65 錬金術師の家系
『ねぇアルくん――私が死んだら、私の体を、人造人間研究のために利用してね』
これはもう、数十年前も昔の記憶である。
***
アルフォンタス・ツギオストロに嫁いだ女性は、貴族社会の例に漏れずに、政略的な意図を孕んだものであった。
されど――彼女は知見に富んでおり、生来無口であったアルフォンタスに寄り添うだけの社交性を持ち合わせていた。
アルフォンタスの助手としてよく支え、時には彼さえも思いもよらなかった発想で研究を前進させたこともあった。
それ故にアルフォンタスは、己が妻をよく愛した。
今思えば、彼からすれば学問以外で、初めて愛着を抱いた存在だったのかもしれない。
しかし運命とは残酷なものである。
医術をも内包している錬金術の一門に嫁ぎながら――それでも完治叶わぬ重篤な病に陥ってしまった。
細君が臥床の末、痩せ衰えた姿で放った今際の言葉が――上記のものであった。
「出来る訳がなかろうが……阿呆めが」
「そんなこと言っちゃダメだよ。錬金術は多くの犠牲の上に成り立つもの。今でこそ人体を用いた検証実験は、死罪人のみを扱うことになっているけど、アルくんの前の世代では、自領の民を攫い、犠牲にしてきた、血に汚れた歴史があるよね」
「……」
「よりよい未来を作るために、今を生きる人々を不幸にしてきた錬金術師が――自分だけは綺麗な体のまま埋葬されたいだなんて、虫が良いにも良すぎる話じゃない?」
「……分かった。お前の礎は決して無駄にはせぬ」
その日を境に――アルフォンタスは人に心を開くのを拒絶した。
親しい者を失うことは、親しい者と共に笑いあった喜びを、遥かに上回る程の絶望に苦しむことを知ってしまったから……。
――あの、青髪の少年に出会うまでは。
***
「久しいな――息子よ」
「孫娘の顔でそう呼ばれるのは、やはりしっくり来ませんな……父上」
「あれから何年じゃ? 二年と言った所かの?」
王都を守る最後の砦――ケーヒニス砦に王旗を突き立てた翌日。
戦死者への追悼と砦の修繕により、砦内には賑やかな喧騒が行きかっていた。
しかし――そんな囂然も、厚い天井に遮られた地下牢では無縁のものであった。
ひんやりとした牢獄の中にいるのは、此度の王弟軍の指揮官を務めていた――現・宮廷錬金術師のツギオストロ伯爵である。
スタンス城のシュタンシュテット伯と同様に、リュカが戴冠するまでの間、獄を抱かされているのである。
そんな彼の元を訪問したのが――親子関係に当たる、アルフォンタスであった。
「母親を切り刻み、孫娘の肉体を奪ったワシを殺せずに、口惜しいか」
「…………」
アルフォンタスは地下牢の回廊に腰を下ろし、鉄格子を挟んで、数年振りに息子と相対した。
頭巾を外し、妖しさを秘めた幼女の美顔を晒している。
ツギオストロ伯は父との――もしくは愛孫との再会に思う所があるのか、魚のように口を開きかけるたび、声となる直前に言葉を呑み込む仕草を繰り返すばかりで、会話と言えるものは続かなかった。
「ワシは妻の死体さえも、大願のために死刑囚同様に切り刻み、残り少ない寿命を伸ばすために、お主の愛孫の肉体を乗っ取った。そんなワシを憎んでおるのであろう」
「……そんな訳、ないじゃないですか」
出来るものなら、あらんかぎりの言葉で罵倒して欲しかった。
アルフォンタスは最愛の妻――もしくは愛おしかった曾孫――もしくは今の自分自身と同じ――真紅の瞳を持った息子の双眸を受け止める。
されども――息子から絞り出された言葉は、アルフォンタスの予想とは異なるものであった。
「孫娘が害っていたのは、脳ではなく魂でした」
「なんじゃ。知っておったのか」
「父上程ではありませんが、私だって今やツギオストロ家の叡智を受け継いだ当主です。それくらいのことは、あなたの老爺の方の死体を検めれば、分かりますよ」
アルフォンタスは曾孫の肉体を乗っ取ったと、かつてヘリワードの前で告げた。
しかしその真相は――幾分かの語弊があった。
アルフォンタスの曾孫――もしくはツギオストロ伯の孫は、6歳のみぎりにおいて、母子で馬車に乗っていた際、事故にあった。
馬車は横倒しになり、支柱がひしゃげ、母親の背を貫いた。
しかし――母親が身を挺して娘を守ったが故に、少女は後頭部を打っただけで済んだ。
だが、当たり所が悪かったのであろう。
少女はそれ以降目を覚ますことは叶わず、昏睡に陥ってしまったのだ。
ふくふくとした手足は日に日に痩せ衰え、血色のよい紅顔は血の気を失い、蝋人形のように青ざめていった。
この御代において――昏睡状態の者に栄養を摂取させる術は限られている。
数日以内に目を覚まさなければ、最愛の孫娘は月神の腕に抱かれてしまう。
『父上、アリスを助けてください。わたしは娘を失ったばかりです。娘が身を挺してまで守った孫娘まで失うのは、とても耐えられません』
その仕儀に煩悶したツギオストロ伯は、父親に対し、まだ検証段階である秘儀の一つ――〝魂と肉体を入れ替える術〟を施すよう懇願した。
『彼女の魂を移す器はどこにある?』
その反論に対し、狂気に飲まれたツギオストロは、父の御代で禁忌に指定された手段を取った。
すなわち――娘と近い年頃の、近い外見を持った領民の少女を、領主の特権を濫用して強引に用立てたのである。
されど、ツギオストロが無辜の民を連れて帰館した時――寝台の上に孫娘はいなかった。
アルフォンタスが、己の不在の間に、自分の肉体を使って、孫娘と肉体を取り換えてしまったのだ。
されど――老爺の肉体に、孫娘の魂は宿っていなかった。
ただ、枯れ果てた老人の死体があるばかりであった。
検証段階が故に失敗したのか?
それとも交換ではなく、一方的な肉体の奪取だったのか?
彼には判別つかなかった。
ただ、ただでさえ精神的に不安定だったツギオストロが、この様を見て完全に壊れてしまったのは――確かであった。
ツギオストロ伯は怒り狂い、孫娘の肉体を奪った父親を糾弾した。
私兵を呼びつけ、アルフォンタスを弑するよう命令したのである。
アルフォンタスは青銅巨人を伴い、逃げるようにツギオストロ邸を後にした――という次第であった。
だが――冷静さを取り戻した後に、老爺の死体を検めて、ツギオストロは把握した。
秘儀は失敗などしていなかった。
アルフォンタスはアリスを殺害などしていなかった。
老爺の死体には最初から――アリスの魂が入っていなかったのだ。
当初――孫娘が昏睡したのは、頭部への損傷により、脳に原因があると思っていた。
だが真相は、己の母親の背中に馬車の支柱が突き刺さり、出血を伴って腹部から突き出した、幼子には衝撃的過ぎる光景を前に、精神を障ってしまったのが原因だったのだ。
つまり――孫娘が損傷していたのは、脳ではなく魂の方だったのである。
これでは、魂を入れ替える秘儀も役に立たない。
そのことを悟り、ツギオストロは絶望した。
手元に残っているのは、禁忌を犯して攫ってきた無辜の領民の少女のみであり――それがまた、己の犯した罪を自覚させた。
――そして舞台は再び現代に戻る。
「父上は孫の命が残り少ないことを知って、自分の肉体を明け渡そうとした……しかし、彼女が障っていたのは脳ではなく魂の方であり、結果的に――彼女の肉体を奪ったように見えてしまった。それが真相ですね?」
「…………どのような仕儀にせよ、ワシが曾孫を救えなかったのは事実じゃ。悪かったな」
「言ったでしょう。謝らないでくださいと――あなたの代わりに家督を継いで実感しました。わたしのような凡才如きでは、あなたのような優れた錬金術師にはなれないと。だから……もし、アリスの肉体を有して生き永らえたことに、少しでも悔恨があるのであれば……その命を、錬金術の発展――つまり、よりよい未来を作るために使ってください。わたしは、それをお伝えしたくて、あなたに会いにきたのですから」
「…………」
ツギオストロ伯は王弟ヨハンに対し、己の父親をあらんかぎりの言葉で責罵してみせた。
だがそれは、アルフォンタスとこうして対面を果たすための口是心非だったのだ。
「心得た。幸いなことに、ワシが仕えている王子は、登極の暁において、ワシを宮廷錬金術師に据えてくれるらしいからのぅ。本格的にワシが研究を再開するのは、王弟を王宮から追い出してからになるがの」
「そのみぎりを、楽しみにお待ちしております」
かくして、錬金術師の親子は和解を果たした。
そしてアルフォンタスは、妻を失ったことで、一度は捨てた、人と寄り添う心を取り戻したのである。
***
「無事仲直りは済んだようですね」
「盗み聞きとは下品なやつじゃ」
「目だけでなく、耳も良いもので。それに不本意ながら、あなたの世話役を押し付けられている身なのでね」
「で――肩の具合はどうじゃ」
「暫くは弓も楽器も持てませんが、安静にしていれば、やがてこれまでと同じように平癒するとのことです」
地下牢の廊下の角を曲がった箇所にて――石壁に背を預けたヘリワードが、アルフォンタスを待ち構えていた。
彼は昨晩――アルフォンタスを庇って肩に矢を受けてしまった。
今も右肩からは、包帯を覗かせている。
しかし幸いなことに、急所は外れており、後遺症も残らず、既に自分の足で動ける程には恢復していた。
「そろそろ祝勝の宴が始まりますよ。ケーヒニス砦にも、結構な美酒が貯蔵されているらしいです。でもスタンス城の時のような悪酔いはしないでくださいよ。片腕であなたのゲロを片付けるのは骨が折れますから」
「いや――強い酒は控えることにした」
「おや? これはまた、どういった風の吹きまわしで?」
「長生きせにゃいかん理由ができたのでな」
アルフォンタスはそう述べると――狷介な表情を和らげ、少女のような笑顔をヘリワードに振りまくのであった。
その頬は照れからか――ほんのりと朱に染まっていた。
少女のかんばぜにはもはや、蝋人形めいた妖しさはない。
けれどもそれは――これまでヘリワードが見てきた、アルフォンタスのどの表情よりも愛らしいものであった。




