60 夜の散歩
スタンス城の城頭に王旗が穿たれ――早くも五日が経過した。
前任の城主が残した莫大な物資は、王子軍の輜重を潤わせ、新鮮な肉や野菜、加えて美酒や珍味は、兵士たちの疲れを癒し、士気を高めるに至った。
かくして王子一党が次なる目的地に定めたのは、最終目的地である王都である。
王子軍の現存勢力は騎兵5500。
スタンス城に1000の兵を残し、残る4500の騎兵と輜重部隊はエルキ大河沿いの官道を北上する。
可能な限り戦力を削りたくないのは確かであるが、スタンス城に兵を残したのには訳がある。
此度の合戦によって、王子が軍隊を組織して王都奪還を狙って進軍していることが王弟ヨハンに露見してしまった。
そうなると、これまでの電撃的進軍の弊害として、素通りしてきたスタンス城以南の砦より、追撃を受けてしまう蓋然性が高い。
後顧の憂いを絶つべく、王都までの官道を扼したスタンス城を、機能させておく必要があるのであった。
それに軍師ジャスパーは、佳く調教した伝書カラスを多数所持しており、内一羽をスタンス城に残しておくことで、例え四方を包囲されたとて、スタンス城に残した兵からの急使を受け取ることが出来るという算段である。
だが――スタンス城を経った二日後。
王子軍の快進撃は、王都まであと一歩という地点で、足止めを食らうこととなった。
***
「こりゃまたかなりの兵を用意してきたものですな」
「ざっと見た所、10000といった所か」
「当方の倍ですね。しかも砦まで扼しているときた」
王都とスタンス城を繋ぐ官道の間――陵丘の上に建てられた、スタンス城にも劣らない規模の要塞――ケーヒニス砦にて、王弟麾下の兵が10000もの数で、王子軍を待ち構えていた。
数日前からずっとそうしていたのであろう。
既に城前の丘上にて布陣が完了しており、よしんば砦を素通りしようものなら、王子軍の横腹を即座に食い破ってくるであろうことは、想像に難くない。
「はてさて、此度の指揮官はいかがなものか。ヘリワード殿、敵陣の旗が見えますかな?」
ジャスパーはヘリワードに、紋章旗の仔細を訪ねる。
軍師の吊り糸目から覗く視力は、脳味噌に数百冊の学問書を詰め込む代償として、酷く摩耗してしまっていた。
それに引き換え、吟遊詩人の垂れ糸目は鷹の目を持っており、数キロ先の旗を検めることなど、朝飯前であった。
「無論です。この程度の距離、例え薄目でも鮮明に見定めてみせましょう」
「お前は常に薄目みたいなもんだろ」
アイゼのツッコミを受け流しながら、ヘリワードは伏し目を敵陣に凝らした。
「旗は二種類あります。片方は先日のゴードン氏が率いていた征伐騎士団と同じもの。もう片方は二匹の蛇が絡み合っている紋様です」
「なんと。ゴードン卿はあれだけの失態を犯しておきながら、未だ罷免されておらぬとは。存外ヨハン大公も情誼に厚い御仁のようだ」
「ゴードン卿か……」
件の重装騎士の名前を聞き――アイゼは苦り切った表情を浮かべずにはいられなかった。
彼女は過去、一騎討ちおいて、親子二代に渡って勝利を収めた。
されど――ゴードン親子の桁外れの膂力から繰り出される斬撃は、まともに食らえばアイゼであろうと一撃で膝を屈することは必須。
王子軍随一の驍将を前にしても、十回戦って十回とも白星を挙げられる自信はない――将としては二流でも、剣士としては一流であると認めざるを得ない――というのがアイゼの評である。
「それでもう片方……ええと、蛇の紋章は確か……」
「ツギオストロ家の家紋じゃ」
脳内にしまい込んだ膨大なデータベースから、情報を引き出そうとするジャスパーに先んじて、頭上より答が飛んでくる。
子供特有の視力で、敵陣の旗を識別した――錬金術師アルフォンタスである。
アルフォンタスは、先の改造で青銅巨人ダイダロスの頭部に取り付けられた胸壁――その凸部に足を投げ出すように腰掛けており、右手の親指と人差し指で輪を作り、敵陣を覗き込んでいた。
「ツギオストロ伯爵――代々宮廷錬金術師の地位にいる尚文の一門ですな」
「ツギオストロ……? それってつまり……」
面々の視線が後ろ上方――アルフォンタス・ツギオストロに集まる。
「つまり、武のゴードン卿と、智のツギオストロ家が手を組んだということですか……今回はジャスパー殿でも、骨を折りそうな相手ですね」
皮肉交じりに問うたのはヘリワード。
有事の際には矢筒としても扱う、大仰な三角帽子の鍔で初夏の日差しを遮りながら、ポロンとリュートをストロークした。
しかし――ジャスパーは一考しただけで、既に策を編み出し終えたようで、悠々とヘリワードの疑問に答えるのであった。
「今回はアルフォンタス殿に人肌脱いで頂きましょう――今より約2000年前、海を隔てた異教の地にて実際に弄された、木馬を用いた計略を御覧入れましょう」
普段であれば、「ようやくワシの出番か!」と、いきり立つ所なのだが――
「…………」
――かつての家門と対峙することに、やはり思う所がある様子。
アルフォンタスは青銅巨人の上で、複雑な表情を浮かべるのであった。
***
今宵は――雲一つない夜空であった。
満月に近づきつつある十三夜月が皓々と輝き、月神の振りまく月光が、足元で跪く敬虔な信徒を見守っていた。
王子軍はゴードン並びにツギオストロ伯が待ち受けるケーヒニス砦から、たっぷり矢頃十個分の間(約二キロ)を空け、宿営の運びとなった。
明日は10000対5000の合戦となる。
兵達は緊張感を漲らせながら、英気を養うべく、歩哨を除いて早めの床についている。
そんな陣中において――リュカは護衛もつけずに一人で、幕営の間隙を縫うように歩いていた。
リュカはこれまで、頻繁に陣中を巡っては、末端の兵に至るまで声をかけてはよく労った。
王子軍は鎮撫騎士団とオクスフォード伯の私兵から成り立つ軍であり、それ即ち国王とオクスフォード伯に帰属する。
つまり――彼らはリュカの持つ〝王権〟に従っているのであり、リュカそのものに従っている訳ではない――というのを、リュカはよく自覚していたのだ。
だからこそ、まずは自分から兵に歩み寄るのが重要であると捉えていた。
炊事の際に、侍女に紛れて配膳を行う悪癖も、その一環だったりする。
とはいえ――既にこれまでの道中、兵はリュカの人柄と、その可憐な顔立ちの内側に眠る王の器量を認めており、兵の大半が王権ではなく、リュカ個人に忠誠を誓っているのは、疑いようのない事実であるのだが……。
己を過小評価し過ぎるのが、リュカの美徳であると同時に、欠点でもあった。
そんなリュカが今宵訪ねた家臣は――老獪な幼女――アルフォンタスである。
「見張り役を買って出てくれたこと恩に着る――アルフォンタス殿」
「勘違いするな。眠れないから黄昏ておるだけじゃ」
アルフォンタスは青銅巨人ダイダロスの上にいた。
頭部の胸壁部分に足を投げ出して座り、高い視座からケーヒニス砦――即ち敵陣の方を眺めている。
天に浮かぶ銀盤から降り注ぐ銀光が――丁寧に研磨した雪花石膏の如き幼女の白肌を照らしていた。
肌の雪白具合で言えば、リュカも負けていないが、健康的な朱の差したリュカの肌と違い、蝋人形めいた青白い肌は――月光の下でこそ十二分に魅力が引き出される。
幼女には到底出せない、憂いを帯びた表情もあいまって――神秘的な妖艶さを振りまいていた。
「奇遇だな。わたしもだ。数キロ先に一万もの敵兵がいると思うと、恐ろしくて寝付けぬのだ」
「それなら、歩哨がてらに散歩でもするかの? どれ、いつぞやのように、ダイダロスの上に乗せてやろう」
「いつぞやのように、木の上に放置せぬと約束してくれるなら」
――ズ。
――ズズ。
――ズズズ。
王子は珍しく諧謔に富んだ返事をしながらダイダロスに搭乗すると――少年と幼女は夜の散歩に繰り出したのであった。
***
青銅巨人ダイダロスは王子軍の陣の外周を回る。
二人はダイダロス頭部の胸壁部分、その凸部を挟んだ別々の凹部に足を投げ出すように座り、心地よい夜風に抱かれていた。
一歩踏みしめる度にズン――と、下から突き上げられるような感触が心地良かった。
「…………」
「…………」
二人の間に会話はない。
リュカは日中、ツギオストロ家の紋章を見て、憂悶を帯びたアルフォンタスの顔を見逃さなかった。
そのため、僭越とは思いながらも、老人の精神を持つ幼女の元を訪れたのである。
しかし――リュカは彼女の頑迷さを理解しているからこそ、無作法に内面に踏みこむ真似は慎んだ。
それ故の無言であったが――不思議と気まずさを感じることはなく、二人はただただ、夜の散歩を楽しんでいた。
「のぅ……小僧」
「どうなされた、アルフォンタス殿」
アルフォンタスは、リュカが真の身分を明かしても、態度を改めたりはせず、以前と同じような口調を使う。
リュカもまた周囲に目がない時は、無礼を咎めることはなかった。
「お主は、人生を掲げるに値する大願はあるか?」
「……そうだな」
これは他愛もない雑談ではない。
それを悟ったリュカは、慎重に回答を整える。
「前提として、王弟より王都を取り戻し、王になることだが――やはり、征服民族による被征服民族への差別を撤廃したい。アイゼと共に王宮を飛び出し、様々な地で知見を深めた結果、そう願わずにはいられない」
「じゃが件の民族間の差別意識は、既に140年もの溝がある。たった一代で撤廃出来るとは、到底思えぬぞ」
「かもしれぬ――でも、わたしの子が、孫が、その意志を継いでくれると、信じている。例え大願叶う光景をこの目で見れずとも、そのための一歩を踏み出すのは、スペイドとハアト双方の血が混ざったわたしでないと、出来ないことだと思うから」
「っ!」
その言葉を聞いた時、アルフォンタスの中で何かが拓けた。
「ははっ……あははっ」
彼女は珍しいことに、見た目相応に笑った。
その横顔からは、先ほど間での険が抜け、少しだけ愁眉が開いていた。
やはり面白い小僧だ――とアルフォンタスは改めてリュカを評した。
この子供といると、否が応でも胸襟を開かされてしまう。
「意志を託す……か。全くもってその通りじゃ。ワシもまた託された側だと言うのに……どうしてワシは、そんな単純なことに、気付けぬかったのか……」
「どうなされた?」
「なんでもないわい」
リュカに少年相応の悩みがあるように――
アルフォンタスにも老年相応の悩みがある――
双方が十全に通じ合うことは出来ずとも、重なる部分はあり、共に背を支え合うことが出来る。
再び会話は途切れた。
リュカはこれ以上深入りすることはなかった。
リュカが求めているのは、アルフォンタスが秘めている憂いではなく、その憂いが取り払われることである。
アルフォンタスが語ろうとしないのであれば、内容を知る必要はないのだ。
夜の草原には、二人を乗せた青銅巨人の足音だけが、規則正しく続いていた。




