54 烏の濡れ羽は血に濡れる
今回もエフィを中心にしたエピソードになります。
エフィは影に扮して城内を駆ける。
時に絨毯の敷かれた石床を駆け、時に天井付近の梁に身を潜ませ、歩哨の兵をやり過ごし、放火に必要な道具を集めていく。
可能な限り身を軽くするため、放火の道具は現地で調達する運びとなっている。
しかしここは城塞であるからして、油を見つけるのは容易であった。
忍び込んだ武庫から防城用の油をくすねると、早速それを、絨毯や壁掛けに撒く。
そして、燭台立てに差し込まれた松明で点火した。
染み込んだ布はあっという間に炎に舐めとられ、薄暗い回廊を昼間のように明るく照らす。
しかし――スタンス城は数千人を収容できる巨大な要塞。
火の手が一ヶ所では心もとない。
他の箇所にも火を放つべく、場所を変えようとした――その矢先。
「おい貴様! そこで何をしている!」
「やべ……見つかっちったです」
回廊の角があり得ない光量で照らされているのを、不審に思った巡邏兵が三人、様子を見にやってきて、放火の現場を抑えられてしまった。
エフィは暗殺術の他にも、間者として身分を偽る詐術にも長けている。
侍女や女官に偽る程度は朝飯前だが――今回に限っては、見るからに怪しい黒装束で全身を固め、放火の現場そのものを見られてしまっているからして、どう取り繕っても、この場をやり過ごすことは叶わなじことを悟る。
そうなると――残る手段は実力行使である。
「ぐはっ!?」
エフィは懐に隠した二本の短剣の内――一本を巡邏兵の一人の喉元に投擲する。
そうして残りの一本を掴み、二人目の巡邏兵に躍りかかった。
「ぬわっ!?」
弧を描くように放たれた軽やかな斬撃は、二人目の兵士の頸動脈を撫で斬り――噴水のように鮮血を放ち、エフィの黒装束を赤く染め上げた。
「貴様ぁ! さては王子軍の差し向けた間者であるな!?」
最後の一人が佩剣を抜き、仲間二人の仇を討つべく切りかかってくる。
エフィは血濡れのナイフで、兵士の斬撃を受け流していく。
「(やっぱり正面からやりあうのは分が悪いです……!)」
が――エフィは極めたのは、闇討ち騙し討ち上等の暗殺術。
短い刃と短い手足、それに非力な少女の肉体では、訓練を積んだ正規兵と正面から戦うのは、あまりにも分が悪い。
「へへっ! 追い詰めたぞ小娘っ! 覚悟っ!」
「それは――こっちの台詞です!」
「なっ!?」
――キィン。
切りかかった兵士の剣先が捉えたのは、少女の柔肉ではなく、高い石壁であった。
ジンジンと、兵士の手首が痺れ、気付いた時には、間者は視界から消えていた。
「ど、どこいった!?」
エフィは軽やかに身を翻すと、壁を二歩三歩と駆けあがっていた。
天井付近まで駆け上ると、壁を蹴り上げ、兵士の背後に着地する。
そうして――ズブリ。
兵士が意表から目覚める前に――短剣の切っ先が、背中側から心の臓を突き刺したのであった。
「が、がはっ!?」
血泡を吹きながら倒れる兵隊。
最初に倒した二人の兵は、既に燃え広がった火の手にかかり、肉と脂の焼ける臭いが回廊に充満していた。
このまま留まっていては、更なる戦闘は避けられない。
最初に投擲した短剣は火の海に飲まれて回収できそうにない。
エフィは残り一本となった短剣を逆手に握り、次なる放火場所を求めて回廊を駆けだしたのであった。
***
「注進! 注進にござります! 征伐騎士団団長ゴードン卿、王子軍へ返り忠にて、城内にて火を放った模様! 現在城内各所では、我ら駐屯兵と征伐騎士団との戦闘が勃発中にございます!」
「なんと!?」
寝室に飛び込んできた私兵からの報告を受けたシュタンシュテット伯は、寝台から跳ね起きると、守る髪もないのに被っていたナイトキャップを投げ捨て、瞋恚の炎を宿らせた。
「やはりワシの思った通り、王子と内通しておったか!!」
シュタンシュテットは怒り心頭に起き上がり、指揮を執るべく近習を召喚すると、鎧に着替えさせる。
だが――この老爺にもたらされた報告は、殆どが虚報であった。
ゴードンは寝返ってなどいないし、火を放ったのは王子軍の手の者である。
ただ、スタンス城の駐屯兵と征伐騎士団が、同士討ちを行っている点においては、紛れもない真実であった。
征伐騎士団が寝返った虚報を、最初に流したのはエフィである。
それを聞いた兵隊は、実際に上がっている火の手と、床に斃れている死体を見て、それが真実であると錯覚する。
火災が加速度的に燃え広がっていくように、真偽不明の噂もまた、物凄い速度で伝播していき、いつしか全ての兵が、それを事実であると信じて疑わない状況になっていた。
怒りに燃える駐屯兵は、問答無用で征伐騎士団に斬りかかり、征伐騎士団も自衛のために反撃する。
すると征伐騎士団が駐屯兵を攻撃したという事実だけが広がり、もはや収集つかない状況となっているのであった。
王宮から送られてきた援軍の将を俘虜にする。
しかしそれを、タダ同然の条件で解放する。
それを見たシュタンシュテットは、ゴードンに猜疑を抱く。
エフィが城内に忍び込み、火と虚報を放つ。
敵を見誤った駐屯兵と征伐騎士団は、同士討ちを始める。
かくして軍師ジャスパーの描いた図は、点と点が繋がり――このようにして完成したのであった。
***
「ゴードン卿! 一大事にござりまする!」
「むぐぅ……どうしたのだ……?」
――さて。
城内が阿鼻叫喚の惨事と化している状況下にて、謀反人に仕立て上げられた騎士ゴードンはどうしているかと言えば――賓客室の寝台にて、巨大ないびきを鳴らしながら眠りこけていた。
この晩ゴードンは最終的に、二人の寵童を相手に、時計の針が共に頂点に達するまで精を吐き続けた。
ようやっと疲れ果てたゴードンは深い眠りにつき、その僅か数刻後に叩き起こされたせいで、今もなお半分夢の世界から戻れていない次第であった。
だが――寝室に飛び込んできた口うるさい参謀の報告を聞き続けるたび、見る見ると目と肝が覚めていく。
「な、なにいいいい!? 某はそのような指示は一言も出しておらぬぞ!?」
萎えてなお、人並を凌駕する男根を、振り子のように揺らしながら、ゴードンは寝台から飛び起きる。
「恐らくは王子軍の間者による工作かと存じます」
「すぐにシュタンシュテット伯へ申し開きへ行くのだ! このままでは同士討ちで全滅する!」
「時既に遅しでございます。既に双方にかなりの死傷者が出ており、今更どのような弁を弄した所で、シュタンシュテット老の赫怒が収まる余地は一片もありませぬ」
「ぐぬぬ……ではどうすれば……!?」
「お逃げ下され」
「なに!?」
「既にシュタンシュテット老へ潔白を証明する術はありませぬ。であれば、スタンス城を捨て、我らだけでも一旦王宮まで身を引くしか手はありませぬ。団長の口から直々に、王弟殿下へ事の次第を偽りなく報告いたせば、王弟殿下に対しては、まだ申し開きの余地がございまする」
「ぐっ……だ、だが騎士として、味方を見捨てて自分だけ逃げ出すなど出来ようものか……!」
ゴードンは太い腕に筋を浮かび上がらせながら葛藤すると、力強く拳を握りこむ。
その後ろ姿を、同じ寝台で寝ていた全裸の寵童二人が、ハラハラとした面持ちで見守っていた。
戦場で死ぬのは騎士の誉れだ。
それでもゴードンには、まだ死ねない理由がある。
亡父の仇を討れておらず、悪辣なる偽僧に囚われた寵童も取り戻していない。
ここで死んでは、天国で父親に合わせる顔がない。
ゴードンは恥を忍んで、参謀の言を受け入れた。
「分かった。城内で戦闘している征伐騎士団と可能な限り合流し、スタンス城を発つ!」
寵童二人は、自分の服を着ることよりも、ゴードンに鎧を着せることを優先し、寝台から飛び降りて、主の鎧を引っ張りだす。
そうして、ゴードンは筋骨逞しい天然の鎧の上から、金属の鎧を武装していくのであった。




