突に終わりを告げた。
篝火だけが揺れ続け、皓々たる銀盤が変わらず天穹に輝いていた。




