04 月毛の駿馬
王女ヒルデガルドと王弟ヨハンが問答を繰り広げているその最中。
彼女らの足元では、王子リュカとその騎士アイゼリーゼが、隠し通路を辿って王宮の外に脱出しようとしていた。
アイゼは小脇にリュカを脇に抱えながら、長い脚を突っ張って体を支えながら、手探りに石壁に手を這わせ、煙突掃除夫のように縦穴を下っていく。
縦穴の底に降り立つと、今度は腰をかがめながら横穴を進み、やがて微かな夜風とともに出口が見えてきた。
顔を出せば、そこは王宮の外。
未だ城壁の内側ではあるものの、包囲が厳重に敷かれている王宮内部から脱出できたのは確かであり、二人はほっと息を撫で下ろしたのであった。
「まずは厩舎へ行って、足を確保しましょう」
「あ、ああ……頼んだ」
警邏の兵隊の目を掻い潜りながら、厩舎に到着すると、アイゼは即座に、己が相棒の姿を認める。
「アグロ!」
「ヒヒ―ンッ!」
アイゼがその名を呼べば、真夜中であるにも関わらず、月毛の駿馬が嘶いた。
アグロ――アイゼの手により、仔馬の頃から世話をされ、姫将軍ヒルダと共に数多の戦場を駆け抜けた、彼女の唯一無二の愛馬である。
その月毛は日頃の丁寧なブラッシングにより艶やかに輝いており、月光を反射して輝く様は絹のようだと、鎮撫騎士団の間で称えられていた程であった。
「アグロ。突然のことになるが、これから私とリュカ殿下は、長く険しい旅路を歩むこととなる。その山川跋渉に、お前を付き合わせてしまうことを許して欲しい」
「ヒヒ―ン」
人が馬の言葉を解せぬように、馬もまた人の言葉を解することはない。
されども、一人と一匹が築いてきた深い友誼のなせる業か、アグロはアイゼの意を汲んだかののように、肯定的な嘶きで応を返すのであった。
しかし――その友情に水を差す、無作法な声が聞こえてくる。
「王子は王宮の外へ逃げたとのことだ!」
「決して逃がすな!」
「王都から逃げるには馬が必要なはずだ! 全ての厩舎を調べよ! 馬丁を叩き起こして、消えている馬がないか検めさせるのだ!」
アイゼが手慣れた手つきで馬具を取りつけている最中、王宮の方から軍靴をかき鳴らす音と共に、そのような怒声が聞こえてきた。
「ちっ! 王弟の犬共めっ!」
リュカ達が隠し通路から王宮を脱出している最中、王女ヒルダは王弟ヨハンと問答を繰り返し、彼らが逃げる時間を稼いでくれていた。
だが――暗闇の縦穴を、子供一人抱えて降るのは慎重にならざるを得ず、こうしてヨハンの私兵に追いつかれてしまったという次第であった。
「さあ、殿下! お手を!」
「う、うむ」
先にアイゼが乗馬し、馬上からリュカの手を取ると、力強く引っ張りあげ、鞍の前輪に座らせた。
リュがはヒルダに代わって王太子に任命される以前は、落胤として冷遇され、半ば幽閉に近い生活を送っており、王族として当然身に着けるべき乗馬の教育も、つい最近受け始めたばかりであった。
今しがたの腕前は常歩でどうにか凌げる程度であり、とても疾駆する馬を自ら操れる技量は持ち合わせていない。
故にアグロへの負担は承知の上で、相乗りの逃走を選んだのであった。
「はいやぁ!」
アイゼがアグロの腹に拍車をかけると――アグロは甲高く嘶きながら、馬足を速める。
廓の内側を、月毛の駿馬が疾走する。
ヨハンの手勢はそれに気づいても、徒歩で追いつくことは叶わず、追手から距離をぐんぐんと離しながら、二人は城門に向かって駆けていく。
しかし――
「アイゼ! 城門に弓兵が!」
「ちっ! やはり封鎖されているか!」
――城門の前に陣取っている、弓兵の一団を認める。
「打ち方用意――――」
松明を高く掲げた指揮官の号令に、周囲の弓兵が一斉に弦を引き絞る。
「――――放てっ!」
次いで――振り下ろされた腕と同時に、無数の矢がリュカ達に降り注ぐ!
「殿下! 私にしがみついて、決して手を離さないでくださいませ!」
満天から驟雨の如く降り注ぐ矢の雨を前にしても、アイゼは馬脚を一分たりとも緩めることなく、正面から立ち向かった。
左手で手綱を握ったまま、右手で佩剣を鞘走らせると――一閃。
王子と愛馬に命中しようとする矢に狙を見極め、空中で斬り払う。
己に降り注ぐ矢は鎧で受け、矢を払った返す刀でもう一閃――すれ違い様に松明を掲げる指揮官の首を切り落としたのであった。
――ボトリ。
面前に晒される馘を前に、弓兵達の間に動揺が走る。
指示を出す指揮官を失い、号令を出す者がいなくなり、自分達の判断で二の矢を放つ決断を即座に持つことができないまま、残された弓兵は、背中を晒しながら城門を潜っていく女騎士の後ろ姿を、ただ呆然と見送る他なかったのであった……。




