45 足萎え姫と放埓の王弟
※今回は序盤に登場した、姉姫ヒルダと王弟ヨハンのエピソードです。
【登場人物紹介】
ヒルデガルド/ヒルダ……スぺサイド王国の王女。リュカの姉。スペイド人とハアト人が共に手を取り合い、一つの新しい民族として調和する未来を希い、双方の血を引くリュカに希望を託す。ショタコンのブラコン。
ヨハン……崩御した国王の弟。王位を簒奪するために、内部から自身に与する貴族勢力を増やしながら、国王の死に呼応してリュカ暗殺を決行するも、失敗に終わる。
「夜分遅くに失礼いたします。ご機嫌の程かいかがでございましょうか。ヒルデガルド王女殿下?」
「ついさっきまでは良かったけれども、丁度今、鬱陶しい羽虫が入りこんだせいで台無しよ」
「これはまた、未来の婿に対して手厳しいお方だ」
囚われの王女ヒルデガルドの私室に、王弟ヨハンが、数名の兵を侍らせて訪問した。
ヒルデガルドは父親譲りの、獅子の鬣のような濃いオレンジ色の長髪を、侍女に丁寧に編み込ませて纏めており、身に纏うドレスも奢侈が尽くされ、とても幽囚の身とは思えない優雅さを携えていた。
ただ一点――以前と差異なる所があるとすれば、大粒のサファイアが埋め込まれた首飾りがなくなっていることくらいだろうか。
ヒルダは幽閉されているとはいえ、王族として丁重に扱われ、王宮が王弟一派に占領される以前と、殆ど変わりない生活を送ることが許されていた。
その理由の一つに、一人では満足に歩くこともできない蹇が故でもあった。
愛玩用の鳥が逃げないよう、予め風切羽をクリッピングするのと同じである。
かつては姫将軍と恐れられ、鎮撫騎士団5000騎を指揮していた驍将も、こうなってしまえば深窓の令嬢と差異なきものである。
そんなヒルダを憐れむ余裕を持ちながら、表面上では慇懃にヒルダに頭を下げるヨハンであった。
「そのご様子では、まだ父王に代わり、王冠を戴いて貰う決心はついておらぬご様子と見える」
ヨハンは気障ったらしい態度で、眉にかかった茶髪の前髪を掻き揚げながら、ヒルダに近づいた。
彼女の艶冶なかんばぜを、舐めまわすような距離まで近づき、吐息で白磁の頬を撫でながら、萎えた太ももに手を乗せる。
ヨハンの年齢は30半ばに達していたが、苦労知らずが奏してか、殆どシワのない若々しい貴公子然とした面を下種に細め、彼女のドレスの下にある柳腰を思い浮かべるのであった。
「わたしは王にはならないわ。王国にはまだ、正式に冊立された王太子がいるもの」
「リュカ殿下のことを仰っているのであれば、いい加減に現実をお見えになった方が良いと存じますよ。王子が風を食らってもう二ヶ月が経ちます。とっくに野垂れ死んでいることでしょうな」
「それはあり得ないわ。あの子にはアイゼが付いているもの」
「だからどうしたのですか? 母親の胎内に睾丸を忘れてきたような臆病者に何ができましょう? いかに能吏に恵まれようと、頭が無能なら詮無きものですよ」
ヨハンはリュカを侮り一笑に付しながらも、ヒルダの心を折らんとするべく、言葉を続けた。
「そこまで言うのであれば、部下を使って草の根を分けるように探させましょう。そしてあの表六王子を捕まえた暁には、全裸に剥き、首輪をつけて民衆の面前を連れまわしてやりましょう!」
「あら。それはダメよ。あの子の恥ずかしい姿を見ていいのは、わたしだけなのだから。到底許されることではないわよ。究極の美を独り占めする、それに勝る愉悦は存在しないもの」
そう言って、ヒルダは室内の壁にかけられた無数の肖像画を見渡す。
宮廷画家に描かせた、ドレスと宝石で着飾り、羞恥に悶えるリュカの数々の肖像画を見渡し、舌なめずりしながら恍惚に頬を染めるのであった。
この王弟が王弟なら、姉も姉である。
「であれば、あなたの言葉に則り――わたしにとっての究極の美を独り占めするといたしましょうかね?」
「ぐぬっ!?」
自分を視界の端をうろつく羽虫であるかのように、歯牙にもかけないヒルダの態度に、いい加減にに堪忍袋の緒が切れかけているヨハンは、ここらで脅しをかけようと――ヒルダの柔い両頬を五指で掴み上げた。
「あなたは翼を捥がれた鳥籠の鳥であることをお忘れなく。それに――わたしだって王族の身。王統に連なる権利は持ち合わせているのですよ? あなたを排し、兄王の意を継いでわたしが玉座に腰を据えても、なんら問題はないのです」
「堂々と王位を簒奪する者に、果たして民は王と認めるかしら?」
ヨハンに顔面を掴まれてもなお、アイゼは凛々しさを忘れることなく、果敢に言葉を返す。
かつては武人として数々の武勲を立てた彼女にとって、放蕩に耽るヨハンの脅しなど、屁でもないと言わんばかりに。
「既に半数の諸侯はわたしに呼応し、恭順を誓っているのです。その心配は杞憂というものですよ」
「貴族がなんだと言うのかしら? わたしは民が認めるかと言っているのよ。なぜなら民は、貴族の数百倍の数がいるのだもの」
「そのまま言葉を返そう。民がなんだというのだ!? 奴らはただ言われた通りに田畑を耕していればよいのだ!」
「その考えこそ浅慮というものよ。〝民なくして王なし〟よ」
「〝王なくして民なし〟だ!」
ついにヨハンの堪忍袋の緒が切れた。
春の氷のような涼やかな貴公子の仮面も――また春の氷のように脆く崩れ落ちる。
その奥から、権勢欲に塗れた醜い貌が転びでる。
「以前も言ったと思うけど、既にハアト人がスぺサイドを征服して140年にもなるわ。にも関わらず、未だ二つの民族はいがみ合ったまま。この国はずっと、被征服民族に苦役を押し付け続けることで、見えない負債を溜め込み続けているの。それが爆発する前に、二つの民族を調和させ、混ざり合い、新しい一つの民族にしなくてはならない。もっとスペイド人の官吏を登用し、民族間の差別意識を取り払わなくてはいけないの」
「衆愚のスペイド人を内務に関わらせれば、あっという間に国は崩壊するわ!」
「ハアト人による独裁政治も、緩やかに崩壊に向かっていくと思うけどね」
異なる主張同士のぶつけ合いは、堂々巡りで、一向に決着がつく素振りは見せない。
それもヒルダは、必ず実現しうると信じており、その希望を弟に託している。
「それが出来るのは、スぺサイド王家の正統なる王太子と、スペイド人の姫の末裔、双方の血を引く――我が弟リュカだけなのよ」
「まだ言うか! …………いや、待て。今なんと申された。スペイドの姫の末裔とな?」
聞き捨てならない単語を感知し、気色ばんでいていたヨハンが、冷静さを取り戻す。
「あら。まだ言ってなかったわね――リュカの母親はマチルダといって、140年前に征服された王家の末裔よ。今は転封されて王都を追われ、辺境の子爵家の身に落しているけれど、その血統は今も連綿も続いているの」
「そ、それがなんだというのだ……!」
「話は終わってないわ。リュカの母親はわたしの侍女として奉公にやってきて、そこで父王に目をつけられ、一夜の過ちの末にリュカは生まれたの。お父様は、侍女の身元なんていちいち調べてないし、そもそも手を出し過ぎて、どの侍女かも判別ついてなかったかもしれないけどね」
「すなわち……被征服民族の王室の血に呼応して、民が惰弱な王子を支持すると?」
「それもあるけど、一番の理由は――スぺサイドの秘宝、青薔薇の宝珠を意のままに操れるということよ」
「青薔薇の宝珠?」
「あら。それも知らないのね」
ヒルダは嘲笑し、ヨハンの手を払いながら続ける。
元姫将軍の思った以上の膂力に、思わずヨハンは叩かれた手の甲をさすった。
「青薔薇の宝珠は太古よりスぺサイドの王家に引き継がれていた秘宝であり、スペイド王家の賢君が手にした場合、その庇護においた者に強力な加護を授ける権能を持っているの。その権能により、スぺサイドはこれまで征服者の魔の手から守られ続けてきたの」
「だがその加護も、140年もハートサイド公国が誇る征服王の前には無力であった。よもやそのような迷信を信じているではなかろうな?」
「迷信ではないわ。言ったでしょう? 賢君にしか加護の恩恵に預かれないと。リュカが青薔薇の宝珠の力を十全に操れれば、必ずや獅子剣王を蝕んだ寄生虫――まさしく文字通りの獅子身中の虫を排し、王都を奪還するに至ると確信しているわ」
二度に渡って虫呼ばわりして、ヨハンは王族としての矜持を傷つけられたものの……。
それでも玉座を狙うものとして、ヒルダの挑発に乗っかった。
「面白い! ならばあの軟弱王子を捕えて馘にし、スぺサイドの解語の花を、物言えぬ活花にしてそなたの面前に献上いたそう。さすればくだらぬ妄信にすがるあなたの目も、いい加減に覚めることでしょう!」
「やって御覧なさい。あの子もまた獅子剣王の血を継ぐ者よ。その身に秘めた勇敢さは、誰にも負けないはずよ」
ヒルダとヨハンは火花を散らす。
そうして、ヨハンはマントを翻しながら踵を返すと、背後に控える最も体躯の優れた騎士を呼びつけた。
「ゴードン卿! 貴公を王子撃滅軍の将軍に任命する。5000の騎兵を預ける故、必ずや雑種王子の首を持ってくるのだ! 見事大願果たせし際は、警邏騎士団と鎮撫騎士団の双方を束ねる、近衛将軍の地位を新設し、貴公に下賜することを約束しよう! そうだな……部隊名は……征伐騎士団でどうだろうか」
「御意に! 必ずや大公より賜りし任務、不退転の覚悟でもって果たしてみせましょう!」
「あら。驚いた。あなた、もしかして警邏騎士団団長のゴードン卿のお子さん? 確かに面影があるわね」
鎮撫騎士団と警邏騎士団は、『王国全体の仲裁』と『王都内部の守護』と、役割は大きく違えども、国王直属の二大騎士団である。
その団長同士は定期的に顔を合わせる機会があり、ヒルダは故ゴードンと、深い面識があった。
とはいえ――そのゴードンも、アイゼリーゼとの決闘の末、エルキ大河にかかる橋上で行われた決闘に敗れ、その命を散してしまったのだが……。
だが――彼の意志を継ぎ、亡父と同じ名を持つゴードンジュニアが家督を継ぎ、こうしてヨハンの忠臣として仕えているのである。
「王子のそばには、父の仇アイゼリーゼ卿がいることは必須。必ずや父の雪辱を晴らし、ヨハン大公へ王子の首を献上いたしましょうぞ」
「(ヨハンは口先だけで自身では何も持ちえない放埓の輩だけども、彼に就いている家臣は手強いわよ。リュカ――試練を乗り越え、私を助けにきてね)」
かくして――ヨハン大公もまた忠臣を使ってリュカ討伐の騎士団を組織する。
月星に二日無く土に二王無し。
王子と王弟――二人が角逐する内訌の果て、月神はどちらに微笑むのか。
それはまだ、誰にも分からないことであった。




