40 スパイの正体
スぺサイド王国の国教――ルナルシア月教は、月を神格化し、崇拝する宗教だ。
それ故、満月の夜は教会にて特別な説教が催され、いつもより長い祈りを捧げる習俗がある。
一方――新月の夜は、唯一神ルナルシア月神の威光が最も弱まる不吉の日とされ、どんな豪放者であろうと、早く夜が明けるのを祈りながら早い就寝に就くのであった。
今宵もまた――月光が途絶える新月の夜だった。
日中は埋葬やら修繕やらで、喧騒に絶えないガーナーゲート砦は静寂に包まれ、5000の騎士団が宿営しているとは思えない静謐に包まれていた。
誰もが自室に閉じこもる、光源の断たれた夜。
それはガーナーゲート砦に潜伏せし間者――否、暗殺者にとっても、非常に都合の良いことであった。
挙句――普段は遍歴騎士と相部屋になっている暗殺対象は、隠していた身分を明かしたことで、城代より個室を与えられていた。
新月の夜に、一人で眠る暗殺対象。
これだけのお膳立てをされれば、暗殺者が行動に移さない理由は他になかった。
「…………」
リュカに与えられた個室は、砦の中で最も立派な設であったが、居住性よりも実用性を優先した古い砦が故に、例によって、縦に狭く横に長い矢狭間が切られていた。
暗殺者は石積みの壁の僅かな隙間に指をねじ込み這い登ると、矢狭間に顔を近づけ、寝室の中を覗き込んだ。
少女にしか見えない少年は、寝台の上に仰臥し、毛布を被り、穏やかな寝息を立てており、呼吸に合わせて緩やかに毛布が隆起している。
滑らかな白皙の肌は、例え暗闇に包まれていようとも、どこか淡く輝いてさえ見えた。
「…………」
暗殺者はリュカが眠っていることを確認すると、ゆっくりと矢狭間に四肢をねじ込み、侵入を試みる。
しかし――肩の部分でつっかえてしまう。
――コキン。コキン。
だが、その程度で踵を返すような刺客ではなかった。
各部の関節を自在に外し、軟体動物のように蠢動しながら這い進み、見事侵入を果たしたのであった。
暗殺者は猫のように、両手両足で同時に着地することで、衝撃を分散し、落下の際の物音を完全に消音する。
「…………」
忍び足で室内を進み、ついにリュカの枕元に辿り着く。
暗殺者の背丈は、リュカよりも少し高い程度で、まだ子供のサイズであった。
闇夜に馴染むような真っ黒な衣を纏い、その髪もまた、同様に黒々としている。
ゆっくりと懐から短剣を取り出す。
これもまた暗殺仕様となっており、刃の部分を除いて黒漆で塗装されており、光が反射しないように艶消しが施されている。
「…………」
しかし。
暗殺者は何を思ったのか、目の前にターゲットがいるにも関わらず――一向に短剣を振りかざそうとしない。
十秒、二十秒――逡巡するように硬直している。
ゴクリ――喉が小さくなった。
それが、暗殺者が立てた初めての音だった。
「遠慮はいらない――そなたがわたしの事を、殺したい程憎いのであれば、どうかそのまま刃を振りかざして貰って構わない」
「――――っ!?」
一分程そうしていると――寝入っているはずのリュカは、ゆっくりと大粒のサファイアの瞳を開眼させた。
リュカの狸寝入りに気付いた暗殺者は、動揺して短剣が零れ落ちる。
カランと、石床の上に転がった。
その直後――
「殿下!? ご無事でございますか!?」
――バンッ!
扉が力強く開け放たれ、廊下に控えていたアイゼリーゼが突入してくる。
リュカの寝間着の下につけている青薔薇の宝珠を使い、アイゼに合図を送ったからである。
その後ろには、松明を掲げたヘリワードもいる。
松明の火が、暗殺者の顔をぼうっと浮かび上がらせた。
「女騎士っ!? なぜここにッ!?」
どういう訳か、暗殺の計画が漏れている。
刺客は慌てて踵を返し、矢狭間に身をねじ込ませた。
が――アイゼの方が早かった。
彼女は馬の尾のように結んだ金髪を翻して跳躍。
リュカの寝ている寝台を飛び越し近道すると、逃走する刺客の足首を掴んで引っこ抜く。
そのまま石床の上に腹臥に押さえつけると、片腕で腕を捻り上げて背中に回し、もう片方の手は肩甲骨のあたりを押さえつけて肺を圧迫した。
自在に関節を外せる技能を持つ刺客であろうと、こうなってしまえば抜け出すことは叶わない。
「手荒な真似をしてしまい、申し訳ない」
「なんと……彼女は確か厨房の……!?」
ヘリワードが刺客の顔に松明を翳す。
闇夜に浮かび上がったのは、艶のある黒髪を肩口で切りそろえた活発そうな少女のかんばぜ。
「はは……なんで分かったのかな? リュカちゃん? それとも、リュカ殿下と呼んだ方がいいかな?」
リュカと共に厨房で下働きをしていた少女――エフィであった。




