53 暗衛の覚悟
宵の口には、陣中のあちこちから立っていた炊煙も、夜半の刻に入るにつれてなりを潜め――現在では、最低限の篝火のみが、王子軍の宿営地を照らすばかりであった。
だが、一つ勘違いしてはいけないことがある。
彼らは決して、寝静まった訳ではなかった。
むしろその逆――狼の群れが息を潜めて獲物を待つように、虎視眈々と、暗闇の中で伏して目を光らせているのである。
「エフィ、本当に行くのか?」
「うん。リュカちゃんを暗殺しようとした咎を雪ぐためには、これくらいのことはしないとです」
「それはもう気にしていない。他の者達も、昼間の釣り野伏の功績で、既にエフィを真の仲間として認めているであろう」
「だとしても――こんなの、あたし以外に出来る人、いないだろうし」
宿営地から少し離れた地点に、スぺサイド王国の動脈とも呼べるエルキ大河が流れている。
その川沿いに、エフィとリュカが立っていた。
そんな二人を見守るように、ジャスパーが後ろに控えている。
現在のエフィは、かつてガーナーゲート砦にて、リュカの暗殺を試みた時のような――暗闇に同化する黒装束を纏っている。
瞳も髪も純黒の少女は、少し目を離せば、そのまま闇夜に溶けて消えてしまいそうであり――リュカはそんなエフィを見逃すまいと、力強く、少女の手を握っていた。
リュカがまるで、今生の別れかのように、エフィを引き留めんとしているのには訳がある。
ジャスパーが次に繰り出す計略は、エフィに大きな負荷が課せられる内容であったからだ。
『王都への領境を守護せし堅牢たるスタンス城――拙僧の奇策でもって、今晩中に攻略せしめて見せましょう!』
俘虜として捕えたゴードンを解放した後、ジャスパーはそう言ってせしめた。
スタンス城攻略の最後の計略。
それは――
「エフィを単身、敵城へ忍び込ませ、火を放たせます――同時にその所業を、征伐騎士団の仕業であると錯覚させ、同士討ちを狙います」
――というものであった。
シュタンシュテット伯に、騎士ゴードンと王子軍とが内通している嫌疑をかけるように仕向けた。
そこで城内にて火の手があがれば、城主が真っ先に疑うのは、征伐騎士団である――という寸法である。
そのため、暗殺術を極めしエフィが、スタンス城に乗り込むことになったのだ。
「だがエフィにだけ、そんな危険な任を与える訳にはいかぬ。ジャスパー殿、他の手段はないのか」
「ないことはないですが――それでは非常に時間がかかるものとなりましょう。我々には兵も時間を限られておりますれば」
ジャスパーは、最後まで抵抗の意を示すリュカを諫める。
「時間が経つに連れ、寡兵である我々は不利になっていきますし、貴重な兵力も節約したい。そのためには機略・奇策は欠かせませぬ。それに王子の元には、一芸に秀でた逸材に恵まれておりますれば、それをいかんなく発揮しない手はありませぬ」
リュカも分かっていた。
これは贔屓の引き倒しであると。
エフィは家臣であると同時に、リュカに初めて出来た同年代の友であった。
エフィのあっけからんとした性格が幸いし、その関係はリュカが王子であることを明かした後も、変わることなく継続している。
周囲の目があるときは流石に、家臣としての身を弁えるものの、二人きりの際や、アイゼやジャスパー等の侍臣のみの場合は、気安く「リュカちゃん」と呼んでくれる。
誰も彼もが自分に跪く中、ただエフィだけが、13歳の子供として接してくれる。
リュカにとって、それは王たらんとする重責を和らげる、数少ない救いであった。
故に――エフィに万が一のことがあればと思うと、リュカは気が気ではいられない。
「大丈夫だよ、リュカちゃん」
エフィはそんなリュカを安心させようと、そっと、リュカの手を握り返した。
そして――ぽつりと呟く。
「先王にお父さんとお母さんを殺された時ね、あたしの心も一度死んじゃったんだ」
「エフィ……?」
エフィはリュカに胸襟を開きながら、己が胸の内を語る。
「でも、死体になった心が腐らないように、老師があたしの心を保護してくれた。似合わない僧侶の真似事をして、色んな話を聞かせてくれた。そして復讐という生きる目的を与えてくれて、辛うじてこの世に繋ぎとめてくれたの――その結果、リュカちゃんに出会って、あたしは生き返ったの」
「…………」
「復讐のためではなく、リュカちゃんともっと一緒に色んなお話をして、色んなことをするために、まずはこの国の泰平を取り戻さないといけない。そのために、あたしは身に着けた業を使うべきだと思うの。だから信じて、リュカちゃん。絶対戻ってくるから、背中を押して」
「エフィ……」
「その通りです殿下。拙僧は殿下に登極して頂くため、これからも無茶振りを強いる所存ではございますが、聖女メロコティーニャに誓い、決して捨て駒にするつもりはござりませぬ。エフィであれば、問題なく遂行可能と判断した故の采配です――どうか、ご決断を」
「……分かった。エフィが無事に戻ってきてくれることを、ルナルシア月神と全ての守護聖人に祈りながら待ち続ける故、必ずわたしの元へ戻ってきてくれ」
「ありがとね。リュカちゃん」
そういうとエフィは、名残惜しそうに手を離し――その温もりを胸に、闇夜へ溶けていくのであった。
一方――王子軍の陣中では、鎮撫騎士団団長のイリアーナとアイゼリーゼが、手分けをして指示を飛ばし、布陣の準備を整えていた。
篝火は最大限まで減らし、敵方の夜衛に悟られぬよう、夜襲のために準備を虎視眈々と進めている。
全ては――エフィがもたらす潜入工作の成果を、余すことなく発揮するために。
***
「(お母さんを寝取ろうとした挙句、鎮撫騎士団を恣意に動かし、お父さんとお母さんを殺した先王を、あたしは許さない)」
――初夏の夜。
エルキ大河の流れに逆らうように、小さな影が、水をかいて北上していた。
黒装束に身を包んだエフィである。
軍師ジャスパーが選んだ、スタンス城への侵入経路は――川沿いの城壁である。
スタンス城はエルキ大河に面して築城されたが故に、堅い防衛力を誇っている
しかし――だからこそ、川面の城壁はどうしても警備が散漫になってしまう。
それを利用しない手はない。
エフィは音もなく川沿いの城壁に取りつき、かぎ爪を装備すると、石積みの隙間に鉄爪を引っかける。
かつてリュカとアイゼが使った脱出ルートの逆を行くように、少女は音もなく城壁をよじ登っていった。
「(リヒャルトが獄中死したと知った時、あたしの殺意は国王から、王室そのものへと移り変わった。でも、それは行き場のなくした復讐心を、他の誰かに押し付けたかっただけだった。だから、一度はリュカちゃんを殺そうとした)」
エフィはするすると、城壁を難なく登っていく。
しかし半分ほど登った辺りで、次にかけるべき適切な隙間が見つからなかった。
少女は腰に下げた楔を抜きとり、適当な箇所に打ち込むと、それを足場に距離を稼ぎ、次なる隙間に鉄爪を引っかけた。
「(リヒャルトへの復讐が完遂出来なかったあたしは、ただ生きる目的が欲しいだけだった。なら――それは復讐じゃなくてもいいんじゃないのかな? 人を殺すために身に着けた暗殺術だけど、それを、平和のために使うことも出来るんじゃないのかな? あたしみたいな不幸な子が生まれないために、有効活用することが出来るんじゃないかな? そしてそれは、リュカちゃんが王様になることで実現に近づくんじゃないのかな? だとしたら――あたしはリュカちゃんのために、この業を捧げたい)」
ついに城壁の先端――露台となっている胸壁部に辿りついた。
かつて、アイゼがリュカを抱えて川に飛び込んだ件の場所である。
エフィは息を潜める。
頭上に夜衛の兵がいるのを感じ取った。
だが――先方はまだこちらに気付いていない。
大河沿いの露台を警護する兵は、川の向こう側から来るかもしれない敵を見張るのに夢中で、よもや城壁をよじ登ってくる者がいるとは、思いもしなかったからだ。
「(リュカちゃんに初めて出会ったとき、あたしは嘘をついた。宿場町の旅籠屋の娘っていうのは嘘で、弟が沢山いるから出稼ぎに来たっていうのも嘘で――リュカちゃんみたいな妹が欲しかったっていうのも……結果的に嘘になった。だって――)」
「カァ! カァ!」
「うわっ!? なんだっ!? って、カラスかよ……」
代わり映えしない光景に、無聊を持て余した夜衛は、背後から突如甲高い鳴き声がしたことで、驚きながら振り返る。
そこには、一羽のカラスが止まっていた。
それがジャスパーの子飼いとも露知らず。
驚きつつも、脅威はないと判断した夜衛は、そのまま元の業務に戻ろうとした――直後。
身を躍らせるように露台に降りたったエフィが、背後から革紐を用い、夜衛の首へと巻き付けた!
「がっ!? ぐ、ぐえぇっ!?」
夜衛は呻き声を漏らしながら、必死に首に巻きつく革紐を解こうと、反射的に首をひっかく。
されど――肌に深く食い込んだ革紐は、哀れな夜衛の指先にかかることなく、その力は一秒ごとに失せていく。
「(――リュカちゃんはあたしを友達だと言ってくれた。でもね、あたしはね……もっと深い仲になりたいんだ)」
赤黒くなった顔は、やがて青白くなり、最終的には黄土色となって――ダラリと、力を失った腕が垂れる。
エフィは屈みこみ、苦悶の表情で硬直した男の瞼を、指で撫でて閉ざした。
「(この兵隊さんにも家族がいて、死んだら悲しむ人がいる。あたしがかつて、先王にやられた事と同じことを、あたしはしている――王子と王弟の身内争いで、最低でも数万人が死ぬと、老師は言っていた。でも、その犠牲の末に、不幸から逃れられる数百万人が生まれるのであれば、あたしはこの手を汚しても構わない)」
だってそれが、戦争だから。
流した血が、いつか必ず王道楽土への礎になると信じ、エフィは露台から城内へと入りこむのであった。




