33 防城戦の準備
ガーナーゲート砦の天守にある作戦司令室には、沈痛な空気が漂っていた。
重い澱のような重苦しさの中、集結した砦の中核メンバー――遍歴騎士、吟遊詩人、錬金術師、城代騎士、従騎士二人――は中央に置かれた作戦机を囲み、三者三葉に顔を顰めた。
理由は単純明快。
アッシェン領への偵察任務から早馬で戻ってきた従騎士より、敵軍5000の兵団が、ガーナーゲート砦を目指して進軍を開始した報をもたらしたからである。
「いずれ来るとは思っていましたが、実際に来るとなると、心胆寒からしめるものがありますな」
「ケイン卿、やはり領都からの援軍は見込めませんでしたか?」
「はい。御主君からは、『心苦しいが兵を割く余裕がない』と断られてしまいました」
オクスフォード伯は決して辺境に詰める兵をおざなりにするような人物ではなく、むしろ情に厚く人財を重んずる質であった。
しかし――オクスフォード伯は四方を征服民族が治める領主に囲まれている。
玉座が不在かつ、王太子が行方不明という情勢にかこつけて、肥沃な土地を狙う諸侯に対し、全方向に防備を固めなくてはならない。
兵力が足りないのはガーナーゲート砦に限った話ではなく、領主からの増援要請が跳ねのけられてしまうのも、致し方ないことだと、ケインは達観していた。
「しかし5000ですか。結構な数ですな」
とヘリワード。
「弊砦に詰めている兵は、正規駐屯兵200に義勇兵100。戦況は絶望的です」
「ケイン卿――王府へ奏上した鎮撫騎士団の要請はどうなっていますか?」
そう告げたのは従騎士の一人。
「獅子剣王陛下は敵地に囚われた末に崩御なされた――そして鎮撫騎士団は陛下直属の騎士団。陛下が海外遠征の際は王府が代行を行っていたが、玉座が不在の現状では動かすことは出来ない――との返事だ」
「…………」
思わぬ所で鎮撫騎士団の名前が出て、アイザは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「(鎮撫騎士団はかつては姫殿下が団長を務めていたこともあり、その高潔な精神は引き継がれ、あくまで中立を貫いている。警邏騎士団と違って王弟には与していない。だがヨハンにとって鎮撫騎士団は目の上のたんこぶであり、支配することは出来ずとも、騎士団領に蟄居させられるだけの名分は用意されているという訳か)」
己の古巣の不甲斐なさを嘆くと同時に、簒奪者によっていいようにされていることに同情するアイゼであった。
「…………」
「…………」
現状を整理すればするほど、戦局は絶望的であった。
アイゼリーゼは眉宇を歪め、ケインは眉根を顰め、ヘリワードは肩を竦め、ケイン直下の従騎士2人は初めの実践を前に全身が強張っている。
特に斥候を担った方の従騎士は、実際に進軍した兵を見ているだけに、その具合は一層顕著である。
その一方――大人丈の外套で顔を隠しているアルフォンタスだけは、鼻白むような顔を、頭巾の裡で作り、弱腰になっている城代騎士に発破をかけた。
「なぁに。ワシの青銅巨人がおれば何も心配する必要などあるまいて。全て踏みつぶして大地の染みにしてくれるわい。今年の麦は赤く稔るぞ! カッカッカ!」
襤褸の下で老獪に哄笑するアルフォンタス。
彼女だけは唯一現状を楽観視している。
それだけ青銅巨人に対して揺るぎない自信を持っているのだろう。
とにもかくにも。
いくら嘆いていても敵軍は待ってくれない。
現状を共有した中核メンバーは、それぞれ守城の準備に取り掛かったのであった。
***
「急げ! 数刻の内にこの砦はアッシェン軍に包囲される! これまでの鍛錬の成果を果たす時だ!」
ガーナーゲート砦――北門にて。
砦内は慌ただしさに包まれていた。
されど、鬼教官のスパルタ教育が功を奏したのであろう――義勇兵の間に混乱や恐怖といった色は少ない。
むしろ、ようやく務めを果たせると断固たる熱意に満ちており――ケイン旗下の駐屯兵が気後れするほどの気魄である。
義勇兵は胸壁の裏側に、日夜矧ぎ続けた矢や、敵兵の脳天をかち割るための槍や岩を並べていく。
その様を監督するのは、義勇兵100の指揮並びに北門の防衛を任されたアイゼである。
南門は城代騎士ケインが指揮する正規兵200が守衛に当たることになっている。
弓兵隊を指揮するヘリワードは、部下に弦の具合を検めさせている。
一方、部下を持たずに青銅巨人による遊撃を担っているアルフォンタスは、胸壁の上に胡坐をかいて、敵がくるのをまだかまだかと待ち遠しくしている様だった。
アイゼは部下を急き立てる。
彼女はかつて鎮撫騎士団の副団長として、部下を率いて戦に臨む現状に、生来の武人としての血が騒いでいた。
不謹慎とは知りながらも高揚感を覚えずにはいられない。
されど、自信満々な形相の裏では、ある懸念で胸中が逼迫されていた。
アイゼはその不安の種を探し――発見すると共に破顔した。
「(殿下!)」
「師匠!」
アイゼは最愛の主君を発見すると、彼の手を取り人気のない場所へ連れ込んだ。
周囲に目がないことを確認し、遍歴騎士の仮面を脱ぎ捨てると、篤実な臣の顔でリュカに進言した。
「リュカ殿下、まもなくここはアッシェン軍に包囲されまする」
「そのようだな……」
「本来であれば、騎士の誓いに殉じ、一瞬たりともお傍を離れず御守り仕りたい所存ではございますが、わたしには義勇兵を指揮する役目がございます。この状況において、貴方様の隣にいられない不徳にご寛恕を仰ぎたく存します」
「よい。分かっている。むしろアイゼが兵を指揮し、砦を墨守することが、わたしを守ることにも繋がるだろう。どうか、頼んだぞ。わたしにとって、この砦の者達は家族のようなものなのだ」
リュカはこの砦の生活を通し、数々の者達と友好を深め、様々な身の上を聞いた。
村に家族を残している、許嫁がいる、一旗あげて正規兵に雇用してもらう――様々な理由で志願した義勇兵の顔を、リュカは一人残らず覚えている。
もはや顔の見えない下々の民草ではない。
守るべき民であり、家族であった。
「委細承知――殿下も何卒、安全な箇所にご避難を」
「非戦闘員は厨房に身を隠す手筈になっている故、心配には及ばない」
「あっ! リュカちゃん! こんなところにいた! もう聞いた!? アッシェンの兵隊がこっちに向かってるんだって!」
「っ!? エフィ!」
2人の密談に割り入ってくる少女を認めると、二人は慌てて君臣の立場を入れ替える。
無論――いたいけな少女の面を被ることも忘れない。
「はい。丁度いま、師匠から聞いた所です」
「料理長が厨房にバリケード作ってるから、リュカちゃんも早く非難するよ! アイゼさん、どうか砦をお願いします」
「言われるまでもない。聖母メロコティーニャに誓い、砦の中には敵兵一人たりとも侵入させるものか」
それを聞いて安心したのか、エフィはリュカの手を握ると、厨房に向かって駆けだした。
アイゼはその背が見えなくなるまで、二人を見守り続けたのであった。
「…………」
アイゼは絶対にリュカに危害を加えさせるような無様な指揮は取らないと決意する。
しかしそれでも、彼女の不安が完全に拭い去られることはなかった。
昨晩、元婚約者がもたらした警告が、脳裏に浮かぶ。
『ガーナーゲート砦ニテ 間者潜伏ノ由 用心サレタシ』
「(もし件の間者が、アッシェン伯による者ではなく、王弟ヨハンの手の者なら……殿下は)」




