37 下働きの正体
一方――ガーナーゲート砦の南門にて。
背後から甲高く鳴り響く角笛の音色を聞いて、城代騎士ケインは思わず指揮の手を止めて振り返った。
「北門が破られたか!?」
角笛の音調を、予め示しておいた符丁と照らし合わせる。
門が突破されたことを意味する音色であることを察すると、ケインは悔しさと焦りから奥歯を噛みしめた。
悪報を伝える符丁だからだろうか――その音色は、まるで喉元に牙を突き立てられた獣の断末魔のような哀愁を感じさせた。
「(南側から増援を送りたいが、既に手一杯……くっ!)」
破城槌の餌食となった北門の一方――ケインの持ち場である南門は、辛うじて門を守護できていた。
義勇兵と比較して、正規の駐屯兵の方が練度が上回っているのも理由の一つだが――剽悍な獣のように北門を攻撃する傭兵団と違い、南門を攻撃しているのはアッシェンの正規兵であり、その指揮官は戦馴れしていないのも一助となっている。
それでも――南門が破られるのは時間の問題、といった具合であることに変わりはないのだが……。
「よもや……これまでか……奮闘はした方か……」
ケインは空を仰ぐ。
その顔は達観したように険が抜けていた。
敵兵は5000。
一方こちらは300程度。
元々勝てる戦とは思っていない。
勿論――兵の士気に関わるため、そのようなことは口に出していないが。
アッシェンの目標はガーナーゲート砦ではなく、その後方にある領都オールデンを落し、領主オクスフォード伯を屈服させ領土と利権を奪うことにある。
つまり、この砦が落ちたとしても、大局ではまだオクスフォード勢は敗北していないのだ。
ケインやアイゼの奮闘もあり、敵兵団に一定の打撃を与えたのは確かだ。
自分の役割は既に十分果たしたと、自身を納得させた。
後のことは、次に控える砦の城代に任せよう。
「我が御主君――十分に忠義は果たしました。先に月星の門を潜らせて頂きまする」
ケインは最後の悪あがきに、死を顧みない特攻の準備を始める。
そんな時だった――脳裏に玲瓏な声が響き渡ったのは。
「っ!?」
不意に届いたその声は、耳朶ではなく心を打つように沁み込んでくるものだから――気が振れてしまったと一蹴せず、思わず耳を傾けてしまう魔性の魅力があった。
その声は、以下の通りである。
『わたしはスぺサイド王国が王太子――リュカ・ローゼンベルクである。ガーナーゲート砦に詰める全ての我が民に告げる。奮起せよ』
***
――時は少し前に撒き戻る。
リュカとエフィは、最年少が故に戦闘を罷免され、バリケードを築いた厨房に隠れていた。
そこにやってきた二人の傭兵の刃に晒されたリュカであったが――
「うう……ぐすっ……えぐっ……」
――そんなリュカの危機を救ったのは、リュカの胸の中で泣きじゃくっているエフィであった。
普段の年上として振る舞おうとする仕草は消えて、年相応の少女のように嗚咽を漏らし、とても会話が出来そうな状況ではない。
その足元には、血で濡れた包丁が転がっている。
だが――リュカもエフィも共に、五体のどこにも傷はなかった。
付着した血は全て、入りこんだ敵傭兵のものであったからだ。
リュカが傭兵の手にかかる――その直前、エフィが転がった包丁を掴み、傭兵団の心臓を一突きに貫いたのである。
それにより危機は去ったが、彼女自身、リュカを守るために無我夢中でやった行動であり、衝撃的な状況に気が動転しているのであった。
一方彼女を慰めるリュカの心は、どこまでも冷静であった。
「(ここに敵兵がいるということは、門は既に破られているということ……なれば、いつまでも籠っている訳にはいかない。わたしは、わたしが出来ることを果たさねば……」
かくしてリュカは、エフィの手を取りながら天守に登り、胸元に下げた青薔薇の宝珠を起動させた。
『わたしはスぺサイド王国が王太子――リュカ・ローゼンベルクである。ガーナーゲート砦に詰める全ての我が民に告げる。奮起せよ』
――と。
***
「これは……青薔薇の宝珠によって伝達されし、殿下の御言葉、《みことば》か!?」
「リュカ殿の声……なるほどなるほど。ローゼンベルクと来ましたか」
前触れなく響き渡る、脳裏を撫でる澄み切った声に、ガーナーゲート砦の兵達は困惑を抱いた。
そんな中――過去に同じ経験を経たアイゼとヘリワードだけは、その声の正体を即座に見抜いていた。
脳裏に響く声は続ける。
『諸君、最後まで諦めてはならぬ。剣を持ち、立ち続けるのだ。だが、そこに王家に対する忠義は求めぬ。わたしの為に戦えなどと言うつもりはない。だが、隣に立つ仲間のため、故郷で待つ家族や大切な者のため、そして何より――自分自身のために戦うのだ。これは勅ではない。懇願である。どうか、最後まで諦めないでくれ』
アイゼは日中にも関わらず、天上が大きく煌めいたのを認め、空を仰いだ。
昼の太陽にも負けずに輝いているあの光は、青薔薇の宝珠によるものに間違いなかった。
天守に当たる部分に、長い青髪を垂らした親愛なる主君の姿を認めると、思わず手綱を掴んだ拳に力が籠る。
「(殿下が見ておられるにも関わらず、これ以上無様な姿は見せられない……!)」
その直後――アイゼの全身に力が漲った。
これもまた、青薔薇の宝珠の権能であった。
周囲を見渡せば、生き残っている義勇兵もまた、突如として鳴り響いた声と、全身から湧き上がる力に困惑している様子であった。
一方――アッシェンの傭兵には、そのような声を感じた者は1人もいなかった。
アイゼはここで更に士気を高めるべく、長剣を空にかざし、日光で刀身を煌めかせると、高らかに声を張り上げた。
「今の御声は、偉大にして正統なる王家の血を継し、リュカ・ローゼンベルク王太子殿下の玉音であらせられる! 慈悲深き月神ルナルシア様が、殿下を通して貴顕らに加護を届け給われたのだ! 月星は我らにこそ義があるとお定めになられた事に他ならない! 総員奮起せよ! 月神と全ての守護聖人に誓って、奴らを殲滅するのだ!」
無論――青薔薇の宝珠と彼女らの崇める月神との関連性は不明瞭である。
しかし実際に声が届き、内側から力が湧き上がってくるとなれば、アイゼの発破も信憑性が増すというもの。
既に諦めの境地に入っていた義勇兵は、アイゼの号令に再び活力を取り戻す。
そして義勇兵達は――脳裏に響いた王子による演説を反芻する。
隣を見れば、同じ村で生まれ、共に義勇兵に志願した幼馴染がいた。
村には、残してきた老いた両親がいる。
伴侶がいる。子供がいる。
彼らは疲弊した肉体にムチを打って、剣を握り直すと、アイゼに続いて剣を振って傭兵団に切りかかった。




