63 錬金術師と吟遊詩人
ケーヒニス砦に忍び込んだ錬金術師と吟遊詩人は、青銅巨人ダイダロスがお椀型に組んだ手の平に搭乗し、手元の地図を参照しながら、最短距離で城門を目指していた。
とはいえ――王子軍の中にケーヒニス砦の図面を把握している者は、一人もいなかった。
そこで貢献したのが、ジャスパーの飼育しているカラスである。
雛鳥の頃より多彩な芸を仕込まれたカラスは、ケーヒニス砦の上空を旋回し、ジャスパーの元に帰還すると、その内情をジャスパーに伝えた。
そうは言っても、いかに賢いとされるカラスであっても、人間の言葉を発することは不可能である。
ならどうしたかと言えば――方眼紙を用いて地図を作成したのである。
カラスは方眼紙の升目を嘴でつつき、ジャスパーは突かれた箇所を塗りつぶしていく。
そうすると、砦を上空より鳥瞰した際の地図が出来上がる――という寸法であった。
王弟軍の指揮官ツギオストロは、ジャスパーが伝令にカラスを用いることは把握していたが――まさかそこまでの芸当を身に着けているとは露知らず、上空を旋回していることを知りながら、手を打とうとしなかった。
それが彼の手痛い失態となったのである。
まあ――遥か上空を飛ぶカラスを、弓矢で射るのはそれはそれで至難の業であっただろうが……。
「なっ!? なんだ!? ゴーレムが動いてるぞ!?」
ヘリワードとアルフォンタスを手の平に抱えたダイダロスは、砦の外郭へ向けて駆け抜ける。
道中の物見櫓に詰めている兵が、ダイダロスに気付いて、慌てて警鐘を鳴らそうとするも――
「ぎゃっ!?」
――揺れる青銅巨人の上から放たれたにも関わらず、正確無比のヘリワードの一矢が、見張り兵を射殺した。
「もう矢が心もとないですね……」
ダイダロスの狭い体内で身を潜めるため、矢筒として扱っている三角帽子は置いてきている。
そのため、扱える矢は残り数本であった。
とはいえ――城門はもう目と鼻の先まで来ていた。
「門が見えました! アルフォンタス殿、任せましたよ!」
「言われなくとも!」
城門と面した前広場にて、一旦足を止めたダイダロス。
搭乗したアルフォンタスとヘリワードは、手の平から地上へと降りる。
これよりダイダロスは、城門を突貫するための突撃を行うが、その衝撃に人間は耐えられないからである。
「おい! ゴーレムが動いてるぞ!」
「足元にいるのは、王子軍の術者じゃないか!?」
「シット! もう矢が心もとないと言っているでしょうに!」
城壁で歩哨している敵兵は、後方から響く地響きにより、こちらの存在に気付いてしまった。
城壁にいる敵兵の数は三人。
美辞を弄する吟遊詩人とは思えない、汚いスラングを吐きながら、ヘリワードは残る二本の矢を、文字通りの矢継ぎ早に放ち、歩哨兵の二人の眉間を貫く。
次いでヘリワードは虚喝として、空手のまま最後の歩哨兵目掛けて、弦を引き絞った。
歩哨兵は、正確無比の弓撃で立て続けに同僚が殺されたことで、慌てて城壁から頭をひっこめる。
今宵は満月といえど、双方の距離は離れており、ヘリワードが矢を使い切ってしまったことに、気付けなかったのである。
「さあ! 今です!」
「うむ!」
脅威は排除された。
アルフォンタスはダイダロス目掛けて、タトゥーの彫られた腕を伸ばす。
ダイダロスは前傾姿勢で腕を振り、助走をつけて城門へ疾駆した。
数十トンもの質量から伴う運動エネルギーの前に、堅牢な城門も悲鳴を挙げざるをえなかった。
特注の蝶番は弾けとび、厚い一枚板で作られたオークの閂がへし折れる。
かくして――吟遊詩人と錬金術師は、たった二人で城門をこじ開けることに成功したのであった。
「門が開いたぞ! 総員――――突撃!」
「「「「うおおおおおおお!!!!」」」」
城門の断末魔が、夜の静寂を切り裂き――丘の下でひっそりと布陣を完了していた王子軍は、アイゼリーゼの鬨の声に呼応する。
地軸を揺るがさんばかりの吶喊のユニゾンを奏でられ、丘を駆けあがっていく。
「さあ。直に味方の本隊が到着します。門の前にいるダイダロスを戻してください」
「言われなくとも分かっとるわい!」
ダイダロスは、門を封鎖するように横たわっている。
このままでは王子軍本隊の突入の妨げとなってしまう。
アルフォンタスはダイダロスを起き上がらせようと操作するが――
――ビュンッ!
――ヘリワードの聡耳は、鏃が纏う風切音を聞き逃さなかった。
「危ないっ!!」
ヘリワードの伏し目が観測した。
先ほど――ヘリワードのはったりを前にして、頭を引っ込めた壁上の歩哨兵が、再度頭を出し、矢を放った瞬間を。
「あがっ!?」
細身に見えて引き絞られたヘリワードの腕が、アルフォンタスを突き飛ばす。
アルフォンタスは痛みによって、短い悲鳴をあげた。
幼女の瑞々しい頬が、彼女の瞳と同じ色の液体で濡れる。
しかしその鮮血は――幼女のものではなく……。
「おい……なにを……しとるんじゃ……?」
彼女を押し倒した、ヘリワードの肩から突き出した鏃を伝って落ちてきたものだった。
「何って……狙われたあなたを庇ったんですよ……あなたがいないと……ダイダロスが……動かせないじゃないですか……」
――ポタリ、ポタリ。
太い血管が傷ついたのか、次々と流れ落ちてくる生暖かい血が、鏃の先で雫と化して、アルフォンタスの顔を汚していく。
ヘリワードはアルフォンタスを押し倒したまま、動こうとしない。
自身が盾となり、歩哨兵の追撃からアルフォンタスを守るために。
「おい。狙われておるぞ! 早く逃げるんじゃ阿呆!」
「だってアルフォンタス殿……射られたらピーピーとうるさいじゃないですか……泣きわめくあなたをあやすのは、射られるより大変なんですよ……」
「くっ!!」
ヘリワードの背中に二の矢が突き刺さる前に、アルフォンタスは急いでダイダロスを引き戻した。
そして――ヘリワードがアルフォンタスにしているように、二人の両脇に両肘をつかせて盾にする。
月光が遮られ、ヘリワードの顔が見えなくなるが、負傷による荒い息遣いで、彼がまだ生きていることを把握した。
「なぜワシ如きを助けたヘリワード! おぬしは、日頃酷い仕打ちをしかけるワシを恨んでおらぬのか!?」
「はは……あなたが誰かの名前を呼んだのを聞いたのは、初めてです……もしあなたが、殿下の軍の中で、初めて呼んだ名前がわたしであるなら……光栄ですね……」
「質問に答えよ! 我が身を犠牲にしてまで助けた!?」
「確かに……あなたといると調子が狂わされてしまいますが……それもまた一興……あなたに振り回されたり、ゲロの片付けをさせられるのも……嫌いじゃなかったのですよ……」
その言葉を最後に――ヘリワードの意識が途切れる。
脱力したヘリワード体重が、アルフォンタスを押しつぶした。
例え意識を失おうとも、己が背中で小さな幼女を守らんとするように。
「この、莫迦ものめが……!」
アルフォンタスの赤く染められた頬が、新たに滑り落ちていった透明の雫で洗い流された。




