05 警邏騎士団長ゴードン
城門を抜けたアイゼは、鞍の前にリュカを抱えながら愛馬アグロを駈足で走らせ、ついに城下町からも脱することに成功した。
城下町の外には、この国の命脈と呼ぶべき大河――エルキ大河が流れており、そこを渡れば広大な丘と草原地帯が広がっている。
「橋を抜ければ、追手も諦めることでしょう。もう少しの辛抱ですぞ」
「月神ルナルシアよ……どうか我らを守り給え……」
「本来であれば今宵は満月。されど雨雲によって月光は遮られておりますが、これはむしろ月神の賜物でございましょう。この暗闇と雨音が、我らの遁走の手助けをしてくれているのですから」
信心深いリュカが、己の奉る神に祈りを捧げる。
傅役のアイゼは、そんな主君が雨で体を冷やさないよう、マントで頭上を庇いながら、エルキ大河の大橋に到着する。
「ぐぅ……先手を打たれていたか……」
大橋を越えれば追手も諦めるはず――そう言ったアイゼを嘲笑うかのように、橋上は騎馬隊によって封鎖されていた。
「(あのマントの紋章は――王都の守護を司る警邏騎士団。本来は陛下直属の騎士団であるが、王弟ヨハンの許に降ったと見て間違いないだろう)」
重鎧で全身を固めた巨躯の騎士が、騎手同様に大柄な悍馬に騎乗しており、その周囲を弓矢を番えた無数の騎馬が固めていた。
これが並みの兵であれば、先の弓兵隊の時のように、強行突破を敢行しただろう。
だが――手練れの騎士団が相手となれば話は変わってくる。
リュカを庇いながらでは、寡よく衆を制することは難しい。
アイゼは観念したように手綱を引き、馬足を止めた。
「…………」
「…………」
驟雨が双方の鎧を打ち続ける中、しばし無言の対峙が続いた。
が――先に沈黙を破ったのは重装騎士の方であった。
「元鎮撫騎士団副団長にして、リュカ王太子殿下の傅役――アイゼリーゼ・アイゼンハルト卿で相違ないか」
「いかにも。そういう貴殿は、警邏騎士団が団長、ゴードン卿か」
「左様」
甲冑の奥から、くぐもった、唸るような低音が響く。
警邏騎士団団長ゴードン――先の王女と王弟の問答の際、その傍らに控えていた腹心である。
王子達が王都を脱出するとすれば、必ずこの橋を使うだろうと読み、先んじて封鎖していたのであった。
「偉大なる国王リヒャルト陛下より、王都の守護を仰せつかった警邏騎士団が、逆臣ヨハンの走狗に成り下がっているとは、なんと嘆かわしいことか!」
「偉大なる国王リヒャルトだと!? 笑わせる! 戦争に明け暮れて国庫を濫費するあの暗君がか!? 真にスぺサイドを憂うておられるヨハン大公こそが、名君として君臨するに相応しい!」
「どうやらその大きな兜の中には脳が入っていないようだ。あの放蕩にして放埓な王弟を名君などと仰ぐとは。貴殿が本当に欲しているのは、真なる王ではなく、その僭王から下賜される権益と特権であろうが!」
「貴様ァ! 言わせておけばァ……ッ!!」
ゴードンは怒気に任せて重装鎧を震わせるが――腐っても騎士団長、すぐに冷静さを取り戻し、荒げた声を落ち着かせた。
「降伏せよアイゼリーゼ卿。某と貴殿は、鎮撫騎士団と警邏騎士団、所属こそ違えど共にスぺサイドの治安を担うてきた同胞よ。かつては姫将軍の右腕として武勇を轟かせた貴殿の腕は某も認めておる。混じり血の偽王子など捨て置き、ヨハン大公に帰順いたすのだ」
「ふざけたことを。我が忠義は今も昔もリュカ殿下だけのもの!」
「それが答えか。ならこれ以上の問答は無益と見える。であれば――死んでもらうまで!」
「待て。確かに私と貴殿は、仰ぐ主君は違えども、同じルナルシア教徒であり、そして騎士道に生きる者であることに相違はなかろう。であれば、正々堂々、一騎打ちにて勝負いたせ!」
「よかろう。星座に召し上げられし聖女メロコティーニャに誓い、正当なる決闘として、その勝負受けて立つ」
アイゼは並外れた技倆を持つ騎士である。
しかし――リュカを馬上に抱えながら、弓馬兵に囲まれた状態で、重装騎士を相手にするのは分が悪い。
そこで彼女は相手の騎士道精神を煽り、一騎打ちの状況へと誘導したのであった。
「アイゼ……」
「ご心配には及びませぬ。されど、しっかりと私の体にしがみついていてくださいませ」
リュカはゴードンに背を向ける形で、アイゼの背中に手を回してしがみつく。
奴らの目的はリュカであり、正々堂々たる決闘が約束されようとも、彼らが誓いを違える可能性が寸毫でも残る限り、リュカを下馬させることは出来ない。
彼女はリュカを抱えたまま、ゴードンとの決闘に臨むのであった。
「行くぞ!」
「応!」
ゴードンは従者から得物の両手剣を受け取ると、剛腕でもってそれを片腕で構え、巨馬を疾駆させた。
キィン――と。
ゴードンの両手剣と、アイゼの片手長剣が火花を散らしながら鍔迫り合う。
「ぐぅ! 重いッッ!?」
「どうした!? その程度かアイゼリーゼ卿! 重荷であればその荷物、下ろしてしまっても構わんのだぞ!?」
「殿下は重荷などではない! 守るべき主君がいるからこそ、俄然力が湧くのだから!」
アイゼはなんとか両手剣をはじき返し、丁々発止の剣戟を繰り広げる。
しかし――ゴードンが攻めるばかりで、アイゼはひたすら守りに徹することを強いられていた。
ゴードンが剛で以て相手を叩き伏せる剣術を得意とする一方――アイゼは柔と技を駆使して、相手を翻弄する剣術を由としている。
彼女の体力が十全であれば、巧みに馬を操り、相手の側面や背面に回って、鎧の隙間に刃を滑り込ませることは造作もないであろう。
だが今の彼女は到底、万全な状態とは言えなかった。
要因は2つある。
ひとつは、この雨の中の強行で、騎手も騎馬も疲弊してしまっていること。
ひとつは、リュカを伴っているため動きが制限され、愛馬アグロにもいつも以上の負荷をかけてしまっていること。
そのような状態で、悠々と橋上で英気を養っていたゴードンを相手にするのは、いかに歴戦の騎士たるアイゼとて、苦戦を強いられざるを得なかった。
「はぁ! でぃ! やああああっ!」
「くっ!」
馬上でかれこれ、幾十の刃が交わる。
アイゼは、ゴードンによる息も継がせぬ猛攻に晒され続けた。
防ぎきるのに全神経を集中するのを余儀なくされ、受け手の疲労は着実に蓄積していき、戦いが長引くほど、戦況は不利の一途を辿る一方であった。
そしてついに――ゴードンの刃がアイゼに届く。
「ふんっ!!」
「はぁ……はぁ……ぐぅ……!」
ゴードンの放った一撃が、アイゼの白皙の頬を擦過する。
雨粒が傷口に染み込み、アイゼは顔を歪めた。
傅役の美しい顔から鮮血が流れているのを認め、ついに我慢できなくなったリュカが声を上げた。
「もうよいアイゼ! わたしのことは捨ておけ! ゴードン卿にわたしを差し出し、ヨハン大公に恭順を示すのだ。お前程の騎士であれば、悪いようにはされないだろう!」
「そういう訳には参りませぬ! 殿下に忠誠を捧げた身なれば、例え殿下の命令であろうとも、そのようなご下命にはお応えいたしかねる!」
リュカの悲痛を含んだ訴えの最中にも、ゴードンは容赦なく剛剣を打ってくる。
アイゼは手綱を離し両手で長剣を構えると、片腕で両手剣を繰り出すゴードンの一撃を受け止める。
腕がビリビリと痺れ、愛馬の悲鳴が彼女の耳朶を打つ。
「なぜだアイゼ!? なぜわたしなんぞのためにそこまでするのだ!? こんな……こんな状況になってなお、ただ守られることしかできない、腑抜けた王子のために……!」
「殿下は腑抜けなどではなございません! わたしは信じております! あなたは誰よりも優しい御方! あなたであれば、必ずやこの国に溜まった澱を取り除き、王道楽土の世を築いてくださると……!」
「アイゼ……っ!」
寒さと恐怖で血の気の失せたリュカの頬に、一筋の涙が垂れる。
「(わたしには勿体ない忠義を尽くしてくれるアイゼが、そこまで言ってくれている。なのになぜ、わたしは声一つ上げることも、一歩踏み出すことも出来ないのか。王となりヨハンを打ち破るなどという大言壮語は口に出来ずとも……せめて今だけは、せめて今だけ……!)」
流れた涙は即座に雨に流れてしまったが――胸の奥に燻る情熱だけは、血潮のように燃え滾っていた!
「(わたしは君主の器量など、これっぽっちも持っていない! だが! アイゼ、お前に死んで欲しくはない……! 妾腹であるわたしは、母の愛を知らぬ。だからこそ、お前を母のように思ったことは一度や二度ではなかった……だから、頼む! 生きてくれ!)」
その時だった。
リュカの胸が熱くなる。
ぐらぐらと、堰を切ったように、その熱情が――リュカの全身を駆け巡った。
――光ッ!
その違和に気付いたリュカは、顎を下げて熱の発信源――胸元を探る。
そこには、姉であるヒルダから託された、大粒のサファイアの首飾りが、闇夜を切り裂くように輝いていた。
『これはスぺサイドがハートサイドに征服される前より、スペイド人の王族に代々受け継がれてきたと言われる〝青薔薇の宝珠〟と呼ばれる宝玉よ。あなたの青い瞳と同じ色で、あなたと同じスペイド人に受け継がれてきた物。あなたにこそ相応しいわ』
脳裏に蘇る声は、この首飾りを託された時のヒルダの言葉。
「これは……一体……!?」
リュカが異変を感じ取ったように、アイゼもまた、自分の身に起こった違和に気付いた。
それは眼下から目を焼くような光に煩わしさを感じていたからではない。
むしろその逆――宝珠の光を浴びるにつれ、全身に力が漲り、逃避行で積み重ねた疲労が癒されていくのを感じた。
その恩恵は愛馬アグロにも同様に及んでいた。
「これは……どういうことだ?」
「なんと面妖な!? 妖術の類いか!?」
王子を中心に煌めく神々しい輝きに、面を喰らったゴードン。
しかしやはり歴戦の騎士――即座に平静を取り戻すと、拍車を蹴って馬を疾駆させる。
アイゼもゴードンに倣い、即座に打って出た。
巨馬と駿馬が橋上を驀走する。
アイゼは最小限の動きで、ゴードンの大振りな一撃を回避すると、すれ違い様に刃を閃かせた。
が――マントの裏に隠れていた鎧に阻まれてしまう。
それでも初めて、自分の刃がゴードンに届いた瞬間であることに代わりなかった。
馬首を翻し、再度二人は対面し、驀走する。
「共に行くぞアグロ!」
「ヒヒーンッ!!」
アイゼは手綱から手を離し、アグロに全てを委ねて疾駆する。
アグロもまた鞍上の主人の意図を汲み、人馬一体となってゴードンに立ち向かう。
「うおおおおおお!!!!」
ゴードンは左手で手綱を握り、右手で両手剣を掲げながら、アイゼの頭蓋を一刀に両断しかねない渾身の一撃を振り下ろした。
対してアイゼは、左手の籠手でゴードンの大剣の腹を叩き、その軌道を僅かに逸らす。
ゴードンの会心の一撃は空を切り――一方のアイゼは、ゴードンの懐へ滑りこむ。
「その首――――貰ったぁ!!」
――斬ッ!
すれ違い様の一閃。
アイゼの長剣は、ゴードンの兜と鎧の隙間に滑り込むように差し込まれ――大男の首が飛ぶ。
馬穴のような冑首が、ボトリと泥の上に落ちる。
一拍の後――馬上に残されたゴードンの胴もまた、頽れるのであった。
「はぁ……はぁ……か、勝った……」
アイゼは乱れた呼吸を整え、頬を紅潮させながら勝利の余韻を噛みしめた。
翻って――顔を青ざめさせるのは、ゴードンの部下だった者達。
無敵と信じて疑わなかった大将が破れたことで、彼らの間に動揺が広がる。
「さあ! 道を開けて貰おうか! これは正当なる決闘によって取り決められたこと! されど、異を唱える者がいれば遠慮なく申し出よ! いつなんどき、何度でも! 誰からの決闘であろうと受け入れる所存! さあ! どうする!?」
「「「「…………」」」」
アイゼはゴードンの血で濡れた長剣の切っ先を向けながら、残された兵達に問いかける。
されど兵達は、苦虫を嚙み潰したように顔をしかめるばかりで、アイゼと目を合わせようとしない。
奴らの戦意が消失したのを見て取った彼女は、ゆっくりと剣を鞘に戻すと、アグロを走らせた。
驟雨に煙る大河に架かる橋を、二人は悠然と渡っていくのであった。
***
かくして、王弟ヨハンの謀反により、王都を去ることになった王子リュカの、長く険しい首途の幕が開ける。
果たしてうつけの王子は、この旅の果てに何を見て、何を決意し、何を手にするのか。
それはまだ――月上におわす神でさえ分からないことであった。




