49 征伐騎士団長ゴードン
王子軍総大将――リュカ・ローゼンベルクがたった単騎で、征伐騎士団5000騎を隘路たる樹林へ誘導し、自慢の長髪を断髪されたものの、見事な釣り野伏を成功した。
――と、思われたものの。
真相においては、いささかの相違を孕んでいた。
「ふぅ……この仮髪、凄い蒸れるです……」
月毛の美馬に跨った王子と思わしき子供は、征伐騎士団の相手を伏兵に任せて更に森の奥深くへ辿り着く。
そうして鬱陶し気に前髪を掻き揚げると、肩口で断髪された青髪はズルりと剥がれ、その下から少女本来の、カラスの濡れ羽色の髪が姿を見せた。
ゴードンを筆頭とする征伐騎士団が追っていたのは、リュカではなく――背丈が似通っているエフィだったのだ。
リュカを偽装した釣り野伏の計略は――王子軍の軍師ジャスパーの練った一計である。
だが、この程度の計略であれば、兵法書に通暁している者なら誰でも思いつくだろう。
とはいえ、それはジャスパーが無数に張り巡らせた計略のたった一つに過ぎない。
万が一、征伐騎士団が戦場から離脱するリュカ(に変装したエフィ)を無視し、王子軍本隊を攻撃した場合は、森に到着したエフィがその旨を伝えれば、征伐騎士団の背後を突いて挟撃の形に出来る訳であり、どっちに転んでも良い策だったのだ。
「はぁはぁ……アイゼさん、この子お返しするです」
「よくやったぞエフィ! お手柄だ!」
三日間の間、森に伏していた2000の兵をまとめあげていた女騎士――アイゼが近づいてくると、馬上のエフィを労うのであった。
彼女がいなければこの策は成功しないのは事実であり、まだ14歳の少女が、たった一人で5000もの敵兵に追われながら逃げ切った胆力と馬術は相当なものあるからして、アイゼは武人として素直に賞賛を見せた。
「いえいえ。この子の健脚があってこそです。並みの馬なら追いつかれてたです。事実、刃が届く距離まで接近されちゃいましたし」
エフィは額に滲む汗を拭いながら下馬すると、アグロを返却する。
「それに――あたしはリュカちゃんを暗殺しかけましたからね。皆さんから信頼を取り戻し、忠誠を証明するには、これくらいの危ない橋一本や二本は渡らないと、納得してくれないですよ」
「……う、うむ」
その点に関しては、リュカの最も忠実な臣であるアイゼには、含むところがあった。
リュカを暗殺しかけた事を全て水に流すことは、まだ難しい。
だが――乗り手を選り好むアグロに乗り、十全とは言えずとも八全程の実力を引き出してみせたのだ。
騎馬を操る者として、その実力は認めざるを得なかった。
戦場で育まれた絆に嘘はつけないのである。
「後のことは私に任せ、エフィはそこで休んでいろ」
「そうさせて頂くです」
アイゼはエフィから手綱を譲り受け、馬上の人となると――悪路にして隘路な森の中を、颯爽と駆けていく。
アグロもまた、真の主人と認めた者が鞍に帰ってきたことで、やる気を出して嘶いた。
他の伏兵は、馬では取り回しが悪すぎるが故に、徒歩で応戦している。
それでもアイゼは、騎馬で出撃することを選んだ。
幸いなことに――彼女はこの森を知っていた。
それは奇しくも、かつてスタンス城の露台からエルキ大河に飛び込んだ後に、逃げ込んだ森と、同じ場所であった。
***
――太陽は中天に位置しているにも関わらず、黄昏時のように薄暗い森の中。
「くそっ! こうも足場が悪い場所で乱戦になっては、馬首を返せん!!」
征伐騎士団が団長――ゴードンは悍馬の上で懸命に両手剣を振り回しながら、甲冑の内側で悪態をついた。
ゴードンとその愛馬は共に体格に恵まれており、全身を重厚なプレートメイルで覆っているが故、全身に乳酸が溜まっているものの、肉体にはかすり傷一つなかった。
だが――周りの味方はその限りではなかった。
森の左右から飛び出してきた伏兵に、剽悍に攻め立てられ、次々と討ち取られていく。
騎兵の機動力を徹底して殺す樹間は、徒歩の者へ相対的に地の利をもたらす。
それを分かっていながらも、征伐騎士団の面々は馬を捨てる決断が下せない者が殆どで、足元から這い寄る盾を構えた歩兵に馬を貫かれ、もしくは足を引きずられ、地面へと滑落していく。
喊声と悲鳴と金属が奏でる――無秩序な乱声の中、また一つ命が散っていく。
「くそっ! 撤退! 一時撤退だ!」
既に引き際は完全に見逃しているが、このままでは全滅である。
ゴードンは敵味方が混じりあう戦場から、全軍に撤退の合図を出して貰うべく、参謀の姿を探す。
「なっ!? あれはっ!?」
視界の殆どを覆い隠す甲冑の覗き穴から、ゴードンが見つけたのは、頼れる参謀ではなかった。
それは――黄金の馬の尾であった。
されど、ただの尾ではない。
それはゴードンがつい先刻まで追い続けてきた月毛の驥尾――それに騎乗した女騎士の後ろ髪であった。
木の根やら藪やらが茂り、人の管理の手が入っていない森の悪路をものともせず、人馬一体となって乱戦を駆け巡る女騎士――アイゼである。
父の仇を認めたゴードンは、まるで発情期の牡馬が、雌馬の尾を追いかけるように興奮すると、拍車をかけて愛馬を走らせた。
既に彼の頭の中に、撤退の二文字は消え失せていた。
重装鎧に包まれた悍馬は、まるで戦車のように王子軍をなぎ倒していき、アイゼの元に到着する。
「アイゼリーゼ・アイゼンハルトおおぉぉ!! 某は貴様の刃の前に斃れたゴードンが嫡子、名は父と同じゴードン! 濁悪の徒め、我が正義の鉄拳の前にて、その報いを受けよ!!」
――キィィンッ!
「ぐぅっ!? 重い!」
ゴードンは両手剣を片手で振り回す剛腕を、騎馬突撃の勢いも利用してアイゼに叩きこむ。
アイゼはそれを咄嗟に受けるものの、あまりの重さに手首が悲鳴をあげ、アグロの膝も沈み込んだ。
それでも剣を離さないアイゼと、膝を完全に折らなかったアグロの壮勇さは大したものであった。
「その馬、その鎧、その得物――警邏騎士団長ゴードン卿の縁の者か!?」
「だからそう言っているであろう! ここであったが百年目! 父の仇だ!」
ゴードンは頑迷にして浅慮、挙句に猪突猛進なきらいがある。
だが――それ故に騎士道に対しては誰よりも真摯であり、また両親や主人を敬愛すべしと謳うルナルシア月教の教えにも敬虔であった。
父の仇を討つ――その熱情だけで、ゴードンはこれまでの疲労を忘却せしめ、あのアイゼに呻き声を漏らさせる程の一撃を放ったのであった。
「よかろう! ではゴードン卿――貴顕もまた父君と同じ月星国へ送ってやる! ルナルシア月神の腕の中で、父子の再会を喜ぶといい!」
「それは貴様を地獄へ送ってからだ!」
「わたしも敬虔な信徒であるつもりなのだが、手厳しい……なっ!」
アイゼはゴードンは、馬上にて無数の刃を交わす。
丁々発止と火花を散らし、刃鳴りを響かせ、馬同士も頭突きするように何度もぶつかり合い、数十合も斬り結んだ。
ゴードンの膂力から放たれる斬撃は、かつて苦戦を強いられた、彼の父の剣筋とほぼ遜色のないものであった。
一撃でもまともに喰らえば、鎧の上からだろうと問答無用で両断されてしまうであろう剛剣に、流石のアイゼも肝を冷やす。
しかし――父親と遜色のない剣筋だからこそ、その剛剣の攻略法は既に熟知していた。
アイゼは手綱から手を離して、アグロに身を任せると、強風を伴って飛来する両手剣――その腹の部分の籠手で弾きし、がら空きとなった首へ斬撃を叩きこむ。
かつてゴードンの父の首を、胴から切り離した一撃が、息子にも見舞われる――その直前。
『よいですかアイゼ殿。王宮から駆け付けた敵の増援の指揮官は、殺さずに捕えてください』
アイゼの脳裏に、元婚約者の言葉が蘇る。
「(全く……無茶を言ってくれる!)」
彼女は咄嗟に手首を捻り、刃ではなく腹の部分でゴードンの首を叩いた。
ぐわああん――と、金属同士が衝突する鈍い音が、ゴードンの耳朶を激しく揺さぶった。
「ぐわっ!?」
得物を弾かれ体勢を崩した所に、更に追い打ちの衝撃がかけられ、思わずゴードンは手綱を離して落馬してしまう。
アイゼもまたアグロから飛び降り、ゴードンの腹の上に馬乗りになると、馬手差しを甲冑の覗き穴の隙間に差し込む。
眼球から半寸の距離で切っ先は止まり、ゴードンは身じろぎが取れなくなった。
アイゼかゴードン、どちらかが不意にくしゃみでも漏らそうものなら、それだけでゴードンの片目は永遠に光を失ってしまうだろう。
「わたしの勝ちだ。リュカ殿下の軍門に降られよ、ゴードン卿」
「ぬぐぐ……ぐぅ……すぅ……はぁ……承知いたした」
ゴードンは悔しさで涙を流した。
しかし彼は、敬慕する父親と同じくらい、騎士道を愛していた。
横槍無しの一騎討に負けたからには、勝者の言葉に耳を傾けなくてはならない。
彼は落馬してもなお握りこんでいた両手剣を手放すと、アイゼに投降したのであった。
かくして――スタンス城戦いにおける初戦。
アイゼ率いる2000の鎮撫騎士団。
ゴードン率いる5000の征伐騎士団。
その結果は、前者の勝利によって幕を閉じたのであった。




