36 正義と悪と
前広場にて、戦乱が引き起っている最中。
砦の本棟の一階に位置する厨房もまた、一触即発の緊迫した空気が張りつめていた。
「なんだぁここは? バリケードで頑丈に守られてたから、宝物庫だと思ったが、厨房じゃねぇか」
「でもよ、面のいい娘が二人もいるぜ」
「おお! 本当だ! 特に青髪のガキは五年もすれば相当な別嬪になるんじゃぁねぇか?」
傭兵というのは武力を売り込み、雇用主より報酬を貰うことで生計を立てている生業であるが、現地での略奪も、貴重な収入源である。
時にはまだ制圧途中の城に我先にと忍び込み、金目の物が幹部連中に壟断される前に、いの一番に懐にしまい込もうとするちゃっかり者も存在する。
そんなちゃっかり者が2人、厨房に入りこんできては、早速戦利品を2つ発見したのであった。
飢えを満たしてくれる獲物を見つけた肉食獣のような笑みが、思わず浮かび上がる。
無論その飢えは、厨房にいるからといって、食欲とは限らないのだが……。
「長い行軍でごぶさただったからよぉ。ここらでちょっと楽しませて貰おうかね」
厨房の隅で、身を丸めて隠れていた二人の子供は、下衆な笑みを浮かべる傭兵を前に震えあがる。
青髪の少年リュカと、黒髪の少女エフィである。
料理長のような非戦闘員も前線に駆り出されているが、最年少の二人だけは、まだ幼いということで、厨房で身を隠していたのである。
リュカは自分より遥かに大きい体躯の大人が近づいてくることに、背中が粟立ち震えあがる。
これまでもこのような危機は何度も経験してきた。
しかし――常に隣にはアイゼがいてくれた。
だが――今は違う。
むしろ、隣にいるのは守るべき民である、幼い少女だ。
普段は人好きのする笑顔で明るく振る舞っているエフィも、これから自分の身に起こる行為を想像してか、歯の根が合わぬまま、リュカの裾を掴んでいた。
「(そうだ……わたしが……わたしが守らねば……男として……否……王子としての、責務を果たさねば……!)」
リュカの手は震えで留まらない。
かつてヨバ山脈にて山賊に囲まれ――穴という穴を犯される――という言葉が蘇る。
それでもリュカは、歪む視界の中、台を支えに立ち上がり、エフィを背中に庇って傭兵たちと対峙した。
「リュ、リュカちゃん……?」
エフィが上目遣いにリュカの背中を見上げる。
「貴顕らもスぺサイドの民であり、ルナルシア月神を拝む徒であるのであれば、わたしの話を聞いてくれ」
「なんだぁ?」
「お前から先に相手してくれんのか?」
普段人前で振る舞っている、下働きの娘の喋り方ではない。
王宮で自然と培われた、王族としての喋り方。
「わたしは――スぺサイド王国が王太子――リュカ・ローゼンベルクである。わたしの身を、貴顕の雇い主が王と定めたヨハン大公に差し出せば、刹那の快楽に身を投じる以上の褒賞を得ることが出来るだろう。故に願う。この娘には手を出さないこと聖母メロコティーニャに誓って約束せよ」
「こりゃあ笑える冗談だ! こんな小さい砦の召使いのガキが王子様だってか? それならオレ様は王様か? ギャハハ!」
「ま、待て……この気品ある顔、こりゃあその辺の町娘じゃあ出せない風格だぜ。しかも青い髪と青い目、こりゃ確かに行方不明の王子様の特徴と一致するんじゃねぇか?」
「……な、なるほど。確かに他の傭兵団の奴から聞いたことがあるぜ。スぺサイドの王太子には女装癖があるってよ」
今のリュカはみすぼらしい下女の服装であったが、内側から滲み出る気品と、類まれなる美貌は、傭兵たちに熟考させるだけの説得力を秘めていた。
しかしまだ未熟であるリュカは1つ――交渉を行うのに必要不可欠な見落としがあった。
この時代、交渉を行うには、自身もまた、先方と同等の武力が必要であるということに。
「だがよ。オレ達が約束を守る必要はないんだぜ? オレ達の雇い主は王弟様を支持しているからよ。表六王子に額づく道理はないって訳よ。その細い腕を縄で縛り上げてから、この娘を犯してしまっても、オレ達は王子様の身柄を献上することが出来るって寸法よ!」
「……そのような不義理がまかり通るのか!?」
「通るさ! ここは裁判所じゃあねぇんだぜ! オレ達を断獄するお役人もいねぇ! 強い者が全てを手に入れる戦場だ!」
「だが、月神と守護聖人は月星より全てを見通しているぞ!」
「大昔に死んじまった聖人君子様に何ができるっていうんだ? オレはこれまで数えきれないくらいの悪人を見てきたが、神の捌きによって死んだ奴なんざ、1人も見たことねぇぜ?」
「な、なんと畏れ多い不信人者だ……!」
神の威光を恐れないと断言する者を見るのは初めてであり、敬虔深いリュカからすれば、信じられないことであった。
だがそれは、高品質な衣食住が約束され、綺麗事を並べ立てるだけで生きていける特権階級の身分で生まれ育った者が持つ傲慢であることも確かである。
死後の安楽のために祈りを捧げる余裕がなく――今日の飢えを凌ぐために悪事に手を染めなければならない者も数多く存在している。
そしていつだって、そんな貧者を断罪するのは、飢えを知らない特権階級に生まれた者なのだ。
世の理不尽を知り尽くし、神の無慈悲に打ちひしがれた末に傭兵にやつしている彼らからすれば、リュカの言葉はむしろ、火に油を注ぐばかりであった。
しかし――リュカもまた、これまでの旅を通して、世の理不尽さの一縷を覗き込んできた自負がある。
「なら――これでどうだ?」
リュカは厨房のまな板に刺さっている包丁を抜く。
暴力に対し、暴力で対抗するために武器を取ったからではない。
リュカはその刃を――あろうことか自分自身の首筋に添えた。
自刎の意を示す行動に、流石の傭兵も冷笑を止めた。
王子は時間を稼ぐ。
必ずやアイゼが、砦に入りこんだ敵兵を一掃してくれると信じているから。
背中に守るべき少女を庇う。
慣れない砦での生活を、懸命に世話を焼いてくれた、初めてできた大切な友を守るために。
「生け捕りにできたにも関わらず、自死を許してしまったわたしの亡骸を見て、貴顕らの雇い主は果たしてどう思うか、今一度再考してみよ」
「ほ、本気じゃねぇよな?」
「自殺は神様への背徳なんじゃねぇのか!? 地獄に堕ちるぞ!」
サファイアの瞳には、力強い意志と圧があった。
これまで無数の命のやり取りをしてきた傭兵だからこそ、目の前の子供の行為が虚喝でないことを、経験で以て理解していた。
「わたしは王子だ! 守れたはずの民を見殺しにした大罪を犯したとなれば、例え天寿を全うしようとも、死後抱かれるのは女神の腕に非ず、獄炎に違わず。さあ! 約束しろ! 彼女には手を出さぬと!」
「だがよ、どの道この砦は直に落ちる。結局その娘は戦利品として貪られる結末になることに変わりはねぇぞ!」
「アイゼがいる限り、この砦は決して落ちぬ! 彼女はわたしにそう誓った!」
リュカの気魄に根負けし、傭兵は降参するように両手をあげた。
「分かった分かった。オレ達の負けだよ王子様。約束しよう。聖女メロコティーニャに誓いオレ達は後ろの娘には手を出さない」
「オレも誓おう。聖女メロコティーニャの名において」
「分かった」
それを聞いて安心したリュカは、ゆっくりと包丁を戻した。
その瞬間――
「なっ!?」
――待ってましたと言わんばかりに、傭兵が二人がかりでリュカを取り押さえる!
「や、約束が違うぞ!」
「口約束を反故にするのはお貴族様の十八番だろうが。オレ達下民がしてはいけないのは、不公平が過ぎるというものよ!」
「こ、この下衆共が……!」
「下衆で結構コケコッコーってな!」
リュカの華奢な体が宙に浮き、口が塞がれる。
白刃が煌めいた。
いわゆる「平和を知らねぇガキ共と戦争を知らねぇガキ共の価値観は違う」ってやつです。




