34 宣戦布告
【前回のあらすじ】
斥候により、南領境を接するアッシェン領の兵団が、ガーナーゲート砦に進行している報せが届く。
アイゼ達は急いで坊城の構えを取るのであった。
――数刻後。
砦内の防備が十全に整ったタイミングで、斥候の情報通りに、敵の大群が来寇した。
南側――すなわち領境の方から。
翠微と丘の間に、黒い線が滲みだしたかと思うと、紙に落ちた墨の染みが広がるように、みるみると黒い影が丘を埋め尽くしていった。
オクスフォードの領地を狙うアッシェン軍5000は、途中で二つに分断。
片方を南門、もう片方を北門の前に、矢頃にして二つ分程の距離(約400メートル)に布陣し、ガーナーゲート砦を包囲した。
そして本隊であろう南側の陣より、騎馬が一騎抜け出してくると、悠々とした足取りで近づいてくる。
これを敵方の使者と捉えた。
城代騎士ケインは折衝の任をアイゼに託し、騎馬が一騎だけすり抜けられるだけ小さく城門を開くと、女騎士が月毛の美馬に跨って使者と対峙する。
「止まれ! アッシェン伯の兵団とお見受けするが、ここは既にオクスフォード伯が治める領地である。何故かような大軍を率いて領境を侵したか、申し開きがあれば申されよ!」
毅然とした態度でアイゼが問う。
一方先方も肝が据わったもので、胸壁の上からクロスボウを構えた一団を前にしてもなお、泰然とした態度を崩さなかった。
「全ては、この書面に記しました故、ご一読くだされよ」
「拝見いたそう」
使者は馬上より一通の書簡を差し出す。
封蝋の捺印は、アッシェン伯の家紋のもので相違なかった。
アイゼは馬手差を蝋の間に差し込んで、書状を披見する。
それは堅苦しい慇懃な文体で綴られていたものの、紛れもない宣戦布告を示すものであった。
内容は以下の通りである――――
啓上。
差。アッシェン領は領主ラインハルト・アッシェン。
宛。オクスフォード領は領主シバルド・オクスフォード伯、並びに城司殿。
抑々、貴顕等スペイドの輩、先の世より征服王の御前に膝を屈せし被征服民族の身でありながら、今日まで不相応なる封土及び爵位の地位を保ち得た儀、永らく訝しく存じた処、此度その卑劣なる奸智が露見仕った次第。
仄聞に及ぶところ、貴顕は故先王・獅子剣王が東征の戦費に御苦心なされるに付け込み、多額の金銀財宝を矢銭として献上奉るも、其即ち賄賂に違わず。
剣と名誉を以て奉仕すべき諸侯の身でありながら、汚れたる金銭にて玉座を欺き、保身を図る所業、言語道断の不義不徳に候。
斯様な私利私欲と奸謀に塗れた士に、正しき法の執行や民を安んずる真の統治など望むべくも御座無候。
故に、征服王より続く誉れ高き血脈を受け継ぎ、王家への真なる忠誠を誓う我らハアトの士こそが、其の地に蔓延る不義を正し、真なる仁政を敷くこと、即ち月星の采配にして揺るぎなき大義と信じる所存。
就ては、我が真義の刃が其の地を浄化する前に、速やかに干戈戎衣を解き、城砦並びに領地の一切合切を当家に明け渡し候へ。
左様致せば、これまでの欺瞞は不問に付し、命のみは助命仕るべく候。
若し、己の不徳を恥じずになお抗うならば、一族郎党打ち首に付し仕る所存。
後悔なきよう思案あるべく候。
上の如く。
ルナルシア月神と星座に召されし守護聖人、及び国王ヨハン陛下の御名において宣する者也。
――――書状の内容は以上で全てであった。
要約すれば以下の通りになる。
オクスフォード伯は国王に多額の贈賄をし、その見返りとして被征服民族でありながら、貴族の地位を維持しているに違いない。
そのような汚職を働く奸臣に領土を任せられないため、代わりに自分達に明け渡せ。
そうすれば命だけは助けてやろう。
紛れもない脅迫状であった。
いかにもな大義名分でこちら側を糾弾しているものの、実態は難癖からの領土侵略である。
とはいえ――オクスフォード家は毎年多量の穀物を歳幣し、歴代国王の歓心を買っていたのは確かである。
しかし――オクスフォード伯の差配により稔った穀物により、スぺサイド王国全体の民生の食糧問題が支えられていることも確かであった。
それ故、贈賄などと言われる筋合いはない――というのがオクスフォード側の見解である。
そうは言っても、アッシェン側の主張は私欲を誤魔化すための言い訳でしかないため、いくら弁明しても詮無いことなのは、火を見るよりも明らかであった。
「…………っ!」
アイゼは精読を終えると、柳眉を逆立てて気色ばんだ。
オクスフォード伯を中傷する内容に腹を立てたからではない。
彼女にとってオクスフォード伯は、あくまで雇用主であり、忠誠を誓った主君ではないからだ。
忠節を誓うのは、リュカ・ローゼンベルクただ1人である。
アイゼの神経を逆なでしたのは、結びに記されている――ルナルシア月神と星座に召されし守護聖人、及び国王ヨハン陛下の御名において宣する者也――という一文。
「(恥知らずの侵略者が月神の徒を称するだけでも憤慨ものだが――『国王ヨハン陛下』という一文は、すなわち既に王弟を国王として認めているということ……つまりアッシェン伯は王弟派に与する勢力……僭王を仰ぐ愚か者に加える手心なぞない!)」
アイゼは無言で書状を2つに引き裂き、その様を見て唖然とする使者に構わず、四つ裂き、八つ裂き、十六裂きにし、最終的に紙吹雪にして投げ捨てた。
「この仕打ち……すなわち我が主君の温情を袖に振るということでよろしいか?」
使者が肩を震わせながら言う。
そこにはもう、先ほどのような憮然とした態度はない。
「好きに解釈するがよろしい。最も、この仕儀を見てなお、皆目見当つかぬのであれば、アッシェンの折衝も痴れ者と嘆かずにはいられないだろう。アッシェン伯が御不憫でならない」
「…………っ! っ!!」
アイゼの皮肉を込めた毒舌に、使者は顔を赤くするばかり。
使者は当初、この布告状を受け取った者の蒼白するざまを見て、オロオロとしながら口ごもる滑稽な姿を嘲笑しようとしていたため、逆の結果になったことに、激しい慙愧に喘いだ。
背後に控える軍勢を笠に着せ、圧を駆けようとするも、歴戦の猛将の前では猫の威嚇程の効果もない。
「他に何か申したいことがあれば、いくらでも聞いて進ぜよう」
「その選択、悔いのないよう」
「ふん」
使者は馬首を巡らすと、行きとは一変、逃げるように軍勢の中へと戻っていく。
アッシェン軍から、進軍を告げる角笛が鳴り響いたのは、使者の背中が完全に軍勢に紛れてしばらくしてからのことだった。




