51 捕虜と寵童
【前回のあらすじ】
王子軍はエフィによる釣り野伏、アイゼによる伏撃で王宮より派遣された征伐騎士団長ゴードンを俘虜にすることに成功する。
同時に、城門前では改造を施した青銅巨人とジャスパーの弓術により、シュタンシュテット勢の兵力を削るのに成功する。
趨勢が王子軍に傾く中、ジャスパーは次なる策を用いるのであった。
スぺサイド王国の民が神聖視する月は、今宵半月を描いていた。
緑の草原を赤く染め上げた無数の血痕が、赤黒く乾く頃合い。
日中の乱声が嘘のように静まり返ったスタンス城前の平原では、優しい夜風が梢を揺らし、軽やかな音を奏でていた。
一時の休息と相成った王子軍の宿営地は、スタンス城より矢頃たっぷり四つ分(約800メートル)取った距離に敷かれている。
その中で、最も安全な位置に張られた、王旗の装飾が施された天幕こそが――王子軍総代、リュカ・ローゼンベルクが寝起きする幕営であった。
その幕営に、左右から王子軍の兵に連行され、大柄の騎士が入室した。
「お初にお目にかかるゴードン卿。貴殿の武辺の誉れは、我が騎士アイゼより聞き及んでいる。わたしはリュカ・ローゼンベルク――スぺサイド王国の王太子にして、一応、この軍の総大将ということになっている」
先の戦場にて――アイゼとの一騎討ちにて敗れ、俘虜となったゴードンである。
ゴードンは騎士道に殉じる高潔な武人であると、アイゼより伝えられており、俘虜としての身を弁える彼に敬意を示し、その腕に縄は巻かれていない。
とはいえ、バケツをひっくり返したような甲冑を始めとする、重鎧は剥ぎ取られ、得物である両手剣も没収されてはいるのだが……。
そんな素顔を剥き出しにされたゴードンの素顔は、巌のような圧のある強面であった。
肩幅も広く、肩は盛り上がり、手足の筋肉も丸太のように太い。
重装鎧を脱いでなお、鍛え上げた筋肉により、彼に威武を纏わせている程である。
とはいえ、その顔は平らで、鼻は潰れたように広く、南の海を超えた更に南方の地に生息する大猩々と呼ばれる霊長類を思わせた。
お世辞にも美丈夫とは呼べないものの、偉丈夫であることは間違いない――それが鎧を剥いだゴードンの体貌であった。
「さあ。どうか、腰を下ろして欲しい」
見世物小屋に連れてこられた珍獣を見る様に、天幕内にいる侍臣の視線が、ゴードンに集まる。
しかしゴードンは、リュカに提示された空の床几を一瞥したのみで、そこに腰掛けることはせず――胡坐をかいて、絨毯の上に腰を下ろした。
「なぜ、椅子を使わぬのか、聞いてもよいか?」
「怨敵とはいえ、勝者の大将が、絹張りの高座に座しているならまだしも、ただの床几に腰掛けているのであれば、俘虜の身である某が、同じ床几に腰掛ける訳には参らぬ。某は床で結構」
「そうか。ではわたしも、床に座ろう」
「…………なに?」
リュカは床几から腰をあげると、ゴードン同様に絨毯の上に腰を下ろした。
ゴードンはその奇異な行動に面を食らったものの、言葉を紡ぐ前に、リュカの次の言葉に阻まれ、問いただす機を逸してしまった。
「紹介しよう。ここにいるのは、わたしには勿体ない程に優秀な、頼れる仲間達だ」
順番に――軍師ジャスパー、将軍アイゼリーゼ、近衛エフィと、順々に忠臣達を紹介していく。
なお、錬金術師アルフォンタスにおいては、空腹を訴え兵卒に混じって食事に夢中であり、不在にしており、そのお目付け役としてヘリワードも不在であった。
今頃は女児特有の緩い唇から食事を零した口元を、ヘリワードが甲斐甲斐しく布巾で拭ってあげている最中だろう。
「なるほど……あの策を思いついたのは貴顕で、王子に扮していたのはそこな娘御という訳か。騎士道に反する陋策を弄しよってからに……!」
「奸計・陋策も大いに結構。〝利にして之を誘い、乱にして之を取る〟――戦場において卑怯もなにもありませぬぞ。ゴードン卿」
「ぐぬぬ……すぅ……はぁ……左様。全ては貴顕の計略を見抜けなかった某の愚昧がもたらした仕儀。敗将が何を申しても詮無きこと」
ゴードンは大きく息を吸い、厚い胸板を更に膨らませ、深呼吸をする。
そうして平常心を取り戻すと、再び顔を引き締め、自分より低い位置にあるリュカの顔を見下ろした。
「して何故、某を呼び立てた。やはり身代金の要求か?」
「いや。身代金は取り立てぬ。ゴードン卿に、我が軍への帰順を促したく、召喚させて貰った。わたしは貴殿を敵方の将ではなく、同じ王国に忠節を誓う同胞として接しているのだ。貴殿と同じ位置に座しているのも、そのためだ」
「ならば答えは決まっている。答えは否。身代金が不要と申されるなら、我が首を刎ねられよ」
「どうしても……ダメか?」
「っ!?」
リュカはそう言うと、大粒の瞳を揺るがせながら、居ざり足でゴードンの足元まで擦り寄ってきた。
そのままリュカは、力を込めたら壊れてしまいそうな、細金細工のような、あえかな指先で、ゴードンの無骨な拳を包み込む。
共に床に座っているため、小柄なリュカはゴードンを見上げる形となり、自ずと上目遣いになる。
その様は、騎士に駆け落ちを迫る姫のような構図であった。
無論――美女と野獣であることは否定できなかったが……。
「……ぬっ……ぐぅ……!!」
「頼む……貴顕の武徳を、わたしに貸してくれ……」
リュカのそよぐような声を前にして、ゴードンの顔が気色ばむ。
しかしそれは、憤懣による紅潮ではなく――また別なな理由からであった。
「こ、断る!! 某が表六王子の旗下に連ねる道理はない!!」
それでもゴードンは、リュカの招聘を断った。
リュカの華奢な指に傷をつけぬよう、そっと引き抜くように振り払う。
そこで疑問を呈したのは、ジャスパーであった。
「ゴードン卿、あなたは騎士道を重んずる高潔な御仁と心得る。玉座を簒奪せしめんとする王弟殿下と、正統たる王太子であらせられるリュカ殿下――どちらに義があるかは、懸命なゴードン卿であれば、お分かりいただけるであろう」
「それは詭弁だ! 綺麗ごとだけで政事は成り立たぬ! 弱き王はやがて国を滅ぼす。140年前のスペイド人のようにな。ヨハン大公は簒奪者の汚名を被ろうとも、王国を守らんがため、立ち上がったのだ!」
「殿下は確かに甘い所がありますが、決して弱くはござりませぬ。なればこそ、これだけの忠勇達が殿下に忠誠を誓ったのですから。勿論、拙僧もその一人にて」
「よしんば王子が、名君たる器を備えていようとも――一度主君と定めた御仁に刃を向けることなど出来ようものか!」
「なるほど。貴殿が鍛え上げた肉体同様、その忠節も堅いと心得る。〝君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず〟ですな。王弟ヨハンより下賜される、権益や特権に目がくらみ忠誠を誓っている訳ではない……ということですな」
「ジャスパー殿? その、〝君、君たらず……〟というのはどういう意味ですか?」
「主君に主君たる徳がなくても、家臣は家臣としての契りを守り続けなければならない――という意味です。拙僧には出来なかったことです」
「なるほどな」
かつて官吏を辞したジャスパーは、そんなゴードンの心意気に敬意を示す。
――が。
だからといって、彼は無条件で慈悲を与えるような軍師ではなかった。
「それでは品を変えさせて頂きます」
ジャスパーは両手の平をパンパン――と、二度叩き、幕営の外で控えている兵に合図を出す。
すると、二名の兵に伴って、一人の子供が入室した。
その子供の顔をみて、ゴードンの顔に驚愕が浮かぶ。
「ノエル!? なぜここに!?」
それは13歳のリュカよりも更に幼い――11歳の子供であった。
その子供は、アイゼが捕えたゴードン旗下の俘虜の一人である。
柳のような嫋やかさを携えた、可憐なかんばぜは、とても血生臭い戦場には似つかわしくない。
長く柔らかい亜麻色の髪を、一本の太い三つ編みにして背中に垂らしている。
ただ一点、かの美しい子供の追記するべき事柄があるとすれば――――
「ジャスパー殿、彼女はゴードン卿の娘御か?」
「いいえ殿下。この子はゴードン卿の騎士見習いです。それから娘御ではなく、れっきとした少年です」
――その子供は、少女ではなく、少年であった。
「なんと!? こんな可憐な顔をしているのにか!?」
「「「((あなたがそれを言うんですか……!?)))」」」
リュカの驚愕に、違う理由で驚愕のツッコミを入れる一同であった。
「あと、調べた所ゴードン卿はまだ24。こんな大きなお子さんがいらっしゃる御年ではありませぬ」
「こんな老け顔なのにか!?」
今の忖度ないツッコミを入れたのはアイゼである。
とはいえ、アイゼも御年24――到底同い年とは思えなかったが故に、思わず口に出してしまっても、仕方のないことだった。
――閑話休題。
話を戻して、ジャスパーは部下が連れてきたもう一人の俘虜を、手元へ引き寄せた。
ジャスパーの両手が、華奢な両肩にかかり、中性的な美少年は思わず肩を竦ませる。
「我々は身代金を取り立てるつもりはなく、帰順を無理強いするつもりもござりませぬ。しかし我々には、あなたとその旗下50名の俘虜を食べさせるために、貴重な糧秣を浪費するのも避けたい――そこで取引です。貴殿の寵童……おっと、騎士見習いの身柄と引き換えに、あなた方をそっくりそのまま、シュタンシュテット伯の元へお返し遣わしたく存じます」
「なにっ!?」
それは破格の交換条件であった。
騎士見習いたった一人と引き換えに、騎士とその配下49人を、身代金なしで解放するというものなのだから。
本来であれば、二つ返事で呑みこむ交渉事ではったが……。
「ぐぬ……ぐぬぬ……」
ゴードンは返事を出しかねていた。
しばらくの逡巡の末、絞り出すような問が飛ぶ。
「なぜ……そのような条件を出す?」
「実は拙僧――幼い少年には目がないものでしてねぇ……げっへっへ」
「「「っっ!?!?」」」
一同の視線がジャスパーに集まる。
勿論、リュカを筆頭にする王子軍の面々の視線までも。
俗的に言えば「え? マジ?」といった様相である。
件の似非僧侶は、俘虜の少年ノエルへ、蛇が蠢動するように指を這わせ――未だヒゲの生えていない頬を撫であげ、目尻に浮かんだ涙を拭い、己の唇を潤わせた。
「こ、この破戒僧めがああああ!! 見損なったぞ王子! 少しでも義に殉じた御仁と思った某が愚かであった!」
「え!? わたしのせいか!?」
ジャスパーはこの会談の流れを、リュカを含めた仲間の誰にも明かしていない。
それ故、軍師の行動に愕然としているのは、王子も同様なのだ。
弟子であるエフィに至っては、軽蔑の視線さえ向けている。
ちなみにアイゼは、美少年の涙を舐める役得に羨望の視線を向けていた。
「どうせ先ほど某にしたように、その傾国の美貌を用いて破戒僧めを誑かしたのであろう!」
「あ、いや……そうではなくて……」
「某はそのような卑劣な輩の思うようにはならぬぞ!」
「ゴードン様! ボク如きのために悩む必要はありません。その条件をお呑みください!」
だが――そんなゴードンを諫めたのは、他でもない俘虜の少年――ノエルであった。
「しかしノエル!」
「ボクはこれまで、ゴードン様にお仕えできて幸せでした。例えこの破戒僧に穴という穴を犯されようとも、ゴードン様を恨むような真似はいたしません」
「穴という穴を!?」
「ふふふ」
涙ぐみながら訴えるノエル少年の肩を掴みながら、ジャスパーは不敵な笑みを浮かべている。
ゴードンは手の平に爪が食い込む程に拳を握り、奥歯を砕かんばかりの咬合力で歯を食いしばり、憤懣で野獣の如き醜貌を更に歪めた。
しかし――それでもゴードンには忠節を誓った主君のために、なさねばならぬことが残っている。
それに、ゴードンは半日前、再三に渡る参謀の諫言を無視したが故、手痛いしっぺ返しを受けた。
部下の諫を受け入れるのもまた、優れた将の資質であると思い直したゴードンは、苦渋の選択の末――ジャスパーの条件を呑みこんだのであった。
「我が従者の身柄――一旦は王子の元へ預けよう。だが忘れることなかれ。しかるべき時、しかるべき手段でもって、必ずや取り戻して見せる」
「では――取引は成立ですな。懸命なご判断に、心よりの賞賛を送りますぞ」
ジャスパーは人を食ったような笑みを浮かべる。
どうみても王子勢側が悪役の形である。
仲間達はそれを自覚していながらも、誰もがジャスパーを咎めることが出来ないでいるのであった……。
***
かくして、ゴードンを始めとする征伐騎士団の俘虜49名は、その縄を解かれ、スタンス城の城門へと消えていくのであった。
その背中を見送った後、アイゼがジャスパーへ問いただした。
「おいジャスパー。先ほどの話は事実なのか?」
「拙僧がアイゼ殿と同じ性癖を持ち合わせている事ですか?」
「別にわたしは美少年に焦がれている訳ではない! 殿下は殿下だからこそ忠節を誓っているのだ!」
ジャスパーは胡乱な目線をアイゼに送るものの、追及はせずネタばらしに入る。
「まさかまさか。あれはゴードン殿の真意に測るための演技ですよ」
「到底演技に見えなかったから、本当に焦りましたよ」
と――リュカが安堵の息を吐く。
ノエル少年の涙を拭って舐めとったジャスパーは、真に迫るものがあった。
リュカでさえジャスパーが、己の欲望のために俘虜を解放したのではないかと、疑った程であった。
「〝疑わば用いるなかれ、用いて疑うなかれ〟ですぞ殿下」
「して――その意は?」
「一度でも臣を信用して起用したからには、何があっても疑うなかれ――といった意味です」
「なるほど。心得ます。ジャスパー殿の怪演に、少しでも疑いを抱いてしまった未熟を恥じ入るばかりです」
「ふふふ。とはいえ、演技を褒められて悪い気はしませぬな」
ジャスパーはそう言うと、今度こそネタばらしに入る。
ジャスパーは先の俘虜との会談において、主君であるリュカにさえ、策の全貌を明かしていなかった。
アイゼには『王宮から派兵された敵将を殺さずに虜にする』こと。
リュカには『その美貌で敵将を虜にして帰順を促す』こと。
ただそれだけしか説明しなかった。
故に――アイゼが苦労して虜にした敵将を、従者一人と引き換えに解放してしまったことに、少なからず不満を抱いていることは確かであった。
「その前にアイゼ殿に一つお尋ねしたい。専門家として、ゴードン卿には幼い少年に色を抱く性癖をお持ちと思われますかな?」
「誰が専門家だ!!」
「アイゼ殿、拙僧は真剣に聞いているのです。真剣に答えてくだされ。さもないと、寵童殿の菊門のくたびれ具合から考察をせざる得なくなります。そうなっては、あの少年も不憫というものです」
「ぐぬぬ……まぁ、そうだな。十中八九クロだ」
ジャスパーはそこで、「菊門の色がですか?」と言いたい衝動に駆られたが、ほぼ間違いなくアイゼの拳が飛んでくるのを理解していたので、口を噤んだ。
「件の騎士見習いは、ゴードン卿の寵童と見て間違いないだろう。殿下に手を取られた際に頬を赤らめた反応からも間違いはない」
ちなみにリュカは、ゴードンの手を掴んで上目遣いで帰順を促したあの仕草だが……。
アイゼを相手に、手を握りながら上目遣いをする練習をし、アイゼの吹き出した鼻血の量で、その上達具合を確認し、先のような結果に仕上がったという次第であった。
その代償として、アイゼの顔は今もなお貧血で青白くなっているのだが、本人は幸せそうである……。
「アイゼ殿が断言するということは、間違いないようですね」
「おい! どういう意味だ! 貴様が真剣に答えろと言われたら答えたんだぞ!?」
「分かりました分かりました。すみませんアイゼ殿」
今にも剣を抜こうとしているアイゼを宥めすかし、ジャスパーは続けた。
「ゴードン卿には男色の気――しかも中性的な美男子に対する強い愛着を持っておられる。そんな彼がリュカ殿下から一度は帰順を促され、挙句寵童を人質に取られたとなれば……シュタンシュテット伯はどう思うでしょうねぇ……」
「あの高潔な騎士にも、困った性癖があったものだな」
「(あなたが言うんですね……)」
「もしかして、ゴードン卿が我々と誼を通じたと勘違いさせ、シュタンシュテット伯と仲違いさせるため、ノエル殿を人質にするのと引き換えに、解放した……ということですか?」
「御明察です殿下」
ジャスパーは懐から筆と羊皮紙を取り出すと、元宮廷書記官としての貫禄を思わせる、淀みない筆運びで文を認めると、折りたたんでエフィに渡した。
「エフィよ、これをヘリワード殿に渡してきてくれ。今頃は兵の慰安に楽を奏でておられるだろう。エフィの耳ならすぐに分かるはずだ」
「はい、老師」
エフィは折りたたまれた文を受け取ると、有無を言わずに陣中の奥へと消える。
「さあ……ここからが軍師の本領発揮ですよ。王都への領境を守護せし堅牢たるスタンス城――拙僧の奇策でもって、今晩中に攻略せしめて見せましょう!」
そう言ってジャスパーは、優男の面に、人の悪い笑みを浮かべながら、篝火で照らされたスタンス城を見やるのであった。




