41 下女の本性
砦の夜が、静かに更けていく。
新月の空には月がなく、ただ星だけが、無数に瞬いていた。
月に一度だけ、月神が目を閉ざす束の間の夜――下女を装った王子と、下女を騙った暗殺者は対峙する。
「アイゼ。彼女の拘束を解いてやって欲しい」
「例え殿下の命であろうとも、そればかりは聞き入れできませぬ。こやつは殿下の御命を狙う暗衛。一瞬でも隙を見せようものなら、狡猾な蛇のような曲芸で反撃してくることは必須かと」
「彼女に本当に殺意があれば、わたしはとっくのとうに殺されている。彼女にはわたしを殺す理由はあっても殺意はないと見える。どうかわたしの初めての友を離してあげて欲しい」
「まだ……友達だと思ってくれるんだ?」
「当然だ。エフィ殿はわたしの命の恩人でもあるのだから」
「しかしながら殿下――」
憂慮するアイゼへ、リュカは台詞を食うようにして、続きの言葉を遮った。
「わたしが囮となって間者を捕える策は、わたしが考案したものだ。どうか最後まで、わたしを信じて欲しい」
「それにアイゼ殿の恵体でいつまでものしかかられては、エフィ殿の華奢な体が潰れてしまいますからね」
とヘリワード。
「おい! 淑女に向かってなんてことを言うんだ!? 殿下! 違いまするぞ! これは鎧の重さであって……!」
「アイゼ殿を淑女と評してよいかは、議論の余地がございますが……」
「アイゼ程人品に優れた淑女はおらぬ。アイゼ、頼むから退いてやってくれ」
「……承知しました」
ヘリワードの茶々が効いたのか、アイゼは渋々と暗殺者――エフィの上から降りた。
「…………へ?」
エフィは黒目がちな瞳をきょとんとさせ困惑していた。
捕えた暗殺者を、拘束せずに解放する王子の行為に、彼女は面食らう。
あまりのあっけなさに、逃げることも忘れ、呆然としてしまった。
その眼前に、リュカの白い手が差し伸ばされ、体を起こされる。
「手荒な真似をしてすまない、エフィ殿」
「(どう考えても、それはこっちの台詞です……)」
「お互いに、色々と聞きたい話があるだろう。幸いにして夜はまだ長い。ゆっくりと語り合おうではないか」
リュカはそう言うと、エフィを椅子の上に座らせる。
さっきまでは闇夜を忍ぶ野良猫のようだった彼女は、今は借りてきた家猫のように淑やかになっていた。
達観しているというよりも、安堵している様にも見える。
一方のリュカは、夜冷に備えて上衣を肩にかけ、向かい合うように寝台の縁に腰掛けた。
その両脇にはアイゼとヘリワードが立位で控えている。
「まずはエフィ殿から、何か聞きたいことがあれば、なんでも訪ねて欲しい」
「じゃあまず――なんであたしが、君を狙う刺客だって気付いたです?」
「それは、そなたの優しさのおかげだ」
「暗殺者が優しい訳ないです。それに、抽象的過ぎて分からないです」
彼女は特徴的な語尾を付けながら答える。
恐らく――それこそが、キャラを演じていない、素の口調なのだと思われた。
「今日の昼、そなたがアッシェンの傭兵から、わたしを助けてくれた時だ」
「あー、やっぱそこですか……完璧な演技だと思ったんだけどなぁ……」
エフィは空笑いをしながら、天井を仰いだ。
事情を知らないアイゼとヘリワードのために、リュカは当時の状況を説明する。
半日前――まだガーナーゲート砦がアッシェンの軍勢相手に坊城戦を繰り広げていた時のこと。
破られた北門から傭兵団がなだれ込み、その際――抜け駆けて金目の物を物色するべく、二人組の傭兵が厨房に押し入ってきた。
その際リュカは、自身が王子であることを明かし、包丁を首に添え、自分の命を人質にして傭兵と交渉を持ちかけた。
結果交渉は失敗に終わり、リュカは包丁を手放し、傭兵に捕まってしまう。
その直後であった。
リュカの背中で歯の根が合わない程に震えていたエフィが、突如として俊敏な動きで包丁を回収するや否や――黒い瞳を鋭く光らせ、残光の尾をひくほどの早業で、傭兵二人を刺殺したのだ。
その際彼女は、「無我夢中で体が勝手に動いた」、「リュカちゃんを助けたくて気付いたらこうなっていた」と、激しく狼狽して泣きじゃくったのである。
だがそれは――彼女の演技であった。
「あたしの演技、下手でした?」
「そんなことはない。完璧であった。死体を見るまで、わたしはエフィ殿の言葉を信じていた」
しかし――とリュカは寝台の上から続ける。
「確かにエフィ殿の演技は完璧であった。けれど――殺し方も完璧だった」
「…………」
思い当たる節があったようで、彼女は苦々しい表情を作る。
「二人の傭兵の死体は、共に心臓を一突きにされていた。このような手際は、偶然ではありえない」
リュカは王宮を出奔し、逃避の旅をの最中にて、アイゼが刃に伏す多くの者を見てきた。
だからこそ――鮮やかなまでの手際の良さに、違和を覚えたのである。
かくしてリュカはエフィこそが、伝書カラスによって告げられた間者だと悟ったのだった。
「それに付け加えれば、エフィの荒れた手は、畑仕事によるものでも、水仕事によるものでもなかった。アイゼと同じ、血豆が何度も潰れた、剣士の手だった」
これもまた、リュカが義勇兵の者達と交流を続け、様々な手を見てきたからこそ、辿り着けた真実である。
「はははっ! 大した推理だよリュカちゃん。王子様なんか辞めて、戯曲家になったらいいんじゃないですか?」
「ふむ……そしたらヘリワード殿に吟じて貰うのもいいかもしれないな」
「それは楽しみです。文弱の貴公子のお手並み、拝見させて貰いましょう」
エフィの諧謔に、リュカとヘリワードは笑顔で便乗した。
まるで友人同士の四方山話のような気楽さであった。
そこにアイゼがわざとらしい咳払いをして、話は再び本題に戻る。
「今度はわたしが質問する番だ。なぜわたしを傭兵から助けた。なぜさっき殺すのを躊躇した。そなたの目的がわたしの暗殺なら、わたしが傭兵共の手にかかるのを、ただ見過ごしていれば良かったではないか」
「…………」
エフィは答えない。
しかしリュカの無垢な瞳で見つめられたことに加えて、失敗した暗殺者にするには、あまりにも厚すぎる待遇を取った人の良さに根負けし、口を開いたのであった。
彼の無垢な瞳には、世の醜さを忘れさせる魔性が秘められているのだった。
「言ったはずです。『リュカちゃんみたいな妹が欲しかったって』。まぁ、リュカちゃんは男の子だったんですが。どちらにせよ、弟妹を傷つける姉なんて、存在しないですよ」
「(その台詞は……是非とも我が叔父上に聞かせてやりたいくらいだ……)」
「ふむ。つまりあなたは、暗衛でありながら、リュカ殿下に絆され、任務を放棄したということですか?」
「放棄はしてないです。だからこうして、やっと邪魔な女騎士様がいなくなった新月の夜に、忍び込んできた訳ですから」
「だが――この短剣の刃は潰れているぞ?」
リュカは黒漆で塗装された短剣を拾いあげて問い詰める。
「しばらく包丁ばかり握ってたから、お手入れするの忘れちゃってたかもです。ははっ」
「そういう訳だアイゼ。エフィ殿は確かに間者であり暗殺者であった。だが、わたしを殺す気などなかった。故に沙汰は下さぬ」
「そういう訳には参りませぬ。せめてこやつめの指示役くらいは吐いて貰わねば」
「それに関しては――わたしがお答えしましょう」
ギィ――と。
個室の扉が外側から開け放たれ、一人の長身の男が入ってきた。
そこにいたのは、ルナルシア月教の神父服を纏い、長い黒髪を中央を起点に左右に分けたし、キツネを彷彿とさせる細目の優男であった。
リュカとアイゼは、ここにいるはずのない人物を目の前にして、同時に驚愕の声をあげる。
「ジャスパー!?」
「ジャスパー殿!?」
ここから北方。
スぺサイド王国中央に横たわるヨバ山脈の中腹にて、廃院に隠棲しているはずの偽神父。
賢者ジャスパーがそこにいた。




