62 青銅の木馬
月を神聖視するルナルシア月神を国教として定めるスぺサイドの民にとって、満月というのは特別な意味を持っていた。
教会の神父は特別な説教を行い、篤い信仰心を持つ信徒は、寝る前に必ず祈りを捧げる。
それは戦時中においても変わりなく、王子陣営の兵達はジャスパーの織りなす説教に耳を傾けては、今宵行われる作戦の士気を高めるのであった。
とはいえジャスパーは、教会より正式に得度を授けられた訳ではない。
彼の口から語られる説教は、確かにルナルシア月神の教義に適っているものであったが、ジャスパーの僭称を心得ているアイゼリーゼは――
「ジャスパーの詐術を前にすれば、習わぬ祈りも様になるものだな……」
――と、香油を塗りこまれたかのようによく回る舌に飽きれ返るのであった。
そんな王子軍の面々において、一目置かれている侍臣が二人欠けていた。
それは――吟遊詩人ヘリワードと錬金術師アルフォンタスの二人であった。
***
沖天に掲げられた正円の銀盤は、皓々たる光を湛えて夜の帳を貫き、その周囲には星辰に召された守護聖人達の魂が宝石の如く散りばめられ、静謐にして荘厳なる天穹を織り成していた。
「雲一つない綺麗な夜空だ。こりゃ、オレ達を祝福してくれているに違いない」
「その通り、薄汚いスペイド人の血が混じった王子なんかじゃなく、純然で高貴なハアト人の血のみを受け継いだヨハン大公に与するオレ達に、月神様が微笑んで下さっているんだろう」
そんな言葉を交わすのは、ケーヒニス砦の中央広場で、鹵獲した王子軍の青銅巨人の見張りをしている二人の歩哨兵である。
ちなみにルナルシア月神の教義において、特定の人種に対して迫害を唆すようなものは一文も存在しない。
されど、いつの世も宗教と民族差別を結びつけて、己の正当性の免罪符にしてしまうものであった。
そのようにして、雑談に興じる二人の兵隊の背後には、物言わぬ青銅のオブジェが鎮座していた。
「しかしよくこんなバケモノを捕まえられたものだな」
「なんでも、これは錬金術による代物らしい。指揮官のツギオストロ伯爵は宮廷錬金術師だから、その弱点を把握していたんだと」
「いきなり動いたりしないだろうな?」
「それも心配いらないらしい。額に刻まれた文字を潰すと、ゴーレム? ってのは動けなくなるみたいだから。でも――伯爵様がコイツの分析を進めているらしく、うまくいけば、動かせるようになるらしい」
「それは頼もしいぜ。丘の上から転がり落ちるだけで、王子軍の本陣まで大打撃を与えられるだろうよ」
「はははっ! 違いない! 汚れた血の王子に地獄を見せてやろうぜ!」
二人は歩哨の役割も忘れて、大声で笑う。
故に気付けなかった。
――ゴトリ。
無数の青銅のブロックが組み合わさって構築されている背後のゴーレム。
そのブロックの一つが、内側へ吸い込まれるように外され――青銅の穴から、二本の鏃が鎌首をもたげていることに……。
――ビュンッ。
「「ぐはっ!?」」
同時に射放たれた二本の矢は、風を裂く死の二重奏を奏でると、歩哨兵の頸椎を貫き、喉仏を突き破った。
赤くぬらついた鏃が、月光に照らされ艶めかしく輝いていた。
閑談が沈黙する。
兵士の声と入れ替わるように鳴り出したのは――青銅巨人ダイダロスの肉体を構成しているブロックが一つ、また一つと、内側から押し出されるように落下する音だ。
そうして、成人男性一人分がなんとか出入りできる大きさとなると――そこから一人の男が這い出てきた。
肩甲骨の辺りまで伸ばした茶髪の直毛と、緑色の旅装。
トレードマークの三角帽子は被っていないものの、長いまつ毛で縁どられた流麗な伏し目は、まごうことなく――王子軍随一の射手――ヘリワードであった。
「重畳ちょうじょう。他に見張りはいないようですよ。降りてきてください――アルフォンタス殿」
「ちゃんと受け止めるのじゃぞ」
「ご心配なく。こう見えて鍛えておりますので。童女の痩身など片腕でも抱き留められますよ」
「日頃の恨みが募って、咄嗟に避けようと思っておらぬよな?」
「そう思うなら普段から優しくしてくださいよ……」
ヘリワードの次に、ダイダロスの内部から顔を覗かせたのは、錬金術師アルフォンタスであった。
赤目の幼女は、黄金の猫っ毛を翻しながら、ダイダロスから飛び降り、ヘリワードの腕に抱き留められた。
その後アルフォンタスは、砦内の広場に落したダイダロスのブロックを拾って、ヘリワードに肩車をしてもらいながら、再び青銅巨人にはめ込んでいく。
そして最後の一ピースに、予め持ち込んでいた古代文字の刻まれたブロックを、昼間ゴードンに潰されたブロックと取り替えてはめ込んだ。
すると――ブゥン、と。
〝死〟を意味していた額の文字は、再び〝真理〟を示し――目に当たる部分が、月光の元で怪しく光るのであった。
***
――数刻前。
丘上の野戦で、王子軍は切り札であるダイダロスを偸われたかのように見えた。
だがそれは、全て奇策師の仕組んだ陥穽であったのだ。
ダイダロスはスタンス城での戦いにおいて、中に弓兵が搭乗できるように、中をくり抜いて胸壁を取り付けた形状をしていた。
しかし敵の指揮官が錬金術に縁あるものと知ったジャスパーは、更なる改造を施した。
見た目こそかつてのガーナーゲート砦で見た初期型と相違ないように見える。
だが――その中身は成人男性1.5人分が、身を屈めて入りこむことが出来る空洞を拵えてあったのだ。
ジャスパーの立案した策は以下の通りである。
①アルフォンタスはヘリワードを伴って、ダイダロスの中に潜む。
②ゴーレムの仕組みに精通しているツギオストロ伯にあえて鹵獲され、砦の中に運んで貰う。
③闇夜に乗じて見張りを殺害し、古代文字の刻まれたスペアブロックでダイダロスを再起動させる。
④砦内でダイダロスを操り、砦門を内側から破壊。
⑤予め進軍準備を整えていた王子軍本隊が、破られた門から夜襲を仕掛ける――といった寸法である。
無論――智者であるツギオストロ伯に露見しないよう、最善の注意を払った。
まず、ダイダロスの中が空洞であることを悟られぬよう、中には大人と子供が一人ずつ入れる、最低限のスペースしか確保しなかった。
また外の様相を確認できる狭間はなく、窒息しないだけの空気穴程度の隙間があるだけである。
そして――アルフォンタスが中に潜んでいる疑惑を抱かせないために、いつもアルフォンタスが被っている襤褸をリュカが被り、目立つ木台の上に鎮座し、あたかも本陣からダイダロスを操作しているかのように見せかけたのだ。
昼間――ツギオストロが単眼鏡が認めた襤褸の中身は、アルフォンタスではなく――リュカだったのである。
そしてリュカは青薔薇の宝珠を通じて、ダイダロス内部にいるアルフォンタスに思念を飛ばし、ダイダロスにやれ「○○メートル前進」やら、「右側の敵あり」などと指示を出していたのである。
ヘリワードが同伴していたのは、アルフォンタスの護衛である。
王子軍の中でも特出した弓術を有し、横紙破りな性格により王子軍で孤立しているアルフォンタスを御せるのは、彼の世話役(を押しつけられている)であるヘリワードしかいなかったからである。
「さあ、地図によればここから門までは結構距離があるようです。外で待機している殿下達を招き入れるために、早く門を破りましょう」
「まあ待て。半日も狭い空間で伏していたせいで、背中がバキバキじゃ」
「それはこっちも同じですよ……むしろわたしの方が、あなたのクッションになって、直に青銅に触れていたので、お尻が痛いのなんの……」
特に昼間――張られたロープに脛をひっかけられ横転したときは、肩やら腰やらを打ち付け、悲鳴をあげないように苦労した程である。
一方アルフォンタスは、ヘリワードに抱きしめられていたため無傷であった。
「くうううう~~~~よし、行くか!」
アルフォンタスは背骨を反らし、年寄りめいた喘ぎ声を出しながら、凝り固まった体をほぐす。
そして右腕の袖を捲り上げ、赤色に彫られたタトゥーを外気に晒すと――ダイダロスを機動させた。
――ズ。
――ズズ。
――ズズズ。
ダイダロスに両手で水を掬うようなポーズを取らせると、手椀の中にヘリワードと共に乗り込む。
そうして動き出した青銅巨人は、手元にある地図を参照に、最短距離で城門を目指して歩き始めるのであった。




