61 青銅巨人の弱点
――翌日。
涼やかな夜風を運んでくれる月神が眠りにつき、太陽が沖天に昇る初夏の日差しは、鎧兜を纏った人間には酷なものであった。
そんな人間が陵丘に集い、陣列を組む様を――天空を飛ぶ一羽のカラスが、黒い羽を羽ばたかせながら睥睨していた。
「あれは敵方の子飼いのカラスですな。撃ち落としますか?」
「やめておけ。どうせこの距離では届かぬ上、口を聞けぬカラスが陣容を上から見た所で、どうすることも出来まいて」
部下の提案に異を唱えたのは、陵丘の上側に陣を敷く――王弟軍の指揮官の一人――ゴードンである。
バケツをひっくり返したようなヘルムは、蒸し焼きの最中の釜のように熱を籠らせているが、戦場において彼がそれを脱ぐことはなかった。
ただ黙って――戦端が拓かれるのを待ち続けていた。
「頼みの綱はゴードン卿にあります。期待しておりますよ」
「無論――某は某に出来ることに殉じるまで」
ゴードンの隣には、ケーヒニス砦を預かる王弟軍――もう一人の指揮官――ツギオストロ伯がいる。
文官故、鎧を纏うのには慣れておらぬのか、熱さに負けて兜は部下に預け、撫でつけた黄金の猫っ毛を外気に晒している。
ゴードンは先のスタンス城の戦いで苦杯を喫したことで、己の指揮官の才はないと開き直り、兵権の全てをツギオストロ伯に委ねていた。
そしてツギオストロ伯の方も、同じ錬金術師が故に――王子軍の切り札である青銅巨人の欠点を知り得ていたが故、策を仕込んでいる。
対峙せし両軍、その背後に控えし二人の智者。
智略の限りを尽くして水面下にて角逐する。
此度の戦い――戦場を制するのは錬金術師の叡智か、もしくは奇策師の奸計か。
果たして――
***
早朝から睨み合いを続けていた両軍――その戦端を開くきかっけとなったのは、王子軍の陣中より単騎で近づいてきた美童であった。
駈足で丘を昇ってくる存在に、思わず王弟軍が色めき立つ。
しかし敵が単騎であること、武器を携えてないことから、それが使者であると判断し、部隊長は指揮官の指示を仰いだ。
その容貌が露わになると、思わずゴードンは声をあげる。
「ノエル!!」
「ゴードン様!」
ゴードンは逸る気持ちを抑えられず、王子軍の使者――己の寵童の一人であるノエルを迎え入れた。
ノエルは王子軍の認めた文を持参し、捕虜の身分を解かれたのである。
ゴードンはツギオストロと共に、件の文を読み上げる。
内容を要約すれば――
王弟ヨハンは簒奪者である故、正統な王統に連ねる王子リュカに帰順せよ――という、何の面白味もない降伏勧告状であった。
答えは出すまでもない。
ゴードンは愛すべき従者が戻ってきたことで、完全に憂いが絶ち切れた。
ツギオストロに進軍の提言を出す。
「既に睨み合いが続き数時間。丘上の利点を捨てることになりますが、数は圧倒的にこちらが上です。ツギオストロ伯の策を完遂するためにも、まずは我々から戦端を開くべきかと」
「うむ……先方も攻める気配が見えぬ。よし、進軍の合図を!」
沖天の暑さに痺れを切らし、ツギオストロは角笛で進軍の合図を出すよう指示を出す。
甲高い笛の音が響き渡り、王弟軍の第一陣が丘を駆け降りた。
それを合図に、丘の下からも管楽器の音が響き渡った。
笛を吹いたのはヘリワードである。
弘法が筆を選ばぬよう、一流の楽士は弦楽器以外の楽器にも通暁しており、野暮な戦場には場違いなほどに澄み渡る清色が、王子軍の背中を力強く押し上げた。
「「「「うおおおおおおおお!!!!」」」」
双方の軍は、矢頃にして一と半分(約300メートル)の距離にて、同時に足を止める。
そうしてまず最初に飛び交ったのか、長弓の応酬である。
矢叫びと弦鳴りが連なり、無数の矢が群雲の如く青空を覆う。
それは照りつける日差しに影を作る程であり、ある矢は草原に突き刺さり、ある矢は鎧に弾かれ、ある矢は肉を貫いた。
初戦において、戦況を有利に運んでいたのは――ツギオストロ並びにゴードンが司令を務める王弟軍であった。
丘上を陣取る彼らは、位置エネルギーの分だけ遠くまで矢を飛ばすことができる上、坂道は馬脚を鈍らせる。
古来より高処を押さえた者が戦況を有利に運ぶ不文律は、現代においても当然の理であった。
だが――王子軍もそれは先刻承知の上であり、次なる手を打ってきた。
「早くも出してきたか! 青銅巨人!」
一旦引いて陣形を整えた王子軍は――虎の子である青銅巨人を先陣に据えた、楔形陣を組んで再度突撃してきた。
王弟軍は丘の中腹にて、再び矢の驟雨をお見舞いするものの――青銅の鎧の前には足止めにならず、弾かれていく。
そうして敵陣の先端に到達したダイダロスは、丸太のような足や手で、文字通り羽虫を払うように蹂躙を開始する。
「うわあああああ!? バケモノだあああああ!?」
これまでの戦いの例に漏れず、初めてダイダロスの脅威を目にした兵は、恐怖に慄き背を向けて本陣へ逃げ帰っていく。
調子づいた王子軍は、そのままダイダロスを盾に丘を駆け上っていった。
「どこだ。どこにおる……我が愚父よ……!」
指揮官のツギオストロは、中腹で暴れる青銅巨人には目も暮れず、斜め下方にある王子軍の陣容を、細い筒越しに観察した。
磨いた玻璃を筒の先端にはめ込み、遥か遠方を見通す器具――後の世に単眼鏡と呼ばれる発明品である。
しばらくの後、ツギオストロは目的の人物を発見した。
「見つけたぞ! 我が愛孫の肉体を奪ったツギオストロ家の恥さらしめが!」
王子軍本陣――その一際後方にて。
戦中に拵えたであろう木台が設置され、その上に、大人丈の襤褸を纏い、頭巾で顔を隠した児童を発見した。
ツギオストロは愛孫の仇を見つけ、思わず声を荒げた。
「ゴードン卿。そろそろ出番ですぞ」
「心得た」
王子軍の快進撃は、丘の頂きに達する前に、終わりを告げることになった。
――ズッシイイイイイン!!
王弟軍の兵達を次々と肉泥にしてきた青銅巨人が、文字通り足元を掬われ、地響きを鳴らしひっくり返ったのである。
「よし!」
仕込んでいた罠が功奏し、ツギオストロとゴードンは、握り拳を作って歓喜する。
王子軍は地の利も数の利も劣るケーヒニス砦の戦いにおいて、虎の子を切らざるを得ないことは分かっていた。
そこで先んじて陣を敷いたツギオストロ&ゴードン軍は、丘の草原の中に、太い綱を隠しておいた。
その上を青銅巨人が通過する直前に、数十人の兵が綱を持ち上げ左右に引っ張る。
ピンと張られた綱に足をとられ、青銅巨人は頭部に当たる部分から転倒したという次第であった。
「ゴードン卿! 今です!」
「応!!」
ゴードンは側に控える、普段は槍持ちを任せている騎士見習いから得物を受け取った。
それは父の形見の両手剣ではなかった。
先端に無数の鋲を取り付けた鎚矛である。
ゴードンはメイスを振り回し、立ちはだかる敵兵の胸甲を胸骨ごと粉砕し、兜を頭蓋ごと陥没させながら――横転から立ち直れていない青銅巨人の元に馳せる。
メイスを柄の部分までもを鮮血に染める頃、ついにゴードンは青銅巨人の元に到着し――お目当ての〝印〟を発見するのだった。
「これかあああああ!!」
騎乗したゴードンと同じ高さに、青銅巨人の頭部に当たる箇所が横たわっている。
そして額に当たる部分をよく見れば、石板に記録するかのように、太古の文字が篆刻するように刻まれていた。
青銅巨人ダイダロスは――アルフォンタスが名付けた固有名詞であるが、青銅巨人そのものを意味する名詞は――ゴーレムと言う。
ゴーレムの頭部には〝真理〟と書かれており、その頭文字を消すことで、〝死〟という意味に変化することを、ツギオストロ伯は承知していた。
それがゴーレム――つまりダイダロスの弱点であった。
「ふううううぅぅんっっ!!」
ゴードンは眉宇を歪め、肺を膨らませ、歯を食いしばり、口中に溜めた空気で人中とおとがいを膨らませながら、怪気炎を挙げると、恐るべき剛腕でもって、メイスをダイダロスの額に叩きつけた!
鎧ごと骨を破砕するゴードンの膂力をもってしても、ダイダロスの頭部を打ち砕くには至らなかった。
しかし――額に刻まれた文字が、鋲で潰れる。
するとどうしたことか――不気味に赤く輝いていた、目に当たる部分が光を失うと――バタつかせていた手足が沈黙し、いくら様子を見ても、うんともすんとも言わなくなったではないか。
「青銅巨人、討ち取ったり!!」
ゴードンの咆哮は、敵味方の喊声入り交じる戦場においても、よく響いた。
王弟軍は朗報を耳にして色めき立ち、王子軍は悲報を耳にして浮足立った。
丘の下から、退却を告げる管楽器が鳴る。
それは進軍を告げる先の麗音と比べれば、まるで別人が奏でたかのような、マヌケさを覚える音色であった。
とはいえ――退却は退却である。
王子軍は馬上にいる者は馬首を返し、馬を失った者は踵を返し、丘の下にある本陣に逃げ帰っていった。
「よしこのまま追撃を――」
「待たれよゴードン卿! ゴーレムを失った王子軍など恐れるに足りず。ここはゴーレムを砦に収容するのが先決です。うまく行けば、逆に我々がゴーレムを武器として操れるやもしれませぬぞ」
「う、うむ……確かに仰る通りか」
ゴードンはツギオストロの指示に諒解を返すと、銅の塊と化したダイダロスの手足に縄を結びつけ、百人の兵士で協力して引きずるようにして砦内に収容した。
かくして王子軍は、たった一体で戦局を左右してしまう程の虎の子――ダイダロスを失ったのであった。
***
太陽は東の空に傾き、血で染まった草原を茜色で上書きする頃。
大敗を喫した王子軍の本陣にて。
「……はぁぁぁぁ」
大きく息を吐いたのは、王子軍の軍師ジャスパーであった。
彼は両手で顔を覆っている。
「まさかここまで……」
一見それは――己の不徳を恥じているように見えた。
だが――その指先がズルズルと彼の鼻筋をなぞっていき、最終的に一本の指が下唇に引っかかり、静止した。
露わとなったジャスパーのかんばぜには、悲嘆の情は微塵もない。
そこにあるのは、恍惚さと狡猾さを孕んだ――悪魔めいた嘲笑であった。
「まさかここまで――うまくいくとは思いませんでしたよ」




