57 無礼講にも程がある
スタンス城奪の天守に掲げられた旗が、シュタンシュテット家の家紋から、王旗に取り替えられ丸一日が経過した。
昼間こそ汗ばむような熱を孕んでいた初夏の気候であったが、太陽が稜線に沈む時間帯においては、まるでルナルシア月神の慈愛であるかのように、爽やかな夜風を扇ぎ賜った。
まさしく絶好の月見日和において、スタンス城の広大な前広場では、盛大な戦勝の祝宴が開かれていた。
王子軍は交代に休みを挟んだものの一日中――火災の鎮火や後片付け、戦死者の葬礼と、てんてこ舞いの多忙を極めた。
そんな疲れも祝宴の前では弾けとび、飲めや歌えやの、楽し気な大音声に包まれるのであった。
スタンス城には1000人の兵を二年間食わせるだけの兵糧が備蓄されていた。
それと同時に、シュタンシュテット伯が集めた美酒、珍味も大量に保管されており、王子リュカはそれらを惜しみなく兵達に振る舞った。
無論――論功行賞においては、末端兵の隅々にまでシュタンシュテット伯の貯蔵が下賜された。
リュカは決して略奪を是としなかったが、それだけに兵を厚く労ったのである。
兵からしても、頑張れば頑張るだけ褒賞を賜れ、略奪に対する負い目を背負う必要もなく、胸を張って官軍を振る舞えるのだから、これほど尽くし甲斐のある主もいないと、幼い主君を高く評価するのであった。
その裏には、潜入工作を行ったエフィが、意図的に宝物庫や食糧庫に飛び火しないように計算して火を放った功績も忘れてはならない。
かくして――胃袋も懐も満たされたことで、王子軍の間には歓声が絶えることはなかったのである。
ある場所では喉自慢達が歌や詞を唱和し。
ある場所では腕自慢達がレスリングや棒術試合に興じていた。
それを周囲の兵達は、屠殺されたばかりの新鮮な肉と、上質なエールを片手に、野次を飛ばしながら観賞していた。
そこには王子軍を構成する、鎮撫騎士団出身とオクスフォード伯爵から預かった私兵との隔てりはない。
王子軍という一つの集団として、同じ志を掲げる者として、硬い絆が結ばれているのである。
しかしどうしたことか。
スぺサイド王国の民にとって、宴会の催しにおいて絶対に欠かせないのは歌と音楽であるのだが……。
王子軍において、その二つの冠絶を恣にする吟遊詩人ヘリワードは、その輪の中にはおらず、兵士たちの心を癒す美声も雅音が聞こえてこないのである。
そんな彼が現在どこで、何をしているのかと言えば――
「うう……ようやく来たかヘリワード……背中をさすっておくれ……」
「あなた、これ全部一人で飲んだのですか!?」
――爛酔する錬金術師の介抱をしていた。
アルフォンタスは見た目こそ一桁後半代の幼子であるものの、その精神は齢100を超える老爺を自称している。
その分だけ口も奢っており、自ら酒蔵に潜っては、秘蔵の一本を拝借し、飲んだくれていたという次第である。
アルフォンタスの足元に転がっているのは、20年に及ぶ熟成の末、アルコール成分が全体の四割にも達する、この時代では珍しい火酒の空き瓶であった。
とはいえ――精神こそ熟達の老爺であっても、肉体そのものは幼女であり、発達途中の臓腑でそれらを分解することが出来るはずもなく――空き瓶から漂う鼻をつく臭いと同じものが、幼女の口の奥から漂っているのであった。
「ヘリワード……ちょっと手で……お椀を作ってくれ」
「え? なんでですか?」
「吐く」
「嫌ですよ!? なんでわたしがあなたのゲロを受け止めねばならないのですか!?」
ヘリワードは弓箭隊長であり、軍行楽士であると同時に――アルフォンタスの世話役としての役職も兼任していた(本人は不本意であるが、いつの間にかそうなっていた)。
そこで、泥酔するアルフォンタスを介抱するべく、ヘリワードが召喚された次第であった……。
「ほら、この桶に出してください」
「ゲロゲロゲロゲロ……」
「ああ。20年モノが勿体ない……」
「げぇげぇ……そんなに言うなら飲んでもよいぞ」
「飲みませんよ!?」
アルフォンタスは食事を取らずに酒ばかり呷っていたようで、桶に固形物は見当たらず、吐き出されたのはスモーキーに香る琥珀色の液体だけであった。
「(ああでも……アイゼ殿のことです、リュカ殿下の御戻しになられた酒であれば、喜んで飲み干しそうですな……)」
ヘリワードは、かつて美酒だった吐瀉物を眺めながら、そんなことを思ったのであった。
ちなみに真偽がどうであるかと言えば――――アイゼなら飲む。
***
「見張りの兵隊さん、お酒とお料理を持ってきたので、良かったらどうぞ」
「あら。ありがとうお嬢ちゃ――で、殿下!?」
楽し気な歓談を背に受けながらも、それでもなお晩餐に預かれないものがいた。
城壁の上で、城外の見張りをする歩哨を任された兵である。
楽し気な歓声がここまで聞こえてくるにも関わらず、彼女はそれを見ることさえ叶わず、殺風景な草原を見張り続けなければいけないのだから、不貞腐れてしまうのは、仕方のないことであった。
その分手当が支給されるのだから、彼女はその任に立候補したものの、それでも羨望してしまうのが、人の性というものである。
「ああ、いや……その、ありがとうね、可愛らしいお嬢ちゃん」
「可愛いだって、良かったね」
そんな彼女に差し入れを行う者がいた。
王子軍の総大将――リュカである。
彼は無礼講を地で行くが如く、侍女の恰好に扮して、エフィを伴って、歩哨兵を労いにきたのである。
歩哨兵は、侍女と言うには無理がある程の気品と美貌から、即座にリュカであることに気付いたのだが、気付いていないふりをしてとぼけた。
オクスフォード領で練兵をしていた時期や、行軍の際も、リュカが侍女に扮して配膳などを行うことがあったが――それを見て見ぬふりをするのもまた、王子軍の間で暗黙の了解となっていたのだ。
王子はかつて、ガーナーゲート砦で厨房の下働きに扮していた際、料理の喜びに目覚め、このように侍女の真似事をする悪癖を身に着けてしまったのである(女装はそれに伴う結果であり、女装そのものが癖になっている訳ではないことは、リュカの名誉のために明記しておく)。
「あと半刻で交代ですから、それまで見張りのお仕事、頑張ってくださいね」
「それじゃあお姉さん、ばいばーい♪」
まだ湯気の立っている鶏肉のローストと、エールの注がれた木杯の入った行李を渡すと、二人の侍女はひらりと身を翻すと、パタパタと去っていく。
その後ろ姿を見て、歩哨兵は胸が温かくなるのを感じたのであった。
その感情を正確に描写すれば、「慕情」でもなければ「忠義」でもなかった。
後の世においては前者は「尊い」、後者は「推し」と呼称される感情である。
だが現在においては、そのような言葉は存在せず――兵士は抱いた感情を前述の通りに解釈し、より一層王子に忠節を誓うことを、胸に刻みなおしたのであった。
***
寛容にして聡明、懇切にして勇敢なリュカ王子が持つ、唯一の悪癖を駆使して次に訪れたのは、アイゼリーゼ将軍の卓であった。
「アイゼリーゼ様、エールのお代わりはいかがですか?」
「ああ、頂戴しよう――ぶぶ~~~~っ!?」
アイゼの前に、侍女の恰好をした子供が近づいてくる。
彼女は深く考えず、底に残ったエールを飲み干そうと木杯を呷ったのだが――その際視界にリュカの顔が映り、口内のエールを吹き出してしまった。
「で、殿下っ!? またそのような恰好で下女の真似事を……!?」
「まぁまぁアイゼさん。今日は無礼講です。下の身分が上の身分に失礼を働いても許されるように、その逆があってもいいと思うのです」
誰もが首を垂らす国王になろうとも御方が、召使いの真似事をする様に、アイゼは何度目になるか分からない嘆息をしたものの、他でもない本人がやる気になっているので、咎めるに咎められないアイゼであった。
そもそも、最初にガーナーゲート砦で従者の真似事をさせたのは、彼女であるからして、その負い目もあるのであった。
「(まあ、それで殿下の息抜きになるのであれば……)」
リュカにとって、君主の肩書はあまりにも重い。
権力者に付随する特権や権益を加味したとて、許されるなら手放したいと思っている程である。
だが少年は、国のため、民のために、囚われた姉のため、王になることを誓った。
だからこそ、時にはこのように、君主の肩書を一旦下ろす休息が必要なのである。
「それにほら、リュカちゃんは、アイゼさんのためにとっておきの料理を作ってきたのです――ね?」
「そうだ。鹿肉のローストを作ったのだ。その、火入れまでわたしが調理したもので……是非アイゼに食べて欲しくて……」
リュカの持つ権力は全て、生まれながらに受け継いだ血統によるものであることを自覚している。
だからこそ、肩書以外で、自分自身でできることを模索していた。
その結果辿りついたのが、かつての下働きの経験を活かした料理だったのだ。
エフィの旅籠屋の娘という経歴は嘘であったが、軍師ジャスパーの従者として料理の嗜みがある。
軍中にて少しずつ教わって、ついに一人で火入れ調理まで出来るだけの技量を身に着けていたのである。
「日頃アイゼには世話になっているから、お返しがしたかったのだ。騎士の論功に報いのは、主君の役目だが……ただの財貨では、アイゼは喜ばぬと思って、な」
いじらしく答える主君の姿を見て、アイゼは感涙を流した。
「まさかわたくしめのために、そこまでの思慮を巡らせて下さったと!? これ以上にない過分な褒賞でございます! 謹んで拝戴いたす! もぐもぐ……少し塩気が強すぎる気もしますが……これまで口にしたどんな美食より、おいしゅうございます!」
「本当か!? 良かった、おかわりもあるぞ!」
「塩気に関してはアイゼさんの流してる涙のせいだと思うのですが……」
此度の論功行賞において、最も大きな褒賞を賜ったのはアイゼなのかもしれない。
感涙しながら鹿肉に齧り付く女騎士の幸せそうな顔をみて、エフィはそんなことを思ったのであった。




